外伝:幕間劇
本日は短編二話です
後書きにちょっと決定的な違いの部分をば
幕間1『ある老魔術師の回想』
(随分と寂しくなったものだ)
老魔術師は寂しげな溜息をついた。
私塾と呼ばれる類の魔術師の為の学校。彼がここを開いた時には随分と大勢の若者がその門を叩き、賑わっていたものだったがここ十年程の間に急速に寂れてしまった。
別に彼の腕が悪いとか、他に優秀な競争相手が出現したという事ではない。むしろ、私塾はここの所急速にその数を減らしている。まともに残っているのは目敏く経営方針を変えた者達、複数の私塾を統合し、魔術を教える方法を根本から変えてしまった者達の経営する「学園」ぐらいだ。
今時、それが正しいのは分かっている。彼らの中には老魔術師と知己であった者もおり、そうした人物から彼も参加しないかと誘われた事もあった。
だが、彼はそれを断った。
分かってはいたのだろう。どこか寂しげに、そして自嘲の笑みを浮かべ、相手はそれ以上の言葉は告げなかった。ただ「気が変わったら何時でも言ってくれ」とだけ。
以後も仲が悪くなった訳ではなく、時折あちらの休みには互いに酒を酌み交わしたりしている。幸いというか何というか、彼の側は暇を持て余す日々となっており、あちらに合わせるのはそう苦労しなかった。ただ、元々酒好きの男だったが、昨今はとみに量が増えた気がするのが気にかかる所だ。
(無理もないか)
無論、私塾と比べてずっと大きくなった「学園」の運営に苦労しているのもあるだろうが、それと同時に知人とて好き好んで今の学園を運営しているのではない、という事なのだろう。
魔術を学び、共に研鑽してきた身だ。それぐらいは分かる。
(科学か)
百年以上前からじょじょに広がりを見せていたそれは、一旦発展を始めるとその発展速度を急速に上げ、魔術を次第に変質させ始めた。
原因は単純だ。
数年をかけて魔術の制御を学び、初級魔術を身に着ける。その後、制御と魔力量を増大させ、中級へ。一部の才能ある者は上級の魔術を学んでいく。
その初級魔術に匹敵する事を科学は「誰にでも買ったその日から即座に」可能とする。
水が低きに流れるように、人は楽に流れる。
長い研鑽を積んで一人前の魔術師になるよりも、多くはそれに飛びついた。
そんな中、一部の者達は自らの生き残りをかけて、動いた。
『魔術でもっとも時間がかかるはその制御、ならそれを短くすればいい』
加えて、本来求められるような基礎を簡素にし、実際の現場で求められるような魔術の習得に力を注ぐ。
魔術の制御を最低限の部分以外は道具頼りにして短期間で実践の場へと移る。
これによって、かつての魔術師が数年をかけていた部分は一気に一月ほどへと短縮された。
本当ならば危険な行為だ。
道具はあくまで補助の為のものであり、あくまで魔術は魔術師自身が制御しなければならない。その重要性を古くからの魔術師達は重々理解している。
魔法制御を道具に任せる事は危険だ。
古来より魔法制御を為す為の道具は開発され続けてきた。だが、それはあくまで最後の砦としてのものだった。
実の所、道具自体はとうに更なる改良方法は予想されていた。だが、『自分で制御出来てこそ一人前』という考えが魔術師には根強くあった。これは別に新米に対する優越という問題ではなく、制御し損ねた魔法はろくな結果を生み出さない。初級の魔法なら軽い怪我程度で済むだろうが、中級へと進めば失敗は命に関わり、上級ともなれば周囲の者まで巻き込む事になる。
だからこそ、自力で制御する、出来るようになる、という事は必須の技術であり、それでも何等かのミスやトラブルで制御に失敗する可能性がある以上、制御を行える道具の補助によって被害を抑える。それが魔術師だった、はずだった。
今は違う。
制御技術は完全に道具に頼り切りの癖に「魔術師」と名乗る輩の何と多い事か。
それどころか、昨今は肝心要の魔法そのものすら道具頼り、となる者が続出していた。幾つかの指定された魔法だけ使えるという魔道具がある。もっともこれははっきり言って本物の魔術師にとってはオモチャのようなものだ。
何しろ、流れ込む力も術式も全て固定。
敢えて多めの力を込めて効率悪化と引き換えに威力を増すとか、術式に別術式を付け加えてちょっと違う魔法、例えば同じ火の球を発射する魔法でも追尾性能を組み込んだり、爆発する要素を組み込んだりするとか、そういった事が何も出来ない。火球を発射する魔法ならそれだけ。ただ、単発の火球が飛んでいくだけの魔法しか使えない。
そうした要素を組み込めば、複雑化した術式は魔道具の許容量を急速に食い潰していく。
火と風と水と土、一般的な四つの攻撃魔法を組み込んだ魔道具と、幾つかの特殊能力が発動可能だが火の攻撃魔法が一つしか入っていない魔道具。これらでは前者が圧倒的に人気が高い。
「複数の魔道具持てばいいじゃないか」、そう考える者もいるかもしれない。というか、まず最初に考える事は誰でも同じだろう。だが、これがそうはいかない。
何せ、術式を刻み込まねばならない魔道具はどうしてもそれなりの大きさとそれに見合うだけの重さがある。術式自体は紙などに書き込んで用いる事も出来るし、使う事も出来る。ところが、今度は耐久性に劣るという現実が立ちはだかる事になる。
紙に記された術式に魔力を流し込めば、きちんと下処置を施したものでも一度発動すれば持ち堪えられずビリビリに破れてしまうのがオチ。当然、一回こっきりの使い捨て確定だ。術式を書く手間はかかるのに一枚一枚片端から使い捨て。もちろん、それが可能な裕福な人物だっているだろうし、そういう人物なら本状にして持ち歩けば、多種多様な魔法を用いる事も出来るだろう。
しかし、それはそれで使う度に目的とするページを開かないといけないという手間がかかる上、本も頁が増えれば相当な重さになってしまうという点は変わらない。本を鞄などに入れて持ち運んだ経験は誰でもあるだろうが、薄い本が一冊二冊ならともかく、辞書のような分厚い本を何冊も詰め込むとこれが実に重い。
多彩な魔法を使える代わりにコストも重量もかかるのが紙に記された形式の魔道具だとすれば、数は限定される代わりに何度も用いる事が出来るのが金属製の魔道具だ。
こちらは作成に紙以上の手間がかかる。一個一個手作業で術式を彫金するのだから当然だが。ただし、補助の宝石なども組み込める分、威力もこちらの方が一般的に上で――そこら辺は矢張り作り手の差というものがあって、熟練者と駆け出しでは互いに最高の素材を用いても出来栄えには大きな差が出る――何より大きいのは回数が基本的に(きちんと手入れしておけば)制限がないという点だ。
ただし、こちらは先に述べた四つ程度の魔法が使える魔道具でさえ、効率化が進み、かつてのそれに比べれば小型化が進んだ今でさえ五つもつければ相当な重量になる。それこそ全身鎧とまではさすがにいかないにせよ、体を鍛えていないと相当きつい。そして、何年もの修行を嫌って手っ取り早く魔法を使おうとするような連中がコツコツとそれに耐えられるように体を鍛えるなどという手間をかけるような連中は殆どいない。いてもそんな連中は大抵の場合、剣なりで戦う者が補助として魔法を取得する為のもの。
魔術師が体を鍛えるのではなく、騎士や剣士など体を鍛えている者が魔法を扱えるようになっただけ、とも言う。
結果として、現在一般的な魔術師となると……まあ、魔道具なんて金のかかる代物をそろえられる時点でそれなりの裕福な連中確定な訳だが、お陰でそういう連中ときたらゴテゴテと無駄な装飾を好む連中も多いというか普段身に着ける装飾品としての価値も持たせている事が殆どだ。つまり、金だの銀だので無駄な装飾が追加で施されている。
お陰で無駄に凝った装飾のローブなどと相まって、目に痛い事……より正確には魔術師というよりはどこぞの貴族か成金のような身なりという事だ。
幸いというか、そういう連中ばかりではない。
というよりも魔道具を作ろうだの、新たに魔法を開発しようだのという連中は自力制御が出来なければ話にならない。結果として、通常の一人前の魔術師と、かつてはそこまでいって一人前だった上級魔術師の二つに分かれてきている。しかし……。
(それとて何時までもつやら)
魔道具作成を行う職人だの新たな魔術を開発する技術者だのは当り前だが、魔法の技術は専門の魔術師に比べて腕が劣る。
何せ、ひたすらに魔力制御をこなし、魔法を唱える詠唱の素早さを磨く使い手に対して、彼らは魔力の制御が出来るようになれば彫金などの細工の技術や勉強を行い、或いは書物や様々な魔術を書き連ねては試す研究に時間を割く。そう、剣を振る練習をするのではなく、剣を鍛える事や、剣の構造や歴史を研究するのに重点を置けば、剣を振るい続けた者に普通、剣の腕前で勝てる訳がない。
同じように現在の「本物の魔術師」の戦闘での腕も急速に衰えつつあるのだ。自分の若い頃とは違って……。
「これもまた時代の流れ、という奴、か……」
老魔術師は寂しげに呟いた。
彼がこの街最後の私塾を閉じ、引退したのはそれから間もなくだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
幕間2『国の思惑』
「ふむ」
国家軍属魔術師による攻撃を見て、将軍は満足そうに頷いた。
「よし、これなら問題あるまい」
均一の攻撃であり、同じような火力。
作られた統一された戦列がそこにはあった。
「……これまでの魔術師共は使いづらかったからな」
「はっ、同感です」
将軍のぼやきに、副官が同意した。周囲の軍人も賛同の声を上げている。
魔術師という仕事は専門職だった。
それが、科学の急速な発展でそれに置いて行かれまいとした攻撃魔術の使い手達がこれまで見下してきた魔道具を用いての魔術師育成に大々的に乗り出したのだ。元から存在していた魔道具の職人などの道へ進んだ魔術師は別に苦労などしていない。科学と魔法ではその仕組みが全然違うからだ。
科学という道で鍛冶を行うならば、それは叩き、削り、或いは熱し、冷やし、と様々な工程を経る。しかし、熟練した魔法を用いれば一瞬だ。
何より大きいのは細密な加工や、通常の鍛冶技術では歯の立たない金属や鉱物でも加工出来る事。
無論、将来的に科学でもってしても、それらは可能となるのかもしれない。しかし、今は無理だ。それに……いや、今はいいだろう。
しかし、軍は魔術師の編成には実の所古来より毎度苦労していた。理由は簡単だ。魔術師という人種の使う魔法は強さが実に安定しないからだ。
魔法を排除する事は考えられない。魔法の強さは魅力的であり、戦闘では実に役立つ。
しかし、例えば騎士の突撃にせよ、或いは兵士の行軍にせよ突出した動きは軍にとっては有害なものでしかない。軍にとって理想なのは一糸乱れぬ統一された動きなのだ。
魔道具は高価とはいえ、それは高い品質と複数の術式を、互いに干渉する事なしに一つの道具に籠めようとするからだ。形状をあちらこちらに身に着ける為にネックレスや腕輪、或いは胸甲などの防具形状にしている事も影響している。それらに装飾を施せば、更に高価なものになる。一流の魔道具職人によって装飾を施されたものは最早一個の芸術品だ。
しかし、軍が使うのにそのようなものは必要ない。
貴族や裕福な商人の子弟が使いたいなら、それは個人で調達させればいい。
軍が必要とするのは共通の道具。
書き込みやすい一枚板に、干渉しないように気を遣わずともいいように一つの術式のみを刻み込む。それらを一人辺り三枚程度、専用の背嚢によって背負わせる。
これならば突出した腕を持つ魔道具職人は必要ない。
板に細かな装飾を施す意味も感じられない。
冒険者ならば自力で全てを持ち運ばねばならないから、なるだけ一つの道具に複数の術式を刻んだ魔道具を求めるが、それらを別途専門の輸送部隊に運ばせる事の出来る軍では単純化しても構わない。別の魔法が必要なら背嚢から一枚抜いて、別の板に入れ替えればいいだけの話だ。
(以前はこうはいかなかったからな)
宮廷魔術師などは魔法研究を専門とするように変わりつつある。
若い頃将軍は魔術師達と行動を共にした事があるが、その厄介さをよく覚えている。
魔術師達が高慢だった、とか魔法を使えない者を見下すといった事があった訳ではない。彼らとて誰彼構わず喧嘩を売っていれば思わぬ所で足をすくわれる事がある事も、或いは魔法の腕は自分の方が優れていても力ある貴族を敵に回せば、より腕の劣る者が上位者に据えられる事だってある。
結局、高慢な奴や研究バカはそれでも周囲を黙らせる事の出来る余程の凄腕でもない限り、一定の所から先へは進めないと大抵の者は理解する。
問題は以前は取得が各魔術師次第だった事だ。
彼らは自分に一番「しっくりくる」魔法を取得していた。お陰で、魔術師ごとに射程が大きく異なったり、属性が干渉しあって変な反応を引き起こす危険性があったので通常の指揮系統に組み込みづらかったのだ。何せ、彼らは当然得意な魔法を使う訳だが、炎が燃え広がるような魔法を撃った所に、氷の矢が降り注ぐような魔法を撃つとより強く制御された魔法の側が優先され、炎が消えてしまったり、氷の矢が溶けてしまったりといった事が発生してしまった事があったからだ。
無論、良い事もあった。今、眼前で魔法を使っている者達より彼らの方がずっと威力も高く、射程も長かったという点だ。
しかし、それを有効に活かす為には指揮官かせめて指揮官の周囲の誰かが彼らがどんな魔法を使えるかも覚えておかねばならなかった。そうでないなら、いちいち魔術師達に聞かねばならなかった分、手間と時間がかかったものだ。
「しかし」
「?」
「お陰で、統一された魔法を効率的に使う為の作戦を考えるのが大変だよ」
そんなある種贅沢な将軍のぼやきに、苦笑――その大変さを体感している者は同じく溜息をついていたが――が思わず周囲の一同から洩れたのだった。
という訳で、魔法の変遷に関してのお話を個人レベルと国家レベルにて
前書きで書いておりましたが、私達の世界との大きな違いとしてこの世界には
「火薬はありません」
単発術式を刻んだ魔道具だけなら一枚板に書き込めば見た目はともかく割合安く上がります。大量生産するならそこまで優れた腕は必要ないので、余所では見習いレベルの腕でも同じものを一枚板に刻むだけなら十分です
あくまで「見た目にも綺麗で、尚且つ腕輪だの首飾りだの複雑な形状のものに複数刻む」から高値になる訳です
この為、火薬よりずっと効率がいいので火薬がこの世界、全然発展してません。危ないし、威力も足りない、湿気ったら使えないと不便なので……




