15. 運転手とカギを失くした魔導バス
「完璧だ。これ以上ない程に完璧だ」
店の中は何も置かれておらずがらんとしている。
まるで誰も住んでいないかの様子だが、いつも通りの光景であるため誰もそれが夜逃げした状態とは思わないだろう。
「カミーラとトゥーガックスは昨日からダンジョンに入っているから戻ってくるのは数日後。勇者君は仲間と一緒に魔王軍残党の討伐に出発。一番めんどそうな奴らがようやく同時にこの街から消えてくれた。今こそ脱出のチャンスに違いない」
いつそうなっても良いように、準備だけはしてあった。
逃亡先の決定も、持ち物の準備も、店舗の引き払いも終わっている。
正確には最後の店舗の引き払いだけは手続きが完了していないが。
「商業ギルドの連中に邪魔される可能性があるから、店舗の解約は街を出てから書面で郵送で行う。本人が居ないと多少困るだろうが、夜逃げする商売人が多い中でしっかりと郵送してやるんだからまだマシな方だろう」
迷惑なことには変わりなく、全然マシではないのだが、そこだけは目をつぶるアケィラであった。その代わりに店を徹底的に綺麗にし、傷一つなく元の状態にしてあるため許してほしいと内心で謝った。
「荷物はアイテムボックスと魔法袋に分けて入れてある。この軽装なら誰も夜逃げしているとは思わないだろう。そもそも夜じゃないけどな」
時刻はそろそろ夕方になるかという時間帯。
今街を出ればアケィラが居なくなったとすぐに気付かれたとしても、夜になり捜索しにくいだろうという目論見だ。だったら最初から夜に出れば良いじゃないかという話だが、夜に街を出る人は少なく目立つと考え時間をずらしたのだった。
用意周到。
完璧と自画自賛するのはこういった理由があるからだった。
「領主の書状を受け取ってからそろそろ一か月。使いが来てもおかしくなかったが、間に合って本当に良かった」
もしそちらが先だったら、強引に街から逃げなければならないところだった。その場合、カミーラや勇者に捕まって逃亡失敗になる可能性が非常に高かった。紙一重で間に合ったと言ったところだろうか。
「おっと、考えごとをしてバスに乗り遅れたら最悪だ。急がないと」
街からの脱出手段は公共機関。
この世界では街と街の間の移動はバスを使うのが一般的であり、アケィラもまたそれを使うことにした。普通でないやり方を選んで逆に目立つことを避けるためだ。
なお、バスといってもガソリンや電気で動くものではない。
魔法が存在するのだから、当然動力はアレである。
「魔導バスに乗るのも久しぶりだな。この街に来た時以来だ」
アケィラの目の前に黄色く色づけられた四角い小型のバスがあった。
魔導バスと彼が呼んだように、動力は魔石によるもの。いわゆる魔道具の一種である。
バスの中は個人個人の座席があるわけではなく、長椅子が向かい合うように二つ置かれているだけ。乗客は思い思いの位置に陣取って目的地に着くのを待つ。
運転するのは専門の運転手だ。
運転手だと分かるようにバスと同じ黄色い服を着ていて、このバスの運転手もすぐ近くにいた。
「ど、どうしよう……」
運転手は若い働き盛りの男性だが、様子がどうもおかしい。
何かトラブルでもあったのか。
そのせいで出発出来ないなんて話にならないだろうなと不安に思ったアケィラは話しかけた。
「おいどうしたんだ?」
「貴方は?」
「このバスに乗るつもりの客だ」
「うっ……そ、そうですか……」
「どうしてそこで焦る。まさかバスが出ないなんてことは無いだろうな?」
「そ、それは……」
言い淀む運転手の様子を見て、アケィラは背筋が凍る思いだった。
バスを出せないと言っているようなものだったからだ。
「そういうのはマジで止めてくれよ!このバスが西門発の最終便だろ!?」
これを逃したら終バスが遅い他の門から出なければならず、それだとアケィラの予定が狂ってしまう。
単に移動ルートの組み換えが必要だなんて話では無い。アケィラが西から出ることに意味があるのだ。
「(衛兵を使って俺が東に興味があると思わせ、その状態で真逆の西から出ることでカモフラージュしていると思わせて、より東に逃げたと思わせる作戦が台無しになっちまうじゃねーか)」
東に移動したいのであれば、東から出るのが自然だ。
だがアケィラは逃亡するつもりであり、いくら東に行きたいからといって素直に東から出たら、逃亡先を隠す気があるのかと怪しまれるだろうと思ったのだ。
「一体何が起きたんだよ」
「あの……その……」
「言ってみろよ。俺が助けてやれるかもしれねーだろ」
「…………実は」
運転手が告げた困っている理由。
それを聞いたアケィラは思わず頭を抱えてしまうのであった。
「鍵を失くした……だと?」
どうやらバスの鍵を失くしてしまい、乗れなくなってしまったらしい。
「運転用の鍵はあるのですが、扉の鍵が見当たらなくて。どこを探しても無いんです」
「事務所にスペアとか無いのか? それか違うバスを借りて来るとかさ」
「スペアはありますが、事務所は他の街にあるので今日中に受け取るのは無理です。違うバスも今はこの街にはありません」
「ぐっ……なんてことだ」
このままではバスが運休になってしまう。
諦めて他のバスに乗るべきか。
あるいはこの運転手に協力して失くした鍵の捜索を手伝うか。
「いや待て。鍵だと?」
動揺してしまい、あまりにも簡単な解決法に気付かなかった。
アケィラだからこそ可能な方法があるではないか。
「俺が開けてやるよ」
「え?」
「俺そういうの得意なんだ」
オープナー・フルヤ。
解錠屋の力をもってすれば、開かない鍵などほとんどない。
それはもちろんバスの扉だって同様だ。
「ダ、ダメですよ!」
「どうしてだ?」
「バスの鍵は機密情報なんです。触らせるわけにはいきません!」
「機密情報?」
「乗客の安全を確保するために、外側から簡単に開けられないようになってるんです。もし鍵の秘密が公開されてしまったら、全てのバスを新しい鍵に交換しなければならないんです」
道中で盗賊に襲われた場合でも、バスの中に閉じこもっていれば安全な作りになっている。車体は頑丈で鍵も複雑。だが鍵の作りがバレてしまったら、盗賊に開けられてしまうかもしれない。そうならないために鍵の仕組みは機密情報となっていた。
「理屈は分かるが、今は緊急事態だろ。なんとかならないのか?」
「運休になる程度じゃ緊急事態とは言えませんよ……」
「俺にとっては緊急事態なんだよ!」
「そ、そんなに怒鳴られても無理なものは無理ですって!」
せっかく名案を思い付いたと思ったのに即行で却下されて肩を落とすアケィラ。
このままここでうだうだやりとりしていたら、他の門からの終バスも出て行ってしまうだろう。
予定変更の決断の時間は刻一刻と迫って来た。
「(こうなったら他から出るしかないのか)」
焦るアケィラが苦渋の決断を選択しようと思ったその時。
「ふぉっふぉっふぉっ、少しよろしいですかな?」
いつから居たのか、身なりの良い老紳士がやってきて運転手に何かを耳打ちした。
「ええ!?本当ですか?」
運転手は大層驚き、アケィラに向けて視線を向けた。
「(何だ?俺のことを話しているのか?あの爺さん何者だ?)」
訝しみながら彼らの様子を見ていたら、話し終わった運転手がアケィラの元へとやってきた。
「あの、その、鍵を開けてもらえないでしょうか?」
「え?良いのか?機密事項なんだろ?」
「はい、大丈夫そうです」
「…………」
嫌な予感がする。
物凄く嫌な予感がする。
だがそれでもチャンスであることには間違いない。
アケィラは少しだけ悩んだが、バスの解錠にチャレンジすることに決めたようだ。
「うし、サクっと開けるから待ってろ」
今回は時間との勝負だ。
機密事項とまで言われている鍵の仕組みをじっくりと解析して楽しみたいところだが、スピード重視で作業をせざるを得ない。
アケィラはアイテムボックスからピッキングツールを取り出し、バスの鍵穴に差し込んだ。
一本、二本、三本。
必要と判断したら迷いなくそれらを突っ込み、最短の行動で解錠を試みる。
「おお、なるほど、面白い作りだ。三重構造になっていて、一つ目の鍵を開けると、それが二つ目の鍵をロックするのか。そして二つ目の鍵を開けると一つ目の鍵がまたロックされてしまう。解錠スキルを使っても開かない理由はこれか」
「絶対に誰にも言わないでくださいよ!」
「分かってる分かってる」
アケィラは解錠そのものに興味はあるが、鍵の仕組みを使って商売する気など全く無い。それどころか機密事項だなんて面倒なものには関わりたくもないので、決して口外することは無いだろう。
それよりも問題なのは鍵について。
二つの鍵が連動してロックし合う仕組みになっている複雑な鍵をどうやって開ければ良いのだろうか。アケィラはピッキングツールをより奥まで差し込んで、手探りで全ての構造を明らかにせんとする。
「ポイントは三つ目の鍵か。こいつをわざと閉めれば……いや違うな。半分閉めて、その状況で一つ目の鍵も半分開けて……おお、隠し機構が出現した。これを使って二つ目の鍵を解錠して、そして残りの鍵も解錠すれば……」
ガチャ。
バスの扉が開いた音がした。
「嘘でしょ!?まだ数分しか経ってませんよ!?」
複雑すぎて開けるだなど無理だと思っていたのだろう。
運転手は腰を抜かして尻餅をついて驚いていた。
「ふぉっふぉっふぉっ」
一方で老紳士は驚いている様子ではあるが、そこまで大げさな表現はしていなかった。
「ふぅ、これでバスを出せるよな」
「あ、ああ、貴方は一体何者なんですか!?」
「俺か? 俺はオープナー……おっとそれはもう終わりだったか。しがない街人だよ。それより早くバスを出せ」
「わ、分かりました!」
慌てて運行準備を始める運転手を見ながらアケィラは一安心した。
トラブルはあったがこれでバスは動き、街から脱出可能だろう。
「(そういや他の客が来てないな。いや、爺さんがそうなのかな。目撃者が少ないのはラッキーだぜ)」
風が吹いている。
ここしばらく不運だったから、その反動で幸運が舞い込んできているのだろうか。
アケィラは上機嫌にそんなことを考えていたが、世界が彼をこんなにも簡単に見逃すはずがない。
「ふぉっふぉっふぉっ、見事なお手並みでしたな」
「あんがとよ、爺さん」
乗客仲間と思われる老紳士がアケィラに話しかけて来た。
そのこと自体は何も違和感は無い。バストラブルに遭遇した者同士のちょっとした世間話と考えれば自然なことだからだ。だが問題はその人物の次の言葉だった。
「流石オープナー・フルヤの店主ですな。噂通りの実力、しかと拝見致しましたぞ」
「…………は?」
何故この人物は自分のことを知っているのだろうか。
そして『噂』とは一体何のことなのだろうか。
綺麗な紳士服に、整えられた真っ白な髪や髭、丁寧な言葉遣い。
忘れていた嫌な予感が蘇る。
顔が勝手に引き攣ってしまう。
「じ、爺さん。俺と会ったことあったっけ?」
「いえお初にお目にかかります。貴殿が魔導バスの扉の鍵を開けようと申し出ているところを見て、アケィラ殿でないかと考えたのです。解錠が得意で興味があると『噂』に聞いていたものでして」
またしても『噂』だ。
この街でアケィラのことがそんなにも『噂』になっているかと思うと、どうしても信じがたい。もしそうであれば、もっと客がやってきてもおかしくないからだ。
では一体この老紳士が口にする『噂』とは一体何なのだろうか。
「主から貴殿の実力を確認するようにとの指示を頂き、どうすれば良いかと悩んでいたのですが、まさか街に来てすぐに貴殿にお会いできるとは思いませんでした。しかも非常に高度な技術を確認する機会まで得られたのは僥倖としか言いようがありませんな。ふぉっふぉっふぉっ」
「(どこが僥倖だよ!最悪じゃねーか!)」
「この眼で見たにも関わらず信じがたいと思わされるほどの腕前でございました。『噂』は真実だったと主にお伝え致します」
「(するな!何もするんじゃねええええ!)」
全身全霊で否定したかったけれど、相手が相手なので粗相など出来やしない。
『主』が誰を指すのかなど、この老紳士が誰に会いに来たのかなど、勘違いしようがないくらい明らかなのだから。
「それにもう一つ、敬服致したことがございます」
「え?」
「我が主の考えを的確に理解し、迎えが来るより先に自ら主の元へと向かうその姿勢。大変すばらしゅうございます」
「何言ってるの!?」
「わたくしが本日貴殿の元へ伺うことも予想していたのでございましょう。ですので主様をお待たせしないために、一日でも早く向かおうとバスの修理を申し出た。なんとすばらしい洞察力と忠誠心でございましょうか」
「はああああ!?」
盛大に勘違いする老紳士。
実はその勘違いの一端はアケィラにもあった。
彼の『主』の住む街は、今居る街から西側に向かった先にあるのだ。会いたくない『主』が居る方に敢えて逃げることで追手の虚を突こうと考えていた。どうせ顔バレなんてしてないだろうから、それでも平気だと高をくくっていたのだが、それが自分から会いに行くのではという勘違いを引き起こしてしまった。
「いやいやいや、そんなつもりはないから!」
「ふぉっふぉっふぉっ、謙遜なさらなくてもよろしいですぞ」
「謙遜とかそういうのじゃないから!」
「そういえば『噂』では素直でないという話でしたな」
「あ、ダメだ。これ信じてくれないやつだ」
がっくしと深く肩を落とすアケィラ。
だが彼はまだ諦めていなかった。
この状況から老紳士を振り切り、どうにか逃亡する方法が無いかと頭を素早く回転させる。
それが無意味だとも分からずに。
「おい、聞いたか? 西大陸の開拓街が壊滅したらしいぞ?」
「マジで!? あそこってもう安定して順調に開拓が進んでいるって話だったよな」
「それが見たこともない巨大な魔物が突然やってきて蹂躙したって噂だぜ」
「何それ超怖い」
アケィラの近くを通る冒険者らしき男性二人組。
彼らのその世間話を聞いたアケィラは、だらしなく口を半開きにして呆けていた。
何しろその西大陸の開拓街こそが、アケィラが逃亡先として考えていた場所だったのだから。
東に行くと思わせて西へ行く。
開拓街など面倒そうな場所には行かないだろうと思わせてそこに行く。
暮らすには大変そうなそこが、実は貴族や宗教や国などのしがらみから一番遠く、しかも最近は安定していてゆっくりと商売が出来る場所だと調べて判明したのだ。
だがその目論見は出発前にあっさりと打ち砕かれてしまった。
「(ま、まだだ……まだ策はある!)」
西大陸程理想的な場所ではないが、逃亡先の候補をもう一つ用意していた。
大陸南部の小国家群を越えた先にある自由都市。
海に面したそこは大国から遠く離れていることもあり、西大陸と同じでしがらみが少ない。貴族制ではなく指導者を平民から選ぶ方式をとっており、宗教色も薄いらしい。隣接する小国家群に領土を狙われていることだけが不安だが、小国家群がお互いに牽制し合っているがゆえに大きな戦争はここしばらく起きていない。
アケィラは頭を再び猛スピードで回転させ、自由都市への移動ルートを考え始めた。
だが。
「それと南の自由都市の治安がやばいらしいぜ」
「それは知ってる。確か犯罪シンジケートが都市を占拠して好き放題やってるんだろ。ギルドの依頼に討伐依頼が出てたもんな」
「複数のシンジケートが隠れ潜んでいて、お互いにやりあってるなんて噂も聞くぜ」
「怖い怖い。裏の世界の奴らが集まっているような地獄みたいな場所に、いくら依頼でも行く気はしねーな」
自由都市もまた異変により平穏とはかけ離れた場所へと変貌していたのだった。
「ふぉっふぉっふぉっ、世の中物騒ですのぅ」
アケィラの内心を知ってか知らずか、老紳士は落ち込むアケィラの肩にそっと手を置いた。
「アケィラ殿!? どうなさいました!?」
平穏な生活が完全に失われたことを同情されたかのように感じ、そして同時に現実を強制的に自覚させられ、白目を剥いて倒れてしまうアケィラであった。




