猪八戒になりたい小学生
フィコマシー様が、ミーアに人間語のレッスンをしている。
ミーアが一生懸命、覚えた単語を繰り返す。
シエナさんが、ベスナーク王国に関する様々な事柄を僕に教えてくれる。
馬車の中では、穏やかな時間が流れていた。
先程僕が『白豚と白鳥』について質問した際にちょっと緊張感が走ったような気がしたけど、話を続けているうちにフィコマシー様もシエナさんも普通に笑ってくれるようになった。
何故、2人は〝白豚と白鳥〟という言葉に過剰反応したんだろう?
ひょっとして『白豚』は、ウェステニラでは良い意味に使われていない呼び名なのかな?
そんなはずは無いよね。だってペットブタは、あんなにキュートだった。
友人が飼っていたヒレポークの愛らしさを思えば、『白豚』は女性への賛美表現としか考えられない。〝ホワイト・ピッグ〟って音色も凄くラブリーだし。
特にぽっちゃり系の女子には、ピッタリの褒め言葉だ。
もし今後ウェステニラでふっくらした女の子に会ったら「貴方は、ブタのように可愛いですね。是非『ブヒブヒ』言ってください」と声を掛けてみよう。
仲良くなれること、間違いなしだ!
ん~。どうもフィコマシー様を見ていると、その容姿にヒレポークの面影を重ねてしまう。
フィコマシー様の肌は透けるように白いけど、ヒレポークの肌も負けず劣らず白かったからかな。
フィコマシー様が、どんどん魅力的に見えてくる。
でも、仕方ないか。〝ふっくらふっくらふっくらふっくらふっくら〟しているフィコマシー様は、通常の〝ふっくら〟女子に比べて、その5倍の美しさをお持ちの侯爵令嬢だからね。
「あの、サブローさん。私の顔に、何か付いていますか?」
フィコマシー様が、不安そうにご自身の肉まんホッペをプニプニ触る。
おっと、いけない。フィコマシー様のお顔を不躾に眺めすぎたようだ。
「申し訳ありません。フィコマシー様を見ていたら、つい、昔の知り合いのことを思い出してしまって」
「サブローさんのご友人ですか?」
シエナさんが、身を乗り出すようにして尋ねてくる。
お嬢様関連の話題なので、食いついてきたのかな?
「友人と言うよりも、友人の〝大切な存在〟ですかね」
「ご、ご友人の〝大切な存在〟が私に似ていたと?」
フィコマシー様も、興味を惹かれたみたい。
「ええ。友人はヒマさえあれば、ベタベタしていましたね。『コイツ、夜になると俺の寝床にもぐり込んでくるんだよ』と、僕に散々自慢したもんです」
「寝床にもぐり込む……」
フィコマシー様の頬が、少し赤らむ。
「そんな羨まし……いえ、フケツだわ。ハレンチだわ。ヒワイだわ。シュクジョのフルマイでは無いわ。淑女じゃ無くて、熟女だわ。熟れすぎだわ」
シエナさんが、なんかブツブツ呟いている。
「その……それで、サブローさんはご友人の〝大切な存在〟に会ったことがおありなんですよね?」
フィコマシー様が、僕に確認してくる。
「ええ、何度も」
「ど、どのような印象を持たれましたか?」
「とっても可愛かったです。やんちゃで、元気いっぱい。それでいて寂しがり屋。少しふっくらしていて、丸みを帯びた身体のラインは実に美しかった。友人が『お前にだけ、特別に触らせてやる』と言ってくれたので、撫でさせてもらったことがあるんです。絶妙のぽっちゃり具合で、あのコロコロプニプニした感じが堪りませんでした。友人が夢中になるのも無理からぬことだと、感じたものです。それに、友人の愛撫に応える声も、艶っぽかったんですよね~」
ヒレポークのタプタプした肌の感触や、『ブヒブヒ』という鳴き声を懐かしく思い出す。
うっとりと追憶に浸る僕とは対照的に、お嬢様とメイドさんは何やら衝撃を受けていた。
「可愛い……美しい……夢中に……愛撫……艶のある声……サ、サブローさん、それって……」
「アワワワワワ。そ、そんな、まさか本当にお嬢様が恋敵になってしまうなんて、天はどこまで私に過酷な運命を与えるの……。まさに、古の賢人曰く『恋しようと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば恋できず。我が進退、ここに窮まれり』だわ。けれど、私は負けない! 必ず〝忠恋両立〟の活路をどこかに見出してみせる。それが、私の生きる道!」
ヒレポークとのじゃれあいを回想していると、身体をツンツンされた。
ミーアが、僕の脇腹をつついている。
『フィコマシー様とメイドさんの様子が、変にゃ』
ミーアにそう注意されたので、フィコマシー様とシエナさんの態度を確かめてみた。
フィコマシー様は顔を真っ赤にさせて全身をプルプル震わせており、シエナさんは両手を胸の前で組み合わせつつ悲壮感たっぷりの表情になっている。
2人とも、いったいどうしたんだろう?
『2人は、どうしたのかニャ?』
『分からないニャン。でも、多分サブローが原因に違いないニャ』
『ええ! とんだ濡れ衣だニャン、ミーア』
僕は、ヒレポークのことを話題にしただけだよ。
さすがに、チョットばかり〝ブタ推し〟をし過ぎたかもしれないけど。
しかしな~、僕は元来ブタ贔屓なんだよ。何と言っても読書を趣味にしている僕が最初に好きになったフィクションのキャラクターは、猪八戒だったからね。
猪八戒。またの名を、猪悟能。
ブタの妖怪にして、中国の古典『西遊記』のメインキャラクター。
いや。僕は別に、八戒の姿形を格好良いと思っていた訳じゃないよ。
関心を持ったのは、彼のキャラクター性。
八戒は、天竺へお経を取りに行くメンバーの中で唯一の妻帯者なのである。
――〝妻帯者〟
このリア充感に満ち満ちた響き。
それに、八戒は性格も最高なのだ。
三蔵法師のお供になって西方の天竺へ旅立つことになった際、八戒はお舅さん(嫁さんの父親)に、こう述べている。
『西天取経に失敗したら戻ってきますんで、また婿にしてください』
…………。
惚れ惚れするほど見事なリスクマネジメント! 八戒の頭脳は、常に先の先を見据えているのだ。
小学生の僕が『西遊記』における八戒とお舅さんの会話シーンを読みながら「マズった場合の保険を用意しておくなんて、このブタ、メチャクチャ頭が良いじゃん。予め奥さんもゲットしてるし、ただ者じゃ無~な」と感心してしまったのも至極当然のことと言えるのではなかろ~か?
まぁ、そのあと八戒は孫悟空に『ふざけたこと言ってんじゃねー、このブタ!!』とぶっ飛ばされてしまうのだが……。
あと、八戒のマイペースな気性も僕の意に適っていた。八戒は妖怪との戦闘中に疲れてくると、勝手に戦線離脱して、昼寝してしまうのだ。仲間は必死に戦っているにもかかわらず。
怠惰とワガママの権化だよね。
ああ、僕もこんな生き方をしてみたい……。
八戒が女性にモテないことは少々不満だったが、そもそも『西遊記』は色恋沙汰には無縁の物語だし、それほど気にはならなかった。
『西遊記』で異性にモテるハンサム設定のキャラクターとして三蔵法師が居たけど、彼に憧れたりはしなかったね。しょっちゅう妖怪にさらわれるし、女妖怪が三蔵法師を「喰いたい」って言うときは比喩でもなんでもなくて文字通りの意味しか無かったから、むしろ同情の対象だった。
小学校6年生の時にクラスの担任をやっていた女の先生(30代)が、僕に訊いてきたことがある。
♢
「間中君は、将来どんな大人になりたいのかな?」
「ハイ! 僕は、猪八戒みたいな大人になりたいです!」
♢
元気よく返事したのに、先生は頭をフラつかせていたっけ。
でも、あれは僕なりに気を利かせた答えだったんだぞ。女の子にモテまくるラブコメ漫画の主人公の名前を上げるのはマズいだろうと配慮して、古典の登場人物をわざわざチョイスしたんだ。
ちなみに尊敬していたのはフランス革命の指導者ロベスピエールだったけど、自分がそうなりたいとはちっとも思いませんでした。
ギロチンしまくった挙げ句に自分もギロチンに掛けられる人生とか、しんどすぎる。
しかし、先生は、僕の心情を理解してくれなかったみたい。項垂れつつ、独り言を漏らしていた。
♢
「私の教育の何が間違っていたの? せめて『孫悟空になりたい!』って答えだったら、『あらあら、間中君はワンパクね~。でも、孫悟空はお猿さんよ。本当に良いのかな~?』と笑って済ませられたのに。イエ。モノは考えようよ。三蔵法師や沙悟浄よりは、マシかもしれないわ。悟りを開くために修行の旅に出たい小学6年生なんて対応に困るし、沙悟浄みたいな『レギュラーキャラのくせに存在感ゼロで、居るのか居ないのかサッパリ分からない河童』になりたがる小学生も、正直ちょっと怖いわ。けど、猪八戒は無いわ~。アイツ、ブタよ。ブタ! 先生、間中君の将来がとっても心配!」
♢
さすがに今の僕は、猪八戒みたいになろうとは思っていない。
大食いの八戒は、エンゲル係数が高すぎる。
食費の問題だけでは無い。
僕は逃亡癖がある八戒よりも、もっと仲間を大切にするつもりだ。いざという時に頼りになる〝出来る男〟ってヤツを目指しているのだ。
だいたい良く考えると、八戒は出家の身。出家したら、ハーレムを作れないじゃないか!
僕が1人でウンウン頷いていると、馬車の扉がコンコンと外からノックされた。
すかさず、シエナさんがドアを開く。そこには、マコルさんが立っていた。
「ロスクバ村より、キクサが戻ってきました。村へ向けて出発しましょう」
モナムさんたちは、負傷している3人の襲撃者と1人分の遺体を既に荷車に積み終えていた。
手伝えなかったことを申し訳なく感じた僕が謝ると、バンヤルくんが「良いってことよ。サブローには、ミーアちゃんの尊い御身を守護するという超重要任務に集中してもらわなくちゃならないからな」と言ってくれる。
バンヤルくん、ありがとう!
でも、フィコマシー様・シエナさん・自分・ミーアの4人しか居ない馬車の中で、僕は何を警戒すれば良いんですかね?
キクサさんは、男性の村人を1人連れてきていた。彼が、荷車を牽く馬を操ってくれるそうだ。
また、フィコマシー様たちが乗っている馬車の御者は、モナムさんが務めることになった。
僕とミーアは、ロスクバ村へ向かう道中も引き続きフィコマシー様の話し相手をする。
フィコマシー様がミーアともっと交流したがったため、マコルさんやシエナさんが積極的に馬車への同乗を勧めてくれたのだ。僕は、ミーアのついで。
なんか僕だけ楽しているみたいで、肩身が狭い。
♢
ロスクバ村へと馬車がコトコト進む。
王都とナルドットの街を結んでいる主要街道と比べて、明らかに道の造りは悪い。それなのに、あんまり馬車の中が揺れない。
車輪にスプリングは無かったはず。この馬車、どういう仕様になってるのかな?
「ミーアちゃん。これは〝馬車〟よ」
「馬車にゃ」
相変わらず、フィコマシー様とミーアによる人間語の勉強が続いている。
ミーアも『ナルドットの街で冒険者になるにゃ!』と決意しているだけに、少しでも早く一般の人間と意思疎通できるようになりたいのだろう。
僕も必要な情報を入手すべく、頑張らなくちゃね。
僕はナルドットの街について、シエナさんにイロイロ質問してみることにした。
シエナさんは快く教えてくれる。ホントに親切なメイドさんだ。
シエナさんの説明によると、ナルドットの街の人口は10万くらいらしい。
ちょっと驚く。
ウェステニラの文明レベルから僕が推察していたより、はるかに街の規模が大きかったからだ。
「ナルドットは、ベスナーク王国有数の街なんですよ」
シエナさんは語る。
「ナルドットの人の多さには、それなりの理由があります。街の北を流れているトレカピ河はウェステニラ随一の大河で、ナルドットは水運を利用した交易を盛んに行っているんです。河の下流は聖セルロドス皇国に通じており、河沿いには数多くの街や集落、交易所が点在しています。ナルドットの港湾部に出入りする商船の影は、1日中絶えることがありません」
凄いな。
中国の長江沿いの重慶や、合衆国のミシシッピ川沿いのセントルイスといった地球の河港都市を連想してしまう。
「付け加えると、鉱物資源が豊かなバリオーニ山脈が、トレカピ河の上流に連なっています。ナルドットは、ベスナーク王国北西部における物資の集積地としての役割を果たしている訳です」
「なるほど。ナルドットは、商業が栄えている街なんですね」
「それだけでは、ありません。トレカピ河はベスナーク王国の北限です。そして河向こうの〝タンジェロ〟と呼ばれる地方は、どこの国にも属していない未開の大地。タンジェロの探検や開拓を目指す人々も、ナルドットに集まってくるのです」
『未開』『探検』『開拓』……興味深いワードだね。
「なぜタンジェロ大地は、どこの国にも領有されていないのですか?」
「タンジェロは、極めて危険な地なんです。数百年前に滅んだ大帝国の跡地と伝えられており、無数の廃墟や迷宮が存在しています。人間以外の様々な種族やモンスターが生息していて、たとえ軍隊を送り込んだとしても長期に渡って駐留しつづけるのは難しく……魔族の目撃情報も、あります。そのため、どの国も敢えてトレカピ河の北側に手をつけようとはしないのです」
シエナさんは、そこで少しばかり思い沈む。
「けれども、考えようによっては、冒険者にとって活躍しがいのある地帯だとも言えますね……。タンジェロにあるダンジョンに潜って一攫千金の夢を叶えた冒険者の噂を、稀に耳にすることがあります。そのような方が居られるのも、確かな事実なのでしょう。もっとも、大怪我したり命を落としたりして夢破れた冒険者は、その何十倍もの数になると思いますが……」
憂い顔になる、メイドさん。
「サブローさんやミーアちゃんも、ナルドットで冒険者になられるのですよね? くれぐれも、無茶な真似はしないでください。ナルドットは大きな街です。街中でも、その気になれば幾らでも稼げます。わざわざタンジェロへ出向かなくても、冒険者に相応しい仕事は沢山ありますよ。街近辺に時たま出没する小物のモンスター退治や、ベスナーク王国内を移動する商人の護衛などいかがでしょうか? いえ、もっと安全な任務も……」
シエナさんの思い遣りに、僕は心打たれる。
「ありがとうございます。無事冒険者になれるかどうか分かりませんが、ご忠告は胸に刻んでおきます」
「本当に気を付けて、身体を大切にしてくださいね。私、結婚する前に未亡人になるなんてイヤですから」
「は? 今なにか仰いましたか?」
「いいえ。何にも」
オカしいな。何か変なセリフが聞こえたような気がしたけど、勘違いかな。
シエナさんは、話をまとめてくれた。
ナルドットの街はベスナーク王国北部防衛の要であるとともに物流拠点でもあり、更にはタンジェロ大地への探検基地にもなっている。商人以外にも軍人や冒険者など多くの人間が在住するため、必然的に人口が多い。獣人の森からベスナーク王国へ出てきた猫族や犬族たちが最初に訪れる街も、基本的にはナルドットなのだ。
こんな複雑な街を巧みに治めているナルドット侯は、優れた領主様と言えるだろう。さすが、フィコマシー様の父君だ。
フィコマシー様の扱いに手を抜きすぎている点は、引っ掛かるが。
シエナさんは、僕がどんな事象を尋ねてもスラスラ答えてくれる。とても一介のメイドとは思えない、知識量だ。
「いろいろ教えてくださって、なんとお礼を申し上げて良いやら……感謝の言葉もありません。シエナさんは、本当に物知りですね。博識ぶりに、脱帽ですよ」
「お姉さんは、何でも知っているのです。全て、お姉さんに任せてください」
「え?」
「え?」
疲れてるのかな。どうもさっきから、幻聴がする。
「夫を支えるのは、メイド妻の役目」とか「モブなお姉さんは、おキライですか?」とか「全自動メイドご奉仕タイムキャンペーン中。ぜひとも、ご利用を!」とか……シエナさんが、時々ポンコツなセリフを口にしているような……。
イヤイヤ、何を馬鹿な! いつも冷静沈着な完璧メイドのシエナさんに限って、そんなことある訳無い。
ある訳無い……よね?
お忘れかもしれませんが、サブローの本名は間中三郎です。
あと『西遊記』の沙悟浄が河童というのは、日本人が勝手に言ってるだけだそうです。河童は日本オリジナルの妖怪だそうで……。
それじゃ沙悟浄は何の妖怪かと言うと、原典では〝正体不明・訳分かんない〟って感じです。孫悟空・猪八戒と比べて、設定が手抜き過ぎる……。




