14.人間に恋したキツネ娘が去り際に残していく呪い
「……は?」
いま、『化かす』って言ったの?
化かされてるって、僕が?
というか、化かされてる状態って、それって、どんな状態?
水沼さんの口から出た『化かす』という単語が、様々な疑問をいちどきに投げつけてくる。
だけど、そんなことよりも先に確認しなければならないのは。
「水沼さん、栗林夕声を知っていますか?」
「……はい?」
「夕声を……彼女のことを、水沼さんは覚えていますか?」
祈るような気持ちとともに、僕は質問を放った。
水沼さんは、あからさまにきょとんとした顔をしていた。
なにを言っているんだこいつは、と顔に書いてあるようだった。
……ダメか。
僕が絶望を新たにしかけた、そのとき。
「覚えてますかって、一昨日会ったばっかりなのにどうやって忘れるんですか?」
水沼さんが、やっぱり困ったように言った。
「もしかして椎葉さん、私をお年寄り扱いするつもりですか? いくら私が何百年とか生きてる化け蛇だからって、『そろそろ痴呆はじまるお年頃なんじゃねえの?』とか『ババアはたつのこ山じゃなくて姥捨て山に行け』とか思っちゃってるんです? それってシンプルに心外です。というかテンプルにカチンときます、ええ、きましたとも。これはもう今夜あたり椎葉さんのお住まいに数百匹のマムシの大群を派遣して――
……って、椎葉さん?」
プリプリと文句を言っていた水沼さんが一転、びっくりして僕の顔を覗き込む。
僕は泣いていた。
みっともないとわかっていて、それでも涙が抑えられなかった。
ほっとしすぎて、安心が大きすぎて。
※
桔梗ちゃんをまいんのおばちゃんたちに任せて、僕と水沼さんは神社に移動した。
いきなり泣き出した僕の様子にただならぬ事情を察し取ったおばちゃんたちは、威勢のいい言葉と態度で(ここよりも外の方が落ち着いて話せるだろうから行っておいで、桔梗ちゃんはあたしらが見ておくから! あんたも元気だしなね!)僕を元気づけて送り出してくれた。
売り物のコロッケをいくつか包んで、ついでに店の前の自販機で買ったジュースまで持たせてくれた上で。
「いい人たちですね」
「ですです。龍ケ崎の人はいい人ばかりですけどね」
なにげない水沼さんの言葉に、龍ケ崎市民になった最初の日のことを思い出した。
好い人たちが暮らす良い町。
あの日覚えたこの町の第一印象は、やはり間違っていなかったらしい。
「それに、龍ケ崎は子育て支援日本一を標榜する街ですから。知ってます? 龍ケ崎コロッケって、最初は子供たちのおやつとして生み出されたんですよ。昔この近くに市が運営する漫画図書館があって、放課後そこに遊びに来る学童に振る舞うために商工会婦人部が考案したのがそもそものはじまりなんです」
子供には親切にしたがる土地柄なんですよ、と水沼さん。
「子供って、僕ですか?」
「あのおばちゃんたちからしたら、椎葉さんだってまだまだ全然子供ですよ」
自分を指さして言う僕をさらに指さして、水沼さんが楽しそうに言う。
「もちろん、私から見てもそうですよ? だから、何があったか聞かせてくださいな」
水沼さんにそう促されて、僕は一連の出来事を説明しはじめる。
夕声の求婚を拒んだことや、その際に彼女を傷つけてしまったこと。
それに彼女の呪のことも。
話している途中で、夕声が可愛がっていた子猫のマサカドが姿を現した。
最初は僕の足下にじゃれついていたマサカドを、お話の邪魔しちゃダメですよ、と水沼さんが抱き上げた。
マサカドは特にむずがらずにされるままにしていた。
「なるほどです。だいたいの事情はわかったと思います」
話を聞き終えた水沼さんがしきりに肯く。
いつになく真剣な表情で、なるほど、なるほど、と。
なるほど、それでそんな風になっちゃってるんですか、と。
「そんな風っていうのは、さっき水沼さんが言ってた、『化かされてる』とかってやつですか?」
「ですです。それが正しい表現なのかわかりませんけど……こういうのって、最近だとなんて呼ぶのかしら? まやかし? 呪詛? ダークパワー?」
水沼さんの口にする単語にいちいち眉をひそめる僕である。
なんにせよニュアンスは伝わった。えらく陰鬱なニュアンスが。
「それって、呪ってやつですか?」
「あ、それは違います。呪っていうのは後天的に身につけた技術なんですよ。でも椎葉さんにかけられてるのは先天的な能力によるものです。私のピット機関みたいな。イメージ的にもっと近いのは、イタチの最後っ屁でしょうか」
えらく不名誉なイメージだ。夕声がいたら間違いなく怒ってるだろうな。
「とにかく、椎葉さんは夕声ちゃんが残したまやかしとか呪いにかかって、現在その影響下にあるんです。キツネの化生である夕声ちゃんが、本能的に放った呪いの」
「呪い……ですか」
どんな呪いだろう、と。
そう呟いた僕に、そんなの決まってます、と水沼さん。
「人間に恋したキツネ娘が去り際に残していく呪いの霊験なんて、そんなの一つしか無いじゃないですか。
……ズバリ、『もう会えない呪い』ですよ」
平成12年の開館から十八年間にわたって地域の学童保育を支え続けた漫画図書館は、三万冊の漫画と当時まだ普及の途上にあったインターネットを子供たちに無償で提供し、商店街との連携でごくごく安価でおやつのコロッケも買えるようになっていました。
2018年に惜しまれつつ閉館したこの漫画図書館の名前は、まんがの『ま』とインターネットの『いん』をつなげて『まいん』と言います。
龍ケ崎コロッケがいまなお『まいんコロッケ』の名でも親しまれていることに鑑み、作中に登場するお店の名前はここからお借りしました(作中のお店は架空のものではなく、『チャレンジ工房どらすて』の名前で龍ケ崎商店街で営業しています。龍ケ崎におでかけの際は是非立ち寄ってみてください)。




