13.キツネは化かす
家には帰らなかった。長山北の信号で左手に折れて、そのまま土浦竜ヶ崎バイパスを南に向かって歩きはじめた。
特に行く当てがあったわけでもなければ、なにかしらの目的意識に裏打ちされた行動でもなかった。
手にしていたはずの菓子折の紙袋はいつのまにか消えていた。
宮司さんに受け取ってもらえたのかもしれないし、どこかに落としてきてしまったのかもしれない。
ついさっきのことのはずが、もはや別の時代の記憶のように判然としないのだ。
白紙と化した脳内で、ただ宮司さんの言葉ばかりが明瞭だった。
『その夕声ってのは、一体全体どなただろう?』
この展開は、僕からすべての思考を剥奪してあまりあった。
それほどまでにショッキングで、さらに付け加えるならば絶望的な成り行きだった。
頭がクラクラした。目がチカチカした。口の中はベタベタに乾いていた。
脳と心をしっちゃかめっちゃかにしながら、僕はただ黙々と歩き続けた。
断続的ながらも中央分離帯に隔てられた片側二車線の幹線道路、地方道路網の大骨格たる県道48号線沿いは考え事をしながら歩くのには最適の道だったし、なにも考えずに歩くのにはさらにもってこいだという気がした。
何も考えたくなかった。
というか、なにも考えられなかった。
しかしそれでも僕は考えなければならない。
なにを?
一生懸命考えて悩んで、どうにかこの状況を打破しなければならない。
どうやって?
……なるわけないじゃないか、どうにも。
だって夕声は、消えてしまったのだ。
僕の前から姿を隠したというシンプルかつ単一的な失踪に留まらず、もっと完璧に、徹底的に、彼女は消失してしまったのだ。
一切の痕跡を残さずに、僕以外の人の記憶にも残らずに。
最初から、どこにもいなかったみたいに。
歩いて、歩いて、歩く。
ずっと歩き続ける。
落花生農家の直売所の前で、椅子に座ったお婆さんが車の流れに熱心な視線を注いでいた。
僕の地元にもこういうご老人がいた。なにをするでもなく、日がな一日道路沿いで車の往来を眺めているお爺さんが。
彼らはまるで雄大な川の流れや世の中の移り変わりを見つめるように自動車交通を見つめていた。
あのお婆さんの隣に座って僕も同じようにしようかと、ふとそんなことを考えた。その思いつきはなんだかとても素敵なことのように感じられた。
しかしあいにく、どうしようか考えている間にも僕の足は進み続けて、気がつけばお婆さんははるか後方へと遠ざかっていた。
このまま歩き続けて、どこか知らない土地まで行ってしまえたら、それもいいかもしれない――我ながら思春期めいてると思いながら、そんなことを考えていた。
しかし歩きはじめてから一時間ほど過ぎた頃、僕の前の前には見知らぬ土地どころか、よく見知った建物が姿を現した。
龍ケ崎市役所である。
「……バイパスはここにつながってたのか」
脳内で独立した点として存在していた二つの地域が、土浦龍ケ崎バイパスという線によって直通につながった瞬間だった。
そしてそんな現実的な発見が、ふわふわとぼやけていた僕の心と意識に少しだけ輪郭を取り戻させもした。
以前にも書いた通り、市役所と商店街は至近の距離にある。
そこにいけばなにかが変わるような気がして、というか少しでもなにかが好転することを切願して、ほとんど藁にも縋る気持ちで僕はその店を訪ねた。
龍ケ崎コロッケ発祥の店『まいん』。
水沼さんがパートで働いているお店だ。
店内に入ると、飲食と談話の用途を兼ねたテーブルで、顔見知りの子供が計算ドリルに取り組んでいた。
「こんにちは、桔梗ちゃん」
僕がそう声をかけると、桔梗ちゃんがドリルから顔をあげてこちらを見る。
黙ってこちらを凝視した数秒後、ぺこりとお辞儀をしてくれた。
――よかった。この子がいるということは、彼女もいる。
「あら、椎葉さん?」
僕がそう思うのとほぼ同時に、期待していた人が厨房から現れた。
「水沼さぁん……」
なんだか安心してしまって、思わずのび太めいて情けない声が出た。
しかし、そんな僕の顔を一目見るや、水沼さんの顔が少しだけ曇った。
ややあってから、彼女は言った。
「椎葉さん、もしかして、化かされちゃってません?」
作中に登場した土浦竜ヶ崎線バイパスこと茨城県道48号線には、龍ケ崎ときめきストリートプロジェクトにおいて『おなばけ通り』という愛称もつけられています。




