幕間劇
その後と、短編とも言えない未来の為の短編一本です
◆◆◆幕間その1◇◇◇
テンペスタが飛び立った後のキアラの屋敷では取り残される形となった五人がしばし呆然としていた。
間もなく我に返った一人が周囲を見回し佇む執事の姿を見つけ、尋ねた。
「テンペスタ殿は帰って来られるのかね?」
キアラの事は聞かない。
キアラの天命が最早尽きる寸前であった事は既に周知の話だった。
如何に傍に竜がいようとも……寿命という終わりからは逃れられない。だからこそ、この連合王国の上層部は焦っていたし、ここにいる五人も毎日、はテンペスタが怒るので三日おきに来訪していたのだから。
しかし……。
「いえ、その予定は御座いません」
執事から返って来た言葉はある者にとっては予想外であり、またある者にとっては予想通りであった。
もう少し正確に述べるならば、政治に関与している立場の者にとっては予想通りであり、軍人の立場にある者や未だ正式な成人を迎えていない者にとっては予想外であった、という事だ。
「どういう事だ!?」
だから、その予想外だった人物三人の内の一人、近衛隊中隊長を勤める男が思わず、といった様子で叫んだ。
これでもここに残る五人の一人である事から分かるように、普段は沈着冷静、部下からも慕われる将来を嘱望されている伯爵家の次男坊なのだ。
けれども、そんな彼に命じられた任務、新たなドラゴンライダーとなる事、が不可能になる、という話を突然聞かされてはさすがに冷静ではいられなかったようだが……。
「どうもこうも、今述べました通り、テンペスタ様はこの地に戻るご予定は御座いません」
今後は世界各地を回られるとの事ですので、最低百年、おそらくは数百年もすればまた戻ってこられる事もあるかもしれません。
そう続けた執事の言葉に呻き声を上げる。
そんな面々だったが、二人程驚いても、悩んでもいないように見受けられる者がいるのに気がついた。
「冷静だな。……貴公らは予測していたのか?この結末を」
「……可能性の一つとしては、ね」
無論、その両者とて失望感がないという訳ではない。守護竜をテンペスタが引き受けてくれる可能性はないではない、そう思っていたからだ。
――テンペスタと話す事が出来ていれば、だが。そうすれば説得する自信はあった。テンペスタは確かに生まれて数十年になる竜としてはまだ幼くとも、人として見るならば十分長い時を生きてきた竜だ。しかし、その生の大半をキアラと共に駆けた彼は同時に政治や交渉といった世界とは無縁に生きてきた。
だからこそ、きちんと誠意を持って話をする事が出来れば自身がドラゴンライダーとなる事は無理でも守護竜となってくれる可能性はあると思っていた。
――守護竜。
それは歴史の中に存在する国を守護する竜だ。
いずれも成体となった竜がその役割を果たし、国全体に加護をもたらす。
そのいずれもが最後は人の側の欲によって竜に見限られてしまうのが何とも救いが無いが、確かに存在していたのは間違いない。
だが、その願いも潰えた。最悪のケースからは程遠いが、良い結末であったとは到底言えない。尚、最悪というのは、テンペスタを激怒させて連合王国自体が崩壊に追い込まれるようなケースだ。さすがにそんな事を口にしたりはしないし、そこまで考えているのは本当に片手で数えられるぐらいだが……何しろ、下手にそんな予測が洩れた時点で「そんな可能性があるなら、事前に処分してしまえば!」などと考えた馬鹿が暴走して手を出した挙句、それが原因で相手を怒らせてしまう可能性すらある。
「……そういえば皆さんはどうするおつもりなんですか?」
別の一人がそう執事に尋ねた。彼も同じく政治畑出身だが、最初に答えた彼が外交を主な仕事の場としているのに対して、こちらは所謂書類仕事が主だ。
軍人二名に、軍とは関係のない政治家から二名、更にそれ以外一名という選出時点で上層部がキアラ同様の使い方以外も考慮に入れていた事が分かる。
そんな書類仕事を行っている彼にとっては、突然、屋敷の主がいなくなった今、この屋敷の管理をどうするか、というのは実は何気に重要な事だった。何せ、この屋敷、案外王宮に近い。しかも広い。
こんな場所を放置したり、余りよろしくない貴族の手に入るのは良い話ではなかった。さすがに場所が場所だけに商人が手に入れて、外国の手の者が高い金を出して買い取る、などという事はないだろうが……もし、執事らがこの屋敷を譲られたりしているなら買い取る事も考慮しなくてはならない。王宮に近い場所を与えられる、というのは「お前を信頼している」という国からの証でもあるのだし、貴族街のど真ん中に貴族ではない者が入手するというのは執事達にとっても良い結果を生まないだろう、と考えての事だ。
「私どもは隠居を予定しております」
ただ、その言葉は少し予想外だった。
「隠居、ですか?」
「しかし、若い者もいるだろう?全員が全員隠居する訳ではあるまい」
この屋敷は広い。
広いという事はきちんとした状態に保つにはそれなりの人手が必要だという事になる。
広い庭を掃除し、樹木を手入れする。屋敷の中を整え、来訪者を貴族として恥ずかしくないよう迎え、もてなす。そうした人員を支えるにもまた人が必要……と、広けりゃいいってものじゃないという典型的な例と言えよう。掃除をした事があれば、自分の家を掃除するという事が一人だけではどれだけ大変かも分かるはずだ。
「いえ、既にこの屋敷に残っているのは私を含め四名、いずれも年寄りで御座います故」
それだけにその返答はさすがに全員呆気に取られた。
聞けば、キアラ名誉伯爵は自身の死が近づいているのを悟った後、徐々に人手を減らしていったのだという。十分な金を渡し、仲介ギルドを介して新しい仕事を探した上で、だ。今では残っているのは「今更新しい家で働く気にはなれない」という老人達ばかり。ここの庭の手入れに情熱を燃やしてきた庭師、ここまで五人を案内してきたメイド長、全員に料理を提供する料理人、それにこの執事のみだという。掃除は、といえばテンペスタがちょっと風や水属性の魔法を用いて片付けていたという。
面倒な掃除などの手間を省く事が出来れば、メイド長の仕事だって主に執事と協力してキアラの身の回りの世話ぐらいだ。それにしたってテンペスタが手伝ってくれるのだから力仕事は不要。
かくして、人数はここまで減らしており、キアラ自身の資産も殆ど片付いている状態。キアラ自身の資産として残っていたのはこの屋敷を除けば名誉伯爵として毎年決められた額が給付される年金ぐらい。執事らも長年仕えてきた主人の最期を看取るつもりで仕事を続けてきたが、隠居して余生を過ごすには十分過ぎる程の金を既に与えられているという事だった。
「なんとまあ、綺麗に身辺を片付けていかれたものだな……」
「それではこの屋敷はどなたかが管理されるのですか?」
「いえ、この屋敷に関しては……」
執事がここで一通の書状を取り出した。封蠟にはキアラ名誉伯爵の家紋。
「国へと返還される旨をお聞きしております。こちらはその権利書と御遺志を記した遺書に御座います」
「内容を把握しているのか?」
「代筆致しましたのは私で御座いますので」
なる程、それは遺書の内容を知っているはずだ。
「どうぞ中をご覧下さい」
「いや、それは」
「そちらは皆様に読んで頂く為のもので御座います。大事な事も記してあるからと……それと」
王に差し上げるものは別途ご用意させて頂いておりますので。
そう言われて、互いに視線を交し合った後、一人が代表する形で受け取る。
開いて中を読むに連れて、どこか面白そうな顔になった。
「なんと書いてあったのだ?」
興味津々な周囲に促される形で語られた話だが、一つは簡単なお願い。庭師の老人に庭の手入れを望む間はそのまま任せて欲しいとの事。
これはむしろこちらからお願いしたい所だから問題はない。
……重要な話にも繋がるのだが、むしろ彼の庭の手入れ技術を習得出来るよう王宮の庭師から選出して送り込まねばならない。彼もまた老人である以上、何時動けなくなるか分からない。その前に技術を教えてもらわねばならない。
そう、教えてもらう、だ。
単なる庭ならそんな必要はない。王宮は当然のようにこの国でも第一級の庭がある。外国から来た者も見るのだから、ある意味国の顔の一つ。
手入れをするのは当然国でも一流の腕を持った者達であり、普通は幾らキアラ名誉伯爵とはいえ成り上がりの伯爵家に雇われる程度の庭師が敵う所ではない。
しかし、ここの庭は例外だ。もう少し正確に述べるならば、中庭が、というべきか……。
この屋敷は何十年に渡り、テンペスタが住み着いていた。その寝床となっていたのが中庭だった。
結果、中庭にはテンペスタの魔力が、竜としての力が染み付いている。
更にこれはキアラも予測していなかった為に書かれておらず、この場にいる誰も気付かなかったが、テンペスタは成竜となった時、鱗と呼ぶべきか外皮と呼ぶべきかは分からないがそれを大量に落した。その一部分はキアラの棺として生まれ変わったが、テンペスタにしてみればそれ以外の地面に落ちたものはどうでもいいので放置していた。この為、中庭に落ちた大量の粉塵と化した鱗はより強く大地に竜の力を刻み込んでいた。
結果、この中庭はある種の特殊な場と化していた。
『竜の庭園』
竜の塒の中には時にこう呼ばれる場所が存在する。
土地そのものが変質し、ある種の霊的な土地と化した場所。
そこでは普通は街中では取れない希少な薬草などの植物が生え、更に極稀に特に強い魔力に晒され続けた時に誕生すると言われる魔法金属すら狭い領域に出現する。そんな一つ見つければ大金持ち確定とも言われる場所にこの中庭は変貌しているという。
無論、こうした『竜の庭園』が他に存在しない訳ではないし、魔法金属が手に入らない訳でもない。ただし、一般に知られている場所はいずれも人里から離れ、危険な場所にある為にそう簡単に行けるような場所ではないだけだ。そういう意味合いでも、王都のど真ん中に存在する価値は計り知れないものがある。
加えて全属性を持つテンペスタの力が存分に発揮された結果、元々は体力の落ちたキアラの為に掘られた温泉が湧いており、その温泉に入れば軽い怪我程度なら癒される……。
更にそれは竜が「ここは俺の縄張り!」と主張した証であるから、そこを放棄しない限りは竜の力は途絶える事なく、仮に途絶えたとしても……。
「まあ、私達が寿命を迎える間ぐらいは問題ないでしょうね」
そんな場所の管理方法を知る者など世界を探してもそういる訳がなく、逆に言えばその方法を間違いなく知っている庭師の老人からは可能な限りの情報を得なくてはならない。
どうやらキアラ名誉伯爵は十分すぎる程の遺産を連合王国にも遺してくれたようだった。
……これならば上層部も胸を撫で下ろすだろう。
テンペスタ自身は飛び去り、切り札としての戦力はいなくなってしまったが、きちんと屋敷を手入れし、思い出を崩す事なく維持すれば王都を他の竜から守るお守り、としては立派に作用するはずだ。そして、その管理費はと言えば庭から得られるものだけでお釣りが来る、というか魔法金属の希少性などを考えればそんじょそこらの伯爵領丸ごとより価値があるはずだ。
(もっとも何時までもつかは知りませんが……)
自分達が生きている間はいい。
だが……人の生とは短いもの。
伝説における守護竜がそうであったように……その時に生きている者がいなくなる頃には「何故」なのか、それが歪められている可能性は高い。王家の権威を高める為と称して「竜から献上された」などという話へと変えられたりする事になるのだろう、そう思う。そして、何時か当初は表向きの名目だったはずの話が、真実として伝えられるようになって……。
(いえ……)
それは今の自分が考える事ではない。
所詮、自分とてあと百年も生きる事は出来まい。であれば、自分の代で出来る事をするだけの事……。
後に彼の懸念は的中する。
僅か二百年程の後の事、連合王国は大々的に「竜より献上された」庭園の改修を宣言した。
儀式、という東方で行われている形を組み込む事で少しでも敬意を忘れないように一部のみを採取する、という形で行われていたのだが、何時しか年に一度庭園の全てを採り尽すようになり、それでも足りないとばかりにこの拡大は行われる事になったのだった。
周囲を囲む屋敷を取り壊し、庭を潰して、より「竜の庭園」を広域に広げられるように改築。けれど、間もなく竜の力の流入が停止し、やがて「竜の庭園」は崩壊を迎える事になる……。
皮肉な事に庭園が枯れ果てるのと時を同じくして、繁栄していた連合王国自体も衰退を始め、それから間もなく内乱の戦火の中に王国は消え去った。
けれども今も往時の姿を見る事が出来る。
この時の五名の一人、ただ一人役職ではなく純粋に訪れていた一人がいた。
竜の成竜への再誕、そしてその飛翔に魅せられた一人の少年。
自らの脳裏に焼きついたその光景を誰かに伝えたい、残したいと願い、その想いからやがて高名な画家となった彼の遺した絵画……それが今も尚君臨する彼の竜がかつて築いた『竜の庭園』、その姿を今に伝えている。
◆◆◆幕間その2◇◇◇
其れはどこにでもあり、どこにもいなかった。
意志はあれど、余りに漠然としたそれは各個たる意識ではなかった。
絶大なる力を持ちながら、それを揮うという意識を持たぬそれはただ漠然とそこにあった。
永遠のまどろみの中にある、とも言えるそれにとって小さな者達が騒ごうとどうという事はなかったが……時折ちょっかいをかけてくるのが僅かにわずらわしかった。
ある時、ふと思いついて、少しだけ壁を開き、器の一つに流れを傾けてみた。
……僅かな思いつきは上手くいったようで、心地良い暖かさがちょっかいをかけてくる力を覆うようになった。
これで良い。
それは僅かな自意識を放棄し、再びまどろみの、永きに渡るたゆたいを続けることにした。
時折、僅かにそれがすわりが悪いような、そんな印象から体を揺する事はあれど……それはそこにあり続ける。
そう、世界の始原よりずっと……。
これにて幼竜編を閉じ、次回から成竜編です
題して「大嵐竜王」、よろしくです




