第十五話:事件のそれは始まり
「君もあの子を狙っているの?そうなのね?」
「いや、俺はノーマルだから」
「ダメよ、あの子は私のもの。そうね、邪魔者は排除しないといけないの」
「いや、だからこっちの言葉聞けよ」
「死んで、というか死ね」
「だから話聞けええっ!!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
などという僅かなやり取りの後即座に地に消えた竜王に慌てて空に舞い上がったのは正解だった。
直後真下から大地が槍のように襲い掛かってきたからだ。
まるで蛇のようにのたうちながら、空のテンペスタへと伸びてきたが、至近距離からならともかく空へと舞い上がって距離があればどうとでもなる。
とはいえ、破壊しても余計な力を使うだけ、と見たテンペスタはその隙間をすり抜ける。その際に同じ地の属性を用いて、槍へと干渉する。もちろん、相手の方が先に力を及ぼしている、すなわち武器として握っている状態である上に扱い慣れているという事もあり、それを改めて掌握し、奪うという事は出来ないが動きを制限し、逸らす事ぐらいは出来る。
そして、それで十分だった。
近くを通る瞬間、大地の槍から礫が飛び出そうとしたようだが、それらは勢いがなく、そのまま力なく落ちてゆく。
その様子を見る事もなく、内心でテンペスタは相手を罵っていた。
(幾ら何でも短絡的すぎるだろう!!……いや)
だが、すぐに違和感に気付く。
(短絡的に、すぎる?)
殆ど一つしか見えていないかのような行動。
こちらの声すら届かない異様な態度。
異界の知識にある所の『ヤンデレ』とかいうのに通じなくもないが、そんな言葉で片付けられない何かを感じるのだ。
(そういえば……)
ふと、テンペスタは考える。
(親父もえらい長い事お袋口説いてたんだよな)
大嵐龍王が母竜王を口説き落とすのにかかった時間は二百五十年余。
幾ら気長な竜とはいえ……さすがに長すぎると思う。
これまでは「親父もお袋も気の長い事で」ぐらいにしか思っていなかったが、もしかして何か理由があるのかもしれない。
下方から襲い掛かる攻撃を回避しながらテンペスタはそう考えた。
(攻撃が荒い、が……)
こうして考える余裕があるのも相手からの攻撃が荒いからだ。
攻撃こそ「これでもか!これでもかッ!!」とばかりに放たれてはいるが、それはヒステリーを起こした女性が手当たり次第に手近な物を投げつけているようなもの、冷静に距離を置けば回避に問題はない。
問題はこのままこの地を離れる訳にはいかない、という事だ。
(今、この我を忘れた状態で放置したら……)
その時は巻き込まれる者が出る事になるだろう。
最悪、あの水龍まで巻き添えを食らう事になりかねない。
少なくともある程度落ち着いて……ヒステリーでも癇癪でもいいが、冷静な攻撃が可能になるまでは留まるべきだった。
そうやって相手の区別がつくレベルになったら一旦脱出して、後で遠くから声を届ける事で和解を図る、それがテンペスタの狙いだった。
何しろ、竜王という存在は単純な「ただ強い奴」というものではない。
確かに母竜は長い事本来の住処を留守にしていたが、それはあくまで子育てという例外であり、地元にはきちんと「印」を残していた。だからこそ、母竜の留守の間に通常の魔獣が暴れたりする事はなかった。別の竜王が入り込んだのはただ単に相手が経験不足だっただけの話だ。他の竜王は理解していたからこそ、未干渉だった。
ここら辺は縄張りを定めれば、近隣の竜王がきっちり教えにかかるのだが……。
無論、テンペスタの場合は父龍王から教わった知識の一つだったが、竜王がいなくなると安定した力を求めた魔獣が、下位竜が動き出す。所詮知性という分野では動物である彼らは互いにその整えられた地の力を奪い合い、相争う。……彼らには利用する術がなくとも、だ。
殆ど快適な寝床を奪い合う程度の感覚でしかない。
しかし、それでも周辺は多大な迷惑を蒙る事になる。だからこそ、ある程度落ち着いてから離れようとテンペスタは考えた訳だ。
実の所、テンペスタの考えは竜王の根源とも言うべき部分に関わる事だった。
感情の波が殆どなく、自然とほぼ一体化した年経た竜王の精神はそれだけに殆ど唯一、子孫を残す事にも関係する恋愛感情を抱いた対象が関わってきた時、大きく揺れ動く。
良い方向に働けばいいが、悪い方向に働けば……こうなる。
通常殆ど動かないだけに制御の必要性を失った、それ故に抑えきれない感情が一挙に理性と知性を塗り潰し、行動を支配する。
普段からそれが動く事に慣れていれば、備える。
その地が地震のよく起きる地であれば、その地に生きる民は心構えをし、地震に関して知識を持っているだろう。
よく氾濫を起こす河川があれば、雨が降れば警戒し、避難する場所の確保も行うだろう。
だが、逆であればどうだろうか?
その地が滅多に地震の起きた記録がなく、年寄りですら大地の動いた経験などなかったら、その地に生きる者は地震を警戒し、その脅威を考えるだろうか?
穏やかな河川であり、これまで溢れる事なく流れ続けている記憶しかなければ、それが溢れ、濁流となって襲い来る事を考えたりするだろうか?
竜王の感情もまた然り。
通常、制御の必要性がない程に枯れ果てている為に何時しかそれが時に暴走するものだと、それが自らにも宿っているのだと体が忘れてしまっている。
だからこそ、一旦暴走すると止めようがない。
……とはいえ、そんな事まではテンペスタに分かるはずもない。
それに、分かった所で今のこの状況では余り意味が無い。
しかも……。
(段々冷静になってきたみたいだが……その分!!)
礫、と呼ぶには大きすぎる鋼の砲弾が襲い掛かってくる。
一見単調に見えたその陰に潜んだ本命が直後に至近距離から牙を剥く。
砲弾の後半分、そこが突如弾け飛び、テンペスタの体を撃つ。
破片のみではあるが、磁力による反発によって予想以上に加速された破片はテンペスタの鱗を穿とうとし……弾き返された。
直前で回避は不可能と看做したテンペスタが咄嗟に防御を固めたお陰だった。
(あぶない、油断していたか)
元より硬さ、という点では破片よりテンペスタの鱗の方が上。
おまけに、テンペスタ側は自身の体だ。これで負ける訳がない。
むしろ、問題はじょじょにだが、攻撃が巧妙となっている事にある。
(……これできちんと話聞いてくれたらな)
攻撃は冷静になっていっているというのに、未だ声は届かず。
連射してきた小粒のものは無視し、力の篭められた大型のものを余裕を持って回避、するはずだった。
油断だったのだろう。
じょじょに巧妙さが増しつつあるとはいえ、大地の竜王が放つ攻撃はいずれも大地から放たれていた。
そして、土、金属、植物といった違いはあれど、それらには常に共通点が存在していた。
……そう、いずれも実体を持つ攻撃だったのだ。
だからこそ、一際高速かつ大型の金属塊が迫ってきた時も多少の警戒はあれど意識は形を持つものに対して向けられていて……。
「なにっ!?」
突然に襲い掛かった重力場に対応しきれなかった。
しかも、全身にではなく片方の翼に重点的に干渉してきた攻撃には。
ガクン、と意図せずして翼を引っ張られたような状態となったテンペスタの姿勢制御が崩れ、傾く。
無論、通常の鳥とは異なる飛び方をしている為にこれで即墜落!という事にはならない。
もし、これが通常の飛行時であれば問題なく姿勢を立て直す事も出来ただろう。
だが、戦闘時、ましてや敵となった相手からの攻撃が至近に迫っている状況でこれは、致命的だった。
「があっ!!!???」
生まれて初めて感じる激痛。
痛い、というより熱い!
かろうじて身を捻った為に本当の意味での直撃は何とか回避したものの飛来した一撃は結晶質の鱗を削り落として肉を抉り、そのまま翼へと直進。翼膜部分を引き裂き、上空へと抜けた。
「くそ……!!」
こっちが反撃しないと思っていい気になりやがって!!
一瞬、激昂しかけるが、ここで怒ってはここまでの我慢が水の泡。
ましてや自身も全力で反撃を開始すればどちらかが死ぬまで止まらなくなるだろう。そして、その時にはあの幼い水龍も巻き添えとなって滅ぶに違いない。
別に、邪推されたようにあの水龍の子に特別な感情など持ってはいないが……。
「……巻き添えにしたら可哀想だよな、くそ」
大切に思っているなら、せめてもう少し冷静になれよ……!
そんなやる瀬のない怒りを抑え込む。
攻撃はますます精緻に、巧妙になり、同時に多方面からの攻撃を行ってくる。しかも、時間差まで入れてくる為最初のような何も考えずに回避していれば、避けた先に本命の一撃が回避しようのないタイミングで飛んでくるという事になっている。
事ここに至れば、もう属性を使わないという事も言っていられず、迎撃には属性を用いている。
せめて、あの水龍の住処から離れて……。
そう考えた時、ふと気がついた。
「待てよ……」
水龍、大地の竜王……。
それらから一つの可能性が思い浮かぶ。
「……迷っている時間はないか」
反撃しないと決めた以上、このままでは追い詰められるのみ。
身を翻し、方向を変える。
進路を遮るように攻撃が飛来するがそれを打ち砕き、更に前へ。
既に、大地には気配が満ち溢れており、詳細な居場所は把握出来ないが、それでも追ってきているのはわかる。
(こっちの推測が当っていれば……)
そうして、じょじょに高度を下げてゆく。
その分攻撃の密度が上がるが、最初から防御に専念する事でこれらを最小限の被害に留めて行く。
(あと少し……)
そして、ある瞬間。
テンペスタは一気に高度を落す。いや、それはもう墜落寸前と言って良い。
派手な音を上げ、大地を抉り……やがて盛大な水飛沫が上がった。
湖は巨大な波紋を描き……そこから浮き上がるものは、ない。
どれだけの時間が経っただろうか……水辺の地面が盛り上がり、そこから大地の竜王が姿を見せ……間もなく再び大地へとその身を沈めて、そしてその場は静かになった。
………。
(……予想が当っていて助かったよ)
その光景を湖の中でテンペスタは眺め、溜息をついた。
……属性を持たない場所は探知出来ない。
これまでの攻撃から水の属性は持っていない、と踏んだのだが……どうやら当っていたようだ。おそらくは、だからこそ水龍の居場所も把握出来ず、普段から押しかける、口説き続けた父のような真似は出来ないのだろう。
(しばらくは回復だな……)
時間を稼ぐ、という意味合いもある。
時期を見計らって、さっさとこの地を離れよう、そう決めつつまどろむテンペスタだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……何?対岸にて巨大な水柱、だと?」
その日の晩。
テンペスタが静かに水にその身を沈めている時、対岸にある港街で一人の人族の男性が昼食の席でそんな報告を受けていた。
報告した側の男としては内心舌打ちせざるをえない。なるだけ興味を引かないよう、持たないようにわざわざ食事の席でさりげなく他の報告に混ぜて伝えたというのに、何故そこに興味を持つのだ、と。無論、そのような感情を表に出すような間抜けな真似はしない。
大地の竜王の住まう地と湖を挟んで位置する都市ドーファン。
ここはエクラリエ王国王家の直轄地である。
とはいえ、王が直々に細かな点まで統治しているはずもなく、実際は権限を与えられた統治官が任命され、都市の運営・管理を行う。
基本、王家は事前に定められた税や災害が起きた時以外は介入してくる事もなく、実質的には統治官が領地持ちの貴族のような役割を担う事になる。
そうして長く続けば、それは既得権益となり……現在の統治官ロドルフは三代連続でこの街の統治官を務めており、彼もまたこの街で生まれ育ち、深い愛着を抱いていた。まあ、幾ら統治官といえど、王家から委託されているのは間違いなく、下手に搾取して権利を失ったら元も子もない為必然的に統治に気を配らざるをえない部分はある。
それに、ただ貴族として立場に胡坐をかいていては、あっさりその地位を失いかねない。次代への教育も極めて重要なのだ。
既得権益、というだけでなく、こうした専門的な教育を受けさせやすいだけの財政状況、無能や遊び人を許さない立場あってこその地位という事を忘れてしまえば地位を失う事になり、そうなった統治官もまた枚挙に暇がない。
数年でまた別の地へと異動というなら搾取で私腹を肥やすのもありかもしれないが、真面目に統治していれば統治官としての給与だけでなく、街を治める事による各種の副収入で懐が潤うのだ。それが延々と続く上に通常の領主がやらないといけない出費は王家に丸投げ可能、結果として、そんじょそこらの領主より財政状態は上と言われるのは伊達ではない。
そんなロドルフにとって対岸の竜王は幼い頃より言い聞かされ、老人からおとぎ話を聞く伝説の存在だった。
触らぬ竜に災いなし。
ドーファンにおいては竜王はどうせ対岸まで行かぬ限り出てくる事もない。
ドーファンにおける一番の産物は湖での漁なのだから、対岸へ赴く必要もない。
それなら敢えて触れる事もない、というのが共通認識だった。
当然、ロドルフ統治官もまたその方針で長らくやって来ており、これまでそれで何の問題もなかった訳だが……。
(何で今日こんな時にあんな事が起きるんだ?)
竜に文句を言っても仕方のない事と理解しているとはいえ、文句を言いたい気分だった。
そう、現在この地にはエクラリエ王国の王子が滞在していた。
第二王子ジュール・エクラリエ。
第二王子ではあるが、第一王子が病弱な上に研究肌で、王位継承権を返上してしまっている為に実質的には王太子として扱われている人物だ。まあ、第一王子の返上には母方の家が貴族ではあるものの余り家柄は高くない為に王位継承に関わる騒動に巻き込まれるのを嫌った実家がそもそものきっかけといった生臭い事情はあるもののお陰でエクラリエ王国としては下手な騒動もなく(第二王子の後はしばらく女児が続き、第三王子以下はまだ幼い)安定している。
ジュール王子自身も優秀な人物なのだが……問題は。
「面白そうな話だな、原因は何なのだ?」
兄譲りの好奇心にある。
第一王子が早々に継承権を放棄したお陰、という側面はあるものの互いに争う事なく育った第一王子と第二王子は仲が良く、結果趣味のレベルに留まってはいるもののこうした変わった事柄に興味を示す。……まあ、正妃でもある第二王子の母がおっとりした良家のお嬢様そのままの人柄で、生まれる時に第一王子の母が亡くなると「夫の子供だから」と引き取って可愛がったのも大きいだろうが。
それだけならまだいい。
第一王子などは文官肌で外出を嫌うお陰で時折突拍子もない物が欲しいと言い出す事はあっても自分で採りに行くという事はしない。きちんと理由を説明して無理な事を説明すれば、素直に納得もしてくれる。
一方、第二王子はなまじ実力のある魔法使いである上、外出も積極的にこなすのが面倒だ。
民衆からは民に近いと人気があるようだが、警護する側にとっては一苦労だし、だからといって下手に遠ざければ不興を買う事になる。
まあ、何が言いたいかといえば……面倒なのだ、この王子様は。
「ふむ、現場近くまで行ってみる事は出来るかな?」
「……殿下、それは」
さすがにそれには顔をしかめざるをえない。
しかし、その反応を予想していたのかジュール王子はロドルフ統治官の様子を気にする事もなく、笑って言った。
「なに、私とて対岸まで行こうというのではない」
内心、当り前だ!と叫びたい所だがそこはぐっと抑えるロドルフ。
この港街の住人ならば通常、対岸まで船を出す者はいない。
しかし、相手が王族となれば……断りきれない者、或いは金目当てに船を出す者は必ずいるだろう。或いは国の有する大型の船を用いるという手もある。前者はすぐ行けるが小さい、後者は湖賊や魔獣などへの対応を行う軍船であるので大型だが出航にどうしても時間がかかる。
ただ、この王子様は引いてはくれないだろう。そもそも引く事を基本的に許されない立場でもある。それならば……。
「……分かりました。ならば船の用意を致します。せめてそれまでお待ち下さい」
「ふむ……少し見に行くだけのつもりだったのだが……いや、そうだな。こちらも無理を言っているのだ、すまぬな」
ならばせめて、きちんと管理出来る船で行ってもらった方が良い。
そう考えて発言したロドルフ統治官に、ジュール王子も頷いた。
その返答にも色々……いや、これ以上は下手な事を口走ってしまいそうだ、と考えたロドルフ統治官は黙って頭を下げた。
「では殿下、三日以内には準備を整えますのでお待ち下さい」
「うむ、早く頼むぞ。ああ、それと」
「何でしょうか?」
「うむ、もし、現場を見た者がおれば詳細が知りたいので「かしこまりました、集めて殿下の下に届けるよう部下に命じましょう」つれて」
途中で遮ったのは民衆に近いというより腰の軽い殿下の場合、直々に会おうなどと言いかねないと判断しての事だったが、案の定だったようだ。
さすがにこちらは王子も苦笑を浮かべていたが、「駄目か」といった様子でそれ以上を言う様子はなかった。実際、これに関しては周囲の王子の警備に当る近衛からもどこかほっとしたような空気があった。
そのまま退室したロドルフ統治官はてきぱきと部下に指示を下してゆく。
(……面倒な事にならねば良いが)
唐突に発生した厄介事にロドルフ統治官は深い溜息をつくのだった。
――そして。
結果、不幸な事にその予感は的中する事になる。
どうもお待たせしました
……次はいい加減、ワールドネイションの冒頭をこちらの冒頭共々修正しないと




