第1章 第27話 つながらない三人のバレーボール
別に根拠があったわけではなかった。何かの意図すらも存在しなかった。ただなんとなく、そうなんじゃないかと思って口に出しただけ。だがそれが、特大の地雷だった。
「嫌い嫌い大嫌い。心の底から梨々花が嫌いだよ。だってキモイじゃん。絵里先輩絵里先輩って、私はあんたのママじゃないんだよ、って話だよ。それに知ってる? あの子私の練習着全部知ってるんだよ。怖いよねー、ストーカーかって。私にボールをつなぎたいからリベロになるとか言い出して、おまけに高校まで追いかけてくるんだもん。これで嫌いにならない方がおかしいよ。そりゃ高校でバレー辞めるって。大学までついてこられたらほんと迷惑。もう一生会いたくないのにね。だいたいさー、私に憧れてる理由だってひどいもんだよ。例えるなら生まれたばかりのヒナみたいなもんだね。中学で初めて見たトスがたまたま私だっただけ。中学生なんだから小学生より上手いのは当然なのにね。それなのにいつまでも私がすごいって思いこんでるんだよあの馬鹿は。だからあの子が見てるのは私の幻想なの。自分より上手い理想の絵里先輩に憧れ続けてるんだよ。滑稽すぎて笑えないって。それにしてもさ、環奈が入ってきてくれてほんとうれしかったよ。最初に環奈が朝陽のサーブをレシーブした時のこと覚えてる? あの時の梨々花の顔がほんと傑作でね。世界の終わりみたいな顔しててさー、その顔がうれしすぎてつい泣きそうになっちゃったよ。そうそう泣きそうって言ったらね、環奈をリベロに選んだ後梨々花を体育館裏につれてったんだよ。なんかもう全部あきらめましたよー、これからは環奈の育成に励みまーすみたいなすました顔してたからさ。むかついてちょっと泣いてあげたらすぐに大泣きしちゃってさ、ありゃ傑作だったね。全然あきらめられてないじゃんって。リベロやりたかったよー、絵里先輩にボール上げたかったよーとか喚いてさ。たかが部活でこんなに泣けるんだーって感心しちゃった。ほんとウケる。やっぱあいつ暑苦しすぎてだいっきらいだわ。環奈もそう思わない? だいたいさ、」
一セット目が終わったことでコートチェンジのためにみんなが準備している。コートの中にいるのはあたしと部長さんだけ。一年生のあたしが仕事しなきゃいけないのに、動けなかった。呪詛のように感情を吐露する部長さんを倒れたまま見上げ、声を発することすらできない。あたしは部長さんのことを何も知らない。それでもこんなことを言う人ではないことは知っている。時々ボソッと嫌なことを言ってくるが、ここまでではなかった。梨々花先輩の尊敬している人が、こんな人だったなんて思わなかった。
「で、なんで気づいたの?」
その勢いに圧倒されていると、表面上だけは朗らかだった口調が一変し、汗が凍りつくような錯覚さえ覚えるほどの冷たい視線が向けられた。本当に……本当にこんなつもりじゃなかったんだ。
「別に……理由なんてありません。ただショッピングモールでの会話とか、試合でも絶対に梨々花先輩を出さなかったこととか、そうじゃないとおかしいなって……思っただけで……」
「そっか、じゃあ私が先走っちゃったんだね。やっとこの苦難の日々が終わると思って焦っちゃったった。せっかく同期以外にはバレないようにしてたのに」
「……でもそう思ったのは、あなたのことを知りたいと思ったからです。試合中に気づいたんです。あたしはもっとみんなのことを知りたい。知らないと安心してボールをつなげられない。だからあなたとも……」
「おい」
突然胸倉を掴まれ力尽くで立たされる。花美も紗茎も遠くて、ただ立たせてもらっただけに見えていたかもしれないが。
「そういう態度、気に障る。あんたはそっち側じゃないでしょ? なにいっちょ前に梨々花みたいなこと言ってんの?」
「……うぷっ」
「そう。そうやってビクビクしてんのがあんたにはお似合いだよ。やっぱり私たち、仲良くなれそう」
口に無理矢理指を突っ込まれ、吹き出してしまった泡を拭い取る部長さん。ショッピングモールの時も似たようなことがあったが、あの時とは違う。あたしを探っていた以前とは違い。今は明確な、殺意を感じる。
「り……梨々花先輩は……そのことを知ってるんですか……?」
「さすがにそこまでひどいことはしないよ。それとも教えてあげよっか?」
「やめてください……っ」
梨々花先輩は今でも部長さんのためにバレーをやっている。あたしにリベロを奪われても、部長さんにボールをつなげるチャンスがあるならと、全然楽しくないと叫んでいたのにも関わらずボールを打つ練習をしてきた。
それから一ヶ月。技に徹底的に磨きをかけ、まだ未完成ではあるが紗茎程度なら確実に決まる必殺技を身に着けた。あたしでもたまに取れない、必殺技を。
それなのに……あんなにがんばっていたのに。なんで、こんなことに……っ。
「言っとくけど何があっても梨々花は試合に出さないから」
まるであたしの心を見透かしているかのように部長さんは言う。
「私の目的は梨々花の心を完全に折ること。あれが私にボールをつなげるために必死に努力していたことは知ってる。だからこそ、全部無駄だったと絶望させる。私の人生最後のバレーで、試合に出ることすらできなかったって絶望をね。だからこれからどんだけピンチに陥ろうが、梨々花は試合に出さない。そういうことだからよろしく」
「待ってくださいよ……これはあなたや梨々花先輩だけの試合じゃないんですよ。きららにとっては初めてで、三年生にとっては最後のインハイで……」
「あれおかしいな。環奈が言ったんでしょ? 私と梨々花が交代しなきゃ、勝率は一割もないって」
……そうだ。ショッピングモールでこの人に呼び出された時、あたしは口走ってしまった。その事実を。
「安心してよ。別に手を抜くつもりはないからさ。だって手を抜こうが本気でやろうが紗茎相手に勝てるわけないし。まぁ私も六年間やってきたバレーの集大成だからさ、それなりに本気ではやるよ。ただ梨々花は出さない。絶対にね」
「……梨々花先輩がいたらその紗茎にも勝てるかもしれないのに?」
「勝てるかもしれないじゃない。勝てるでしょ、梨々花がいれば。梨々花はバレーボールの天才なんだから」
「…………」
想像していたものとは全く違う答えが返ってきて思わず言葉に詰まる。梨々花先輩が天才……まぁわかる。あたしに近いレベルのレシーブ力はあるし、元々セッターだったからかジャンプフローターも使える。それにあの必殺技はかなり強力だが、言ってしまえばそれだけだ。いるだけで勝てるほどの、突出したものを持っているわけではない。
おそらく部長さんは知らないのだろう。本物の天才というやつを。あたしだってよくリベロの天才とは呼ばれるが、それでも本物には及ばない。一個上の高校最強リベロや、天音ちゃん。既に世界中の同年代と何度も試合をして勝利を収めているような、本物の化物。あれを知っていたらそう易々と天才という言葉は使えない。使ってはいけないものなのだ、天才という言葉は。
「……何にせよ。あたしのやることは変わりません。梨々花先輩につながるまで、ひたすらにボールをつなぐだけ。それしかあたしにできることはありませんから」
「だから梨々花は使わないって。選手の人事は私に一任されてるからね」
「知らないんですか? バレーはボールを落とさない限り負けないスポーツですよ。あたしがボールをつなぎさえ続けていれば、いずれ誰かがついていけなくなる。そうなればうちの交代先は梨々花先輩一択です」
誰かに代わってほしいというつもりはない。だがいずれ、その時は必ずやってくる。ボールさえ落とさなければ、いずれ。
「ま、そうだね。私は梨々花を出したくない。梨々花は私にボールをつなぐために試合に出たい。環奈はひたすらボールをつないで梨々花を出したい。試合に勝つっていう本来の目的を忘れた、最低な選手が三人いるわけだ」
「勝ちますよ、あたしたちは必ず」
「ふーん。あの子相手に必ずとか言っちゃうんだ」
部長さんが紗茎に視線を向ける。あたしのせいで体力を大幅に削ってしまった一セット目のスターティングたちがベンチに腰掛ける中、一人跳ねている子がいる。
「風美……!」
天音ちゃんはウォームアップゾーンから別の試合を眺めている。おそらく天音ちゃんが二セット目に出てくることはないだろう。少なくともスタメンではない。でも風美が出てくるのなら話は何も変わっていない……どころか。
「……二セット目。あたしはボールに一度も触れないかもしれない……」




