25/了 あたしを嫁にしろ
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親分たちに挨拶をして屋敷を辞した時には、すでに日付が変わっていた。
雨はやんでいた。
さっきまでの土砂降りが嘘のように、あるいはそうしてざんざんに降りしきったおかげで空が水切れを起こしたものか、薄い雲の向こうには月さえ眺めることができた。
いい夜だな、と僕は思う。夕声とはじめて並んで歩いた、あの初午の夜のように。
あの夜と同じように、僕の隣には夕声がいる。
僕らの会話は途切れていて、だけど少しも気まずさを感じたりしない。重くもなければ気まずくもない、安らかな無言の間。
これが本来の沈黙だ。僕が彼女と共有する沈黙は、こうでなければいけない。
「なぁ、ハチ」
不意に夕声が僕に話しかける。いつものように、いつもの呼びかけで。
「これで、残りの半分も信じたか?」
夕声がなにを言っているのか、一拍遅れて理解した。初午の夜の宴会、その帰り道でのやりとり。自分が狐であることを信じさせるために狐火を披露した夕声に、僕は半分だけ信じると言った。
「うん、信じたよ。これで九割は信じた」
九割? と夕声が首をかしげる。
「あたしの恥ずかしい姿をしかとその目で見ておいて、まだ全部信じてないのかよ」
「は、恥ずかしい姿とか言わないでよ」
変な意味じゃないのはわかってるのに、それでも僕は赤くなる。
「いいんだよ、九割で。だって、僕と君の付き合いはこれからも続いていくんだ。なら、簡単に一〇〇パーセントにしちゃったらもったいないじゃないか」
お楽しみはこれからだ、と僕は言う。いつかの彼女のモノマネで。
「……ばーか」
夕声が、照れを隠すようにぶっきらぼうに言った。そしてきっとこれも照れ隠しだろう、体重全部をかけて肩からぶつかってきて、僕の姿勢を崩す。
それから、彼女は笑う。上目遣いに僕の目を見ながら、にゃはは、と。
すべてが一〇〇倍返しで報われた気がした。
思えば僕はこの笑顔の為に頑張ったのだ。
タヌキ屋敷から女化神社まではほとんど距離がない。
普通に歩けば五分とかからないその道のりを、僕たちは必要以上に時間をかけて歩いた。
真夜中過ぎに未成年を連れ歩くのは問題なのはわかっていたけど、それでも名残惜しさが勝ってしまったのだ。たぶん、お互いに。
仕方ないだろう、そういう夜もある。
「……えっと、それじゃ……おやすみ」
「……うん、あんがと。……おやすみ」
神社に夕声を送り届けて、おやすみといって別れる。
そうして僕は家路についた。背中の闇に夕声を残して。
なんだか心が乱されていた。名残惜しさが切なさに変わっていた。
後ろ髪を引かれるとはこういう思いかと実感しながら、僕は神社の境内を出た。
「……ハチ!」
そんな僕の背中を、別れたばかりの夕声が追いかけてきた。
僕が振り向くのと彼女が僕に抱きついたのは、ほとんど同時だった。
「ゆ、夕声?」
夕声は僕の顔を見ない。僕の胸に額を当てたまま、腕を回して抱きついてくる。
それから、僕のワイシャツに顔を埋めたままで、彼女は言った。
「……あんた、あたしを嫁にしろ」
波瀾万丈を極めたその夜にあってさえ最大の衝撃発言を彼女は口にしたのだった。




