第十七話:竜王動乱
「まったく……」
世の中思うようにいかねえな。
老船長ことエドゥアール船長は溜息と共にそう思った。
「おう、お前ら、至急あっちに退避命令を出せ!提案じゃねえぞ、命令だ!!」
本来、彼の船が命令を出す事はない。ジュール王子が乗っている以上、この二隻だけの小艦隊であろうと旗艦はあちらであり、随伴艦が出来るのは提案のみだ。如何にあちらの船長や船員がベテラン揃いのこちらに敬意を払ってくれている、と言ってもそれとこれとは別だ。
だが、今回、エドゥアールは『命令』を出した。
理由はただ一つ、提案では間に合わないと判断したからだ。
「……竜王直々のお出ましか」
エドゥアール船長はかつて大地の竜王の姿を見た事があった。
まだ彼が若く、無謀と勇気を勘違いしていた頃の話。彼と友人達とで密かに対岸へと上陸した事があった。
当時の彼は魔獣狩りにようやっと連れて行ってもらえるようになったばかりの新米だった。これで魔獣に苦戦したり、危険な目に遭っていれば控えたのだろうが……なまじ「珍しい事もあるもんだ」とベテランが言う程に上手く狩れた為に気が大きくなっていた事は否めない。
もちろん親や先輩となる魔獣漁師からは「それはしてはならない」と言っていた。言っていたのだが……してはならないと煩い程に言われたからこそ、やってみたくなった訳だ。
結果から言えば、森へと踏み込んで早々に現れた竜王に静かに小船の前へと戻されていた。
ほんの一瞬の邂逅だったが……それだけで十分すぎた。しばらく、全員小船の前で動けず、呆然としていた。
(あん時は帰ってから親父達に目一杯怒鳴られたもんだったな)
ふと懐かしく感じる。
いや、分かっている、所詮逃避だ。
あの時は竜王から感じたのはただ、ただ畏怖のみだった。
今は……違う。
今感じるのはただ腹の底からこみあげてくる恐怖。
(あの龍に攻撃した後で現れて、ああまで怒ってるってこたぁ……子供なのかもしれねえな)
まさか大地の竜王が将来は番にと考えている個体だとは思わない。とはいえ、もし、知っていたとしても何の役にも立たなかっただろうが……。
「向こうはどうだ!」
「……動き出しました!!」
「『了解』の旗が返って来てまさあ!!」
そうか、と答えつつも内心では「遅せえ!」という苛立ちがある。言っても部下を萎縮させるだけだから黙ってはいるが……。それに怒鳴りたいのはあっちの船であって、部下達ではない。まあ、もっとも向こうの反応が遅かった理由も大体想像がつく。船長はこちらの旗信号に気付いただろうし、すぐに準備させただろうが王子が乗っている。その了解を得なければならない。
……これまで大切に守られてきたお坊ちゃんだ。竜王の咆哮にびびりはしただろうが、すぐ退避すべきって事を理解するまでに時間がかかったのだろう。……これまで警護の者が何とか出来ない相手なんていなかっただろうからな。さっきの龍も追い払った訳だし。
まあ、どちらにせよ……。
(行動が多少早かろうが何だろうが、間に合うか怪しいもんだしな……)
という事だ。
船なんてものは動き出すのに時間がかかる。
無論、魔法を駆使する事で通常の帆船より余程早く動きだせるが、魔法に関しては相手の方が遥かに上……そもそも。
「おい、岸の様子はどうだ!!」
「……!!見えました!空から急速接近中!!」
これだ。
大地の竜王と呼んじゃいるが竜が空を飛ぶってのはよく知られた話だ。大地の竜王が飛べないと考えるのは甘いだろうと思っていたが、予想が当っても全然嬉しくない。
幸い、というか水龍は姿を消した。
おそらく雷撃を嫌がって逃げ出したんだと思うが……。
実際は大地の竜王の出現を感知したテンペスタがこのままだと我を忘れた大地の竜王が水龍まで巻き込んでしまうんじゃ……と懸念した結果、そっと押さえ込むのを断念して少々強引に水中に引きずり込んだだけだったりする。
その結果として、水中で尚も暴れる水龍を怪我させないよう抑えるのに苦心惨憺して手が離せなかった訳だが……。
そんな事情をエドゥアール船長が知る由もない。
「……若い連中は水に飛び込ませろ、ボートを降ろす時間もねえ」
「分かってる、ぐだぐだ言う奴は放り込ませてる」
「……すまねえな」
長年の付き合い、若い頃馬鹿をやった友人の一人でもある甲板長にそう声をかける。
謝罪の言葉に甲板長は「死ぬのは年食った奴からでいいさ」、そう覚悟を決めた顔で笑って告げ、仕事へと戻る。
そう、これから彼らは急速に近づく大地の竜王へと攻撃をかける。
それによって、少しでも竜王の気を逸らさせる。彼らに構って、旗艦への怒りを忘れてくれれば万々歳だ。……片手間に彼らを吹き飛ばして、そのまま旗艦に向かう可能性に関しては考えない。どうせその時は自分達はあの世に旅立った後だ。
「引き付けて攻撃するんだ……よし、撃て!……なにっ!?」
接近した所で一斉に魔法を使える者を動員しての雷撃攻撃。
推定大地の竜王の子へと行った行動の焼き直しでより注意を引くつもりだった。
確かに注意は引けた。
だが……直後にふるわれた尻尾の一撃が仮にも軍船を一撃で吹き飛ばす事になるとは思わなかっただろう。無論、軍船といった所で所詮は木製の船であり、大きいとはいえ湖に浮かぶ船。精々、全長で二十メートルといった所だったが、それでも一撃で木っ端微塵にされるとは思わなかっただろう。
それだけ大地の竜王という存在を見誤っていたとも言えるし、関わらないようにしていた故の無知とも言えるだろう。
一つだけはっきりしているのは僅かな、本当に僅かな足止めとも言えない時間と引き換えに二隻の軍船の片割れが粉砕され、乗組員は湖へと投げ出されたという現実だった。
もちろん、その中にはエドゥアール船長も含まれる。
(がはッ……!)
粉砕された船の一部によって呼気が洩れそうになりながら、エドゥアール船長は懸命に堪えた。
自らを水に沈めた船の一部は鉄製の、おそらくは形状から弩砲の台座の一部と思われるが、それは着実にエドゥアール船長を水底に引きずり込もうとしている。空気を吐き出してしまう事は何としても堪えねばならなかった。
それでも直撃を受け、船諸共木っ端微塵にされた船員よりは幸運だったであろうが……実の所、彼が最も幸運な一人であった事はすぐに判明する事になる。
懸命の奮闘によってかろうじて引っかかった服をナイフで切り裂き、水面を目指す。
熟練の船乗りであるエドゥアールにしてギリギリだったが……結果から言えば、それが彼を救った。
「ぶはッ!……うん?な、なんだこれは……」
ぜえぜえ、と荒い息をつきながら貪るように空気を肺へと取り込む。
ついでに近くに浮いていた板切れを掴み、ようやっと周囲を見回す余裕の出来たエドゥアール船長は周囲を見て呆然とした口調で呟いた。
離脱を図っていたはずの旗艦の姿は最早存在しない。
それはいい。いや、良くないが覚悟していた事だ。
しかし……。
「……おい!……ッ、くそっ……」
傍らに浮く見覚えのある甲板長の姿に手を伸ばしかけたエドゥアールは……一瞬の躊躇の後、彼の髪の一部を手放していなかったナイフで切り取る。
……最早彼が生きてはいないのは明白であったからだ。
「……どういう事なんだ、こいつは」
周囲には多数の死体が浮かんでいた。
その大半は殆ど傷もなく……。
エドゥアールは水に沈み、もがいていたので知る事はなかったが大地の竜王が使ったのは蒸気雲爆発、という現象だった。
大気中に漂う水分を自らの地の属性を用いて可燃物へと変換。
更に大気中に起こした火花によって着火。大爆発を引き起こした。
結果として衝撃波に加え、一酸化炭素を大量に含む酸素バランスの悪い大気が襲い掛かってきた事によって最初の衝撃波を逃れた者も窒息死したような状態で死んでいた訳だ。エドゥアールは水死ギリギリまで水中に結果的にいた為にこれらをやり過ごす事が出来た幸運な者の一人だった、という訳だ。
これに対して王子を含めた近衛らの一部は少しでも助かる確率を上げる為に湖に放り出されていた。こちらもボートを降ろしている余裕などなかったから板切れが精々だったが、大きな問題として彼らはいずれも泳ぎを知らなかった。もっとも、これは仕方のない面もある。
この世界の住人というのは泳げる者は限られている。何しろ、教育といえば貴族や王族が跡継ぎに施す家庭教師が主体であり、彼らが教えるのも政治や礼儀作法、魔法などが主体。泳ぎなど水兵や漁師、湖の近くに住んでいるなどといった人々を除けば習得していないのが普通だ。
そしてジュール王子もまたそうだった。彼にはのんびり泳ぐ以上にやらねばならない運動も勉強も一杯あったからそこは仕方がない。
そんな泳げない、足のつかないような水の中にいきなり放り込まれた人物がどうなるか、など考えるまでもない。混乱して、もがく姿に慌てて板を抱えて近づく近衛の姿が見えた。その辺はおそらく故郷の川で遊んだ経験があったのかもしれない。だが、近衛の中には簡易とはいえ鎧を身に着けている事や自分達も泳げない事を忘れて飛び込んだ挙句に溺れる人数を増やしているだけの者もいる。
一つだけはっきりしているのは板切れに捕まっていても溺れるような気分になる彼らは懸命に水上に自らの頭を出し、荒い息をついていただろう。
そうして……水中に結果的に長時間潜り続ける事になってしまった極一部の者だけが助かった訳だ。
竜王というのは極めて長い時間を生きている。
そうした竜の多くは魔法の改良などをある種の趣味としている事はかつて述べた。
結果として、大抵の上位竜は独自に発展させた独自の魔法というものを有している。長く生きた体験から知りえた自然現象を再現したものや、それらを更に発展させたものもある。今回、大地の竜王が用いたのも、そうしたものの一つ。
かつて住んでいた洞穴内で起きた現象、洞穴の壁に露出していた石炭の粉塵が、鉱物で構築された竜王の体で起きた火花によって引火して起きた爆発的燃焼現象。
それを元として改良を重ねて編み出された魔法。
大気中の水分を可燃物へと変換し、一気に広範囲を焼き払うそんな魔法として構築されたものであり、現在の無惨な状態は大地の竜王が狙っていた訳ではない。竜王自身はあくまで竜の吐息以上に広範囲をまとめて攻撃出来る魔法として用いたに過ぎない。
というのも、この魔法を大地の竜王は人相手に使った事はなかったからだ。
上位竜となればそもそもそんな相手に喧嘩を挑もうと考える奴自体がろくにいない。獣なら竜王という絶対的上位者の気配を感知した時点でさっさと逃走するし、時折発生する馬鹿な人程度ならそこまで派手な魔法で周囲まで吹き飛ばす必要もない。
それだけにここまで残酷な結果をもたらす魔法だとは知らなかった……まあ、今の大地の竜王にそんな認識なんか出来はしないが。
「……?なんだ?……!あの方向は、まさか!?」
大地の竜王が飛び去った方向は街の方向。
まだ怒りが治まらないという事なのか。
エドゥアール船長は咄嗟に動こうとして……何も出来ない事に気がついた。
船は二隻とも木っ端微塵。
周囲は死体だらけ。船員も殆ど死に、自分以外に生存者がどれだけいるかも分からない。
緊急連絡用の道具もない訳ではないが、おそらく船の他の備品共々今頃は湖の底。
ましてや相手は空を飛んでいる。
これから探せば何人かはいるであろう生存者を探し、無事なボートを見つけ、浮いている食料などを回収して街へと向かう。
どう考えた所で、自分達が辿り着く頃には全ては終わった後だろう。エドゥアール船長は自分に出来る事は何もない、という事に気づいて歯噛みするしかなかった。
「ちくしょう……」
彼に出来る事は少しでも被害が減るよう祈るだけだった。
呻くようにエドゥアールは呟いた。
「誰でもいい、誰か大地の竜王を鎮めてくれる奴はいねえのか……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実はいた。
この近辺でエドゥアール船長の切なる思いを実現可能な唯一の存在とも言えるテンペスタはようやっと混乱し暴れる水龍を抑える事に成功し、寝かしつけた所だった。
「やっと落ち着いたか」
小さな子供の世話は何時の時代何処の世界も大変だ。
成竜となれば殆ど睡眠を取る必要もないが、幼竜の間は成竜となる為に体の中身を整えるという意味合いで睡眠が必要となる。
「さて、とりあえず……」
気付いてみれば、軍船に関しては既に終わった後だった。
お陰で、テンペスタは大地の竜王が如何なる手段を用いて彼らを吹き飛ばしたのか見ていない。
通常ならばそれぐらいの余裕はあるのだが……今回は水龍を傷つけないように取り押さえ、宥めて寝かしつけるという慣れない行為に意識をとられてしまった。お陰で、他に意識を回す余裕がなくなってしまい、肝心な所を見逃した訳だが。
「?おい、まだそっちは落ち着いてないのか?」
勘弁してくれ。
そう言いたい。
とはいえ……。
「……とにかく行ってみるか」
まだなるだけ顔を合わさない方がいいだろう、そう判断するとテンペスタは水中で自身の体を気泡で包み込む。
そのまま一気に加速する。
水中を動く物体は水という空気に比べ遥かに巨大な抵抗を持つ物質によって速度を大幅に制限される。
だが、気泡で全身を包み込み、水との接点をなくす事によってその抵抗を減らし、大幅に速度を上げる事が可能となる。
さすがにそれでも空を舞う大地の竜王には追いつけないが、それでも恐るべき速度で水中を突き進んでゆく。
これで、大地の竜王が水の音を聞く力でも持っていれば即座に感づかれるだろう、というぐらいの騒音を水中に撒き散らしての進行であり、湖に生きる動物達にとっては迷惑以外の何物でもなかったが。事実、余りの速度に逃げる余裕もなく、進行方向にいた魚群がミンチにされたり、音を聞く事に優れた魚型の魔獣がぷっかり水面に気絶して浮いたりする事になったりしていたのだが、テンペスタには些細な事だ。
そうして到着した時、街は……既に火の海であった。
「まあ、こうなるとは予想はしてたが」
さて、どうするか、とテンペスタは思い悩む。
実力行使自体は問題ない。
前回と異なり、今回は大地の竜王は自身の庭園を飛び出して活動している。
自ら庭園の外に出て来た相手とやりあった所で、それは知られた所で他の竜王と出会った際に問題となる事はない。無論、知られた場合、という事だが当然と言えば当然の話で、それぞれの家、それぞれの国のやり方にはそれぞれの理由がある。
無論、余所に迷惑をかけなければ、といった制約はあるが、基本的に余所の家に行って暴れるような奴を迎え入れるような家は普通はない。
逆に言えば、外で暴れている相手を取り押さえる分には問題ないという事だ。
もちろん、だからといってやり過ぎないよう注意はしなければならないが……。
問題は現在のテンペスタに大地の竜王を止める意味がない事にある。
元々、テンペスタは別に人という種族に対して好意を持っていたのではなく、あくまで個人レベルで好意を持っていたにすぎない。
キアラの命を狙ってきた貴族だのを見ていれば、そうなっても仕方のない話ではあるがそれだけに身も蓋もない事を言ってしまえば……。
『無関係な連中の為に何で自分が体張らんといかんのだ』
という事になる。
それを薄情だ!と非難するのは簡単だが、テンペスタは竜であり、人ではない。
ただ、今回の場合、「さすがにやりすぎなんじゃ?」と思っているから迷っているだけだ。
もっとも、次の瞬間、そんな迷いは意味をなくしてしまったのだが……。
思わず、体が動いていた。
そうとしか言いようがない。
空に浮く大地の竜王に水中から飛び出したテンペスタは体当たりをかけた。
地の属性に関してならばともかく、水と風の属性に関してはテンペスタの方が遥かに習熟している。感知も回避もさせる事なく、大地の竜王を弾き飛ばしたテンペスタは空中で大地の竜王と睨みあう形となった。
内心で自分自身に溜息をつきながら意識の一部を地上へと向ける。
「……我ながら未練がましい」
そこにいたのは一人の少女。
「……落ち着いて見れば似ている所なぞ髪の色合いと長さ程度しかないというのに」
顔立ちも背格好も雰囲気も服装も髪以外は何もかもかつての相棒とは異なるというのに、そんな僅かな類似で思わず悩んでいた事すら忘れて、飛び出してしまう。そんな自分に呆れてしまう。
もう彼女が亡くなって何年も過ぎているというのに、と言えばいいのかそれともまだその程度と考えるべきなのか。
内心苦笑を浮かべ、魔法を発動させる。
少女の姿を確認した事で、周囲の様子にも気付いたからだ。
もう一体の竜の登場で、どの街の住人も呆然として立ち尽くしている。いきなり衝突音が響き渡って空を見上げてみれば、二体の竜が対峙中、空中という遮る物のない場所故に街のどこからでもその様子がはっきり見えているとなればそれも仕方のない事かとは思うが、今は……。
『今の内だ、早く逃げろ!!』
視線を逸らす事なく、風の属性にて大気を振動させ音を作り出す。
本格的に使うのは初めての魔法だが会話を交わすならともかく、この程度ならば問題ない。
そして、その声が響いた瞬間、魔法を使った事で大地の竜王が動く。
竜王同士の本当の意味での戦いが始まろうとしていた。
自由空間蒸気雲爆発……人為的に引き起こされた者を現代の私達はこう呼びます
燃料気化爆弾、と
この原点自体は自然現象です
テンペスタの水中移動はスーパーキャビテーション魚雷と同じです
いやあ、魔法って便利ですね
……しかしまあ、本当ならもっと明るく「よし、次は半分がた書きあがってるワールドを挙げるぜ!」と言いたかったけど……酷く気分の落ち込む話を聞かされる事になり落ち込んでおります……
場合によっては新しい仕事を探さないといけないかも……はい、そういう事です、ええ




