15.タヌキ屋敷
玄関を開けるといつのまにか外では雨が降っていた。夕声と手分けして子供たちに雨合羽を着せて(なぜか我が家にはこの子たちのそういうものが置かれている)、僕らは傘を差して家を出た。
雨の夜道を歩きながら、夕声が僕に聞いた。
「一応聞いておくけど、行ってどうするんだ?」
彼女の問いかけに、僕は「わからない」と即答する。
行ったところで、この僕にできることなんてなにもないかもしれない。
だけど、桔梗ちゃんのあの悲しい目を見たときに、僕はこう思ったのだ。
――この子の周りの大人は、いったいなにをやってるんだ?
「今の二人には、大人の味方なんて多分いないと思うんだ」
「だろうな」
「だから、一人くらいは必要かなと思って」
「味方が?」
「味方が」
たとえ見ず知らずの無力で小市民なお兄さんでも、この際いないよりはましなはず。
……ましだと思いたい。
僕の言葉に対して、夕声はなにも意見を述べなかった。
意見を口にする代わりに、彼女は村上春樹的にこう言った。
「やれやれ」
※
子ダヌキトリオが案内してくれた先は女化町内の一軒家だった。
周囲の家と同じように築年数の経過した家で、広めの庭の一角には昔ながらの焼却炉が放置されている。
「この家、何度か前を通りがかったことあるけど、まさかタヌキ屋敷だったとは……」
灯台もと暗しというかなんというか、僕たちの生きる現代社会には想像以上に人でない存在が浸透しているらしい。
呼び鈴をならして待つこと一分、玄関の中から見覚えのある顔が現れた。
「夕声さん……それにあなたはたしか、椎葉さん」
「こんばわっす」
いともフランクに言った夕声の後ろで、僕も慌ててお辞儀をする。
引き戸を開けて現れたのは初午の宴会で顔を合わせた旦那だった(ほら、あの組長然とした貫禄の)。
恰幅のいいタヌキの旦那は、突然の訪問客に戸惑っている様子だった。
「小次郎、見つかったんだって? よかった、一安心だ」
「え、ええ。夕声さんにもご心配おかけして……あとで報告とご挨拶に伺うつもりでいたんですが……」
「なら手間が省けたね。んじゃせっかくだからさ、ちょっとあいつの顔見せてよ。いいでしょ? なんたって小次郎はあたしの弟分だし」
「い、いや、それは……」
「いれてー」「みせてー」「いいでしょー」
表情全部で難色を示す旦那の足に、子ダヌキトリオがまとわりつく。
「お、お前たち……」
「あんちゃん、いれたげてー」「おねがいー」「ハチにいちゃん、いいひとだよー」
子ダヌキたちが得意のわがままで食い下がる。こうなったこの子たちが言っても聞かないのは僕もよく知っている。
やがて、根負けしたのは旦那の方だった。
「……わかりました、あがってください」
僕たちはお礼を言って玄関に入った。
「ああ、お前たちは騒がしくするからダメだ。いい子だから、今日はもう帰りなさい」
旦那に促されて子ダヌキたちが「はーい」と返事をする。
そういうわけで子供たち三人とはここで別れて、僕と夕声だけがお邪魔することになった。
上がり框のすぐ先は二階に続く廊下と階段に分かれていた。
僕たちが通されたのは廊下の先、一階のリビングだった。
室内には六人もの男性が集まっていた。
僕らが部屋に通された瞬間、興奮した口ぶりで議論を戦わせていた皆さんが、ピタッと口をつぐんだ。
「夕声さんじゃねえか? しかし、そっちのお若い方は……」
「あんた、もしかして人間じゃないのか?」
一人がそう指摘した瞬間、残る面々も一斉に沸騰した。
「冗談じゃない! なんで今ここに人間が顔を出すんだ!」
「ただでさえ隠しておきたい身内の恥を、よりによって人間になど!」
「出てってくれ! いや、追い出せ!」
状況からしてわかりきっていたことだけど、口ぶりからするにここにいる全員、間違いなくタヌキらしい(どうでもいいけど、この人たちはみんな最初の旦那と同じような貫禄ある見てくれをしていた。そんな組長集団にいっせいに詰められて、それでも泣きもチビりもしなかった自分を僕は自分で褒めてあげたい)。
「夕声ちゃん」
それまで黙って事態を観察していた一人が、夕声をまっすぐに見て名前を呼んだ。
六人の中で最年長の、六人の中で最も大きな存在感を放つ老人。
「こんばんは、文吉親分」
突然お邪魔してごめんなさい、と夕声が頭を下げる。
言葉遣いはともかく、彼女がここまでかしこまった態度で接する相手を僕ははじめて見た。
というか、文吉親分って……。
「東北妖怪スターシリーズの……」
思わず呟いてしまった僕に、全員の視線が集中する。
「ほう。そちらの人間の方はわしの十八番をご存知かね」
「は、はい」
文吉親分の目が夕声から僕に移り変わる。
その瞬間、身が縮こまるような感覚に襲われた。
穏やかなのに、おそろしく迫力のある目だった。
この人が文吉親分。小次郎くんのおじさんにして、龍ヶ崎タヌキの大親分。
「化生冥利に尽きるねえ。人間に芸を披露できるタヌキは、そうはおらんからね」
「そ、そう言っていただけると僕も嬉し――」
「しかし、今あんたがここにいるのは違うな」
文吉親分の視線が険しさを帯びる。
室内の温度が三度ばかり下がったような気がした。
「今はね、身内の今後を決める大切な話をしてるんだよ。だから、本日のところはお引き取りいただけるね? あんたとはまた日を改めて会うとしよう」
そのときは人とタヌキ、膝つき合わせて酒でも酌み交わそうじゃないか。
文吉親分は鷹揚に笑ってそう言った。
僕は。
「お、お、お引き取りません! 帰りません!」
言ってしまった瞬間、文吉親分の瞳が鋭さを極めた。
六月だというのにリビングは真冬と化した。
「……なぜだね?」
「あ、だ、そ、その……」
「この文吉がこうも頼んでおるのに、なぜ聞き分けてくれんのだね?」
「ぼ、ぼく、僕は……僕はっ、こう見えてっ、下戸ですっ!」
言ったと同時に、室内の温度が元に戻った。
六人のタヌキは全員、呆れきった顔をして僕を見ていた。
「文吉親分、こいつはあの日置さんの甥です」
そこで、それまで黙っていた夕声がそう口を挟んだ。
「ほう……日置の……」
「うん。それだけでなく、こいつは日置さんの跡目を継ごうとしてる。今すでに日置さんが残したあの家に住んでるし、ゆくゆくは日置さんの果たしていた役割も代わりに担う心算でいるみたいだ」
「ほう、ほう」
「もしそうなったら、親分たちタヌキにとっても得だと思うんだ。だから、今日は日置さんの後継者であるこいつに、ひとつ場数を踏ませると思ってさ」
叔父の名前が出た途端、タヌキたちがにわかにざわめきはじめた。
よく聞き取れなかったけど、日置先生、という単語がしきりに囁き交わされている。
いまさらにして思う。僕の叔父は、いったいぜんたい何者だったのだろう?
「……よかろう」
しばしの黙考の末に、文吉親分はそう言った。
「社会勉強だ、今夜今晩この屋敷に滞在することを許そう。ただし、我々タヌキの問題に口を出すことはできぬよ」
いくら日置の甥御といえどね、と文吉親分は言った。
「ありがとうございます、親分!」
夕声は元気にお礼を言って、それから、やったなハチ! と僕の背中を叩いた。




