3.つがい
そのときはそんな感じで有耶無耶になってしまったのだけれど、しかしもちろんこれは、いつまでも誤魔化し続けられるような問題ではなかった。
というか、いつまでも誤魔化したままでいていい問題ではない。
そして、そのことは彼女のほうもしっかりと理解していた。
昔側の玄関チャイムが鳴ったのは、翌日の夜のことだった。
「話してもいいか?」と夕声は言った。
「いいとも」と僕は言った。
そして二人で家に入った。
※
……と、ここまでの文章ではかなりクールに落ち着いた雰囲気を醸し出したけど、現実のやりとりは全然落ち着いてなかったし、少しもクールに進行しなかった。
「おいハチ! こ、こいつをくらえっ!」
リビングに入った瞬間、夕声は通学用のリュックからなにやら書類を取り出して僕に突きつけた。
いかにも、記入済みの婚姻届であった。
「ハ、ハチ! あた、あたしを嫁にしろ!」
「待て待て待て待て、待て!」
真剣通り越して必死、というかもはや決死の剣幕の夕声に、とにかくクールダウンを促す僕。
「……どうしたの、これ?」
「が、学校帰りに市役所でもらってきた」
無茶苦茶恥ずかしかった、と夕声は顔を赤らめた。
市民課の受付でガチガチに緊張しながら「婚姻届ください」と頼んでいる制服姿の夕声を想像して、僕は危うく悶絶しそうになる。
ダメだ、そのイメージは僕には特攻だ。
しかし、もはやこれで『なにかの間違い』という線は完全に消えた。
念のためにほっぺたをつねったりもしてみたけど、しっかりと痛い。つまり、夢でもない。
「十七歳って、もう結婚出来る歳なんだぞ? 日本じゃ女は十六歳で結婚できるんだ」
それって全然普通のことなんだ、だから……! とそう言いつのる夕声に、それが普通と言い張るなら同級生に結婚してる子がいるのか確かめてきてくれ、と僕は帰す。
「というか、結婚って……」
君、僕と結婚したいの? と。そう続けようとして、僕は口ごもる。
核心部分を口にしようとした瞬間に、発作的な気恥ずかしさが襲ってきたのだ。
「こ、こういうのは、その、ちゃんとした手順を踏んでからじゃないと……」
漫画のように赤面しながら、僕は見当違いなことを言っていた。
「ちゃんとした手順って、なんだよ?」
「いや、だから……まずは告白して、それから適切な交際を経て……つまり、結婚の前にまず恋愛じゃないの? 付き合うのが先じゃない?」
僕がそう言った瞬間、今度は夕声が真っ赤になった。
「つ、付き合うとか恋愛とか、そんな恥ずかしいこと、真顔で言うなよ……」
「結婚よりも恋愛のほうが恥ずかしいの!?」
もじもじする夕声に思わずツッコミを入れる。人外の価値観は時折わからない。
そうして二人して含羞に頬を染めながら理解したのは、僕たちはどちらも度しがたいほどに奥手だということだった。
僕は年上のくせにご覧の有様だったし、勢い任せにプロポーズなんかしてきた割には夕声のほうも同様だ。
そういうわけなので、我々は本題の入り口に立つまでにもさらにいくつかの工程を必要とした。
まずは落ち着くために二人で麦茶を飲んで、テレビを少しだけつけて、二人とも一秒も画面を見ないままで消した。そしてどちらからともなく姿勢を正した。
お互いに向かい合って座って、僕から先に切り出した。
「ええと……どうしてそういうことになったの?」
いかにも、これが本題の入り口だ。まずはそこからはじめなければ。
若干漠然とした質問だったけど、それでもしっかりと意図は通じたらしい。夕声は少しだけ伏し目になりながら答えた。
「……わかんない。ただ、気付いちまったんだよ」
「気付いたって、なにに?」
「……自分が、あんたと番いになりたがってるんだってことに」
「つがっ……!?」
番い、という語彙の威力に、またしても僕は悶絶しそうになる。
「つまり、その……君は、僕のことが、す、す……」
「ス?」
「ぼ、僕のこと、好きなの?」
「す、すくっ……バカ! そんなハズいこと……バカっ!」
自分で言うのもなんだけど、端から見たら僕たちって無茶苦茶めんどくさいと思う。
「……なぁ、あたしじゃ、ダメか?」
一進一退の対話の中で、夕声が言った。
「あたしなんて、かわいくない?」
「あ、いや……」
「魅力ないか? あたしって、醜女か?」
少しだけ身を乗り出しながら、不安そうな顔でそう聞いた。
そんなことはない、と心の中で即答する。
君と比べたら、テレビのタレントやアイドルなんてみんなくすんだ色をしている。
君ほど表情豊かな女の子なんて一人も知らないし、千態万状なその表情のすべてが一等賞に金メダルだ。
かわいくないどころか、君以上にチャーミングな女性なんか絵にも描けない空想上の生き物だ。少なくともこの僕にとっては。
……なんてことを面と向かって言う度胸は持ち合わせていないので、僕はひたすらしどろもどろになる。
「あたしじゃ、あんたの伴侶には相応しくない?」
再びの不安顔に、再び心の中で即答。
そんなことない。この三ヶ月、僕にとって君は最高の導師であり相棒だった。
どちらがホームズでどちらがワトソンかは知らないけど、一緒にいてこんなに楽しくて頼もしかった相手なんてはじめてだ。
君以上のパートナーなんて今後一生望めないだろう。
……なんてことは、以下同文。なにを隠そう僕は小市民なのだ。
「……ハチ」
夕声が、ほとんど縋るような目で僕を見て言った。
「もしかして、あんたはあたしが人間じゃないのが――」
「ああ、それは違う」
みなまで言わせずに即答した。今度ばかりはきちんと声に出して。
「前にも言った通りだ。君が人間だろうがキツネだろうが、そんなの関係ない。たとえ君が男であっても……いや、それはちょっと困っちゃうかもしんないけど……でもとにかく、僕にとって夕声はただ夕声でしかない」
なんであろうと君は君だ、と僕は言った。
自分でも驚くほどに言葉は淀みなかった。




