ある宇宙の一角で2
「なんだ、お前達は」
河から上がって来た相手は明らかに我々の知る人ではなかった。全身が鱗に覆われ、顔もまた蜥蜴を思わせる顔立ち。
我が国はその立地上、多数の種族が旅の途上で通っていく為に、私もそれなりの種類の種族を見知っていたが、今、ここにいる相手はそのいずれとも異なっていた。背に負うような形で魚の入った網を担いでいる所を見ると、漁の最中だったのか。亜人の一人である事は間違いないだろうが。
「ちっ……おい」
敵方のリーダー格と思われる相手が合図すると一人が亜人の側面から素早く駆け寄った。
拙い、通りすがりの相手でも念の為に殺すつもりか。
「いかん、逃げろ!」
そう私が叫ぶのと。
ゴギャッ!!
という嫌な音が辺りに響くのは同時だった。
……はて、位置の関係上、私からは斬りかかった相手の顔が見えていたのだが。
何故、奴の剣は亜人に向いているのに後頭部が見えているのだろう……?そこまで考えた所で相手の頭が180度回転している事に気が付いた。……後から知った事だが、実は540度程回転していたのだが、いずれにせよ人の頭部はそんな可動域を持っていない。
一撃で絶命させられた男は次の瞬間には崩れ落ちた。
「な、っ……!」
「ふむ、そちらの揃いの鎧を着た者達は少なくともこちらを害するつもりはないが、そちらは私の敵と判断して良いようだな」
未だ背負っていた網をここでようやく下ろした蜥蜴亜人はゆったりと腕を持ち上げた。
「ならば死ね」
「ッ!てめえら、油断するな!やっちまえ!!」
一瞬硬直したリーダー格が叫ぶなり、一斉に蜥蜴亜人へと攻撃が集中した。
……そう、それまで奴らが剣を向けていた私達を完全に放置して。
いや、分かっている。私達に向けられたものではない、そう理解していてさえあの一瞬、蜥蜴亜人から放たれた殺気、殺意などと呼ぶ類のものは明確に死を幻視させるものだったのだから……。思わず、手が喉へと伸びる。あの瞬間、私は喉元に死の神の刃が明確に喉元に当てられたような錯覚を感じ取った。今でも手が震えているし、周囲を見れば先程まで死を恐れず戦っていた近衛騎士達でさえ、いずれも顔を真っ青にさせて、体を恐怖からか震わせている者すらいる。
余波を浴びた我々でさえこれだ、直接あれを浴びせられては逃げ出すか、それとも恐怖に駆られて殺意の元を消そうと他の全てを投げうって襲い掛かるかのどちらかだろう……。
と、そこまで考えた所で、私は弟王子の事を思い出した。鍛えられた我々でさえここまでの恐怖を感じたのだ、まだ幼いあの子では……最悪命に関わるやも。
そう思って、視線を向けた私だったが、その視線の先で弟は目を輝かせて、蜥蜴亜人の動きに見とれていた。そこには恐怖の色は何も見えない。
(もしかして……弟にはあの殺気を感じさせなかったのか!?)
だとすると精密に狙って、あの気配を放った事になる。余波と思っていたが、我々にもあの気配を向けたのは牽制か、もしくは手を出させない為の故意だった可能性が高くなった。とはいえ、相手からすればこちらが味方という訳でもないのだから、それも当然かもしれない。
そう思いながら、戦場へと視線を向ける。
綺麗だった。
赤みのかかった水晶のような鱗が日に煌めきながら、躍動していた。
「げッ!」「ッが……!」
彼らの腕は知っている。近衛に比べ、多少腕は劣っているものの集団でそれを補えるだけの連携とそれを可能とする腕はあった。それが今、何の意味もなさず、蹂躙されていく。たった今、二人がまともに蹴りを喰らって横向きに吹っ飛んでいった。片方は何とか剣を盾代わりにしたようだが蜥蜴亜人の蹴りはその剣ごとへし折って、吹き飛ばす。
鍛えられた人の体が横に飛んでいく光景など、初めて見た。
「囲め!囲んで叩け……!」
一人が指示を出して四人が一斉に襲い掛かろうとして屈みこんだ蜥蜴亜人が足を伸ばして一回転!
パアン!と派手な音を立てて、足を払われた四人の体が一斉に宙に……いや、払われたなんて生易しいものではなく、全員の足が完全におかしな方向へと曲がっている。
直後に最初に声を出した男に、回転したままの勢いで中腰になった蜥蜴亜人の肘が埋まった。一瞬にして叩き込まれた顔面が粉砕され、陥没した状態で吹き飛ぶ間に無造作に伸ばされた両手が空中に浮かんだ男二人の顔面を掴み取り、そのまま地面に叩きつける。
ガン!と地面に蜘蛛の巣状に皹が入り、男達はピクリとも動かなくなった。
一人だけがやっと地面に落ちたが、両足を砕かれたせいで痛みで声も出ず、転げ回っているようだ。
その武器を遠くに蹴り飛ばしながら言った。
「貴様からはまだ人を殺めておらん匂いがするな」
……え?なにそれ。
そうして気づいてみれば、もう残るはリーダー格の男と叔父の側についた貴族の一人が残っているのみ。……そういえばいたわね、あの貴族。最初に「玉璽と殿下をお渡しいただけませんかなあ?」「さすればお命は取りませんぞ」なんて私の体を舐めまわすように見ていたあいつが。
リーダー格はともかく、貴族の方は先程の殺気で腰を抜かしたのか地面に座り込んで、その周囲の地面が何だか濡れて……?ああ、なるほど。
「やれやれ、割のいい仕事だと思ったんだがなあ、おい、お前なんて名前なんだよ」
それに比べて、リーダー格はさばさばした様子だ。
「なんだよ、自分をぶっ殺す相手の名前ぐらい教えてくれたっていいだろ?それともお前さん達の種族じゃ名前ってのはないのか?」
「……テンペスタだ」
「テンペスタ、ね。よし、分かった。俺も名乗っておいた方がいいかな?と思ったが、これから死ぬ奴の名前なんぞどうでもいいか」
どこか達観した顔に苦笑を浮かべつつ言う男の傍らで、焦った様子で貴族が「なに!?」とか「おい、それはどういう意味だ!」と喚いているが、もう誰も気にしていない。
男の覚悟ぐらいは理解したのか、テンペスタと名乗った蜥蜴亜人が構えを取る。
そして、無言のまま渾身の一撃を放つ男とすれ違った直後、そのままの勢いで駆けた男は地面に滑り込むように倒れたのだった。
「さて」
一仕事終えた、とばかりに蜥蜴亜人、ああ、いや、テンペスタ殿は……魚の入った網を担ぎ直して、再び歩き出そうと……って!
「あの、ちょっと待って下さい!少しお話をさせてもらえませんか!!」
そのまま立ち去ろうとする!?普通!
今回は逃げて来た姫騎士視点でお送りしました
突如現れた蜥蜴型亜人の正体は!?ってまあ、バレバレですが




