5.美術鑑賞
赤は高梨の用意してくれたチケットを手に念願の美術館に入るとゆっくりと絵を鑑賞した。
うーん、いいわ。
模写じゃなく本物を見られるなんて。
か・ん・げ・き!
いえ違うわ。
これは、か・ん・ど・うよぉーおー。
青は心の中で雄叫びをあげた。
そうそう、さっき会った高梨さんに教えてもらった秘蔵の絵が飾ってある場所も回らなくっちゃ。
うーん、やっぱり数が多いだけあって教えて貰わなかったら見逃してたわね。
青はさっき会ったジョージの秘書であるメガネをかけた高梨に感謝しながらゆっくりと美術館の中を歩き回った。
数時間後、たっぷりの絵画鑑賞を終え満足な足取りで美術館を出た。
外はだいぶ日が昇っていてさきっきとは違って汗ばむくらいだ。
確かこの近くに今回の美術品をテーマにしたレストランがあったはずだ。
青がキョロキョロと周囲を見回していると後ろからどこかで聞いた低い声の男に呼び止められた。
ビクッとしながら慌てて振り向くとそこにはスーツを着てこの暑い中、ネクタイをしっかり締めた茶髪のメガネをかけた彼が立っていた。
「高梨さん。」
「いかがでしたか?」
優しい声に思わず青はニッコリと上機嫌で答えた。
「お陰様でとってもいいものを見れました。ありがとうございます。」
それから数十分も路上で高梨と話をしていると彼のポケットから甲高い音が突然鳴り出した。
高梨は青に断ってポケットから通信機器を取り出すと何か一言二言話をした後、いきなり彼女に頭を下げた。
青の方がビックリして目をぱちくりすると彼はこの蒸し暑い中、外で話し込んだことを謝罪すると、そのお詫びだと言って彼女が行きたかったレストランに誘ってくれた。
青はいくら行きたかったとは言え、最初は遠慮した。
しかし、高梨にあの美術館に並んでいて尚且つ自分が気に入っている絵画にちなんだ創作ケーキがあると教えられ、あっさり自分が言い張った”行かない”という言葉を撤回すると今度は期待に胸を膨らませ彼にいそいそとついて行った。
自分でいうのはなんだか現金なものだ。
レストランに着くとそこにはなんでかジョーの父親であるジョージが待っていた。
それにしても彼はなんでかすこぶる機嫌が悪そうだ。
「高梨、遅かったな。何をやっていたんだ。」
青たちが席に着く前に突然そんなこと言い出して高梨を叱責し始めた。
「申し訳ありません。」
高梨はそんなジョージにひたすら謝罪している。
青はジョージに叱責されている彼を見て、慌てて間に入って先程の事情を簡単に説明した。
しかし、青が彼を擁護すればするほど、なんでかジョージの機嫌が悪くなっていった。
そこにジョージの隣に座っていた落ち着いた感じの綺麗な女性の声が割って入ってきた。
「ジョージ、もういいじゃありませんか。取り敢えず食事にしませんか。」
金髪を後ろにサラリと手で流しながらさりげなく通路を通りかかったウェイターを呼んでいた。
先にウェイターを呼び留めた女性が青を除く全員の分の注文をした。
「君は何にするんだ?」
ジョージは青が読めない文字で書かれたメニューを彼女に差し出しながら注文を聞いてくれた。
だがメニューが読めなかった青は首を捻るしかない。
その様子に気がついたジョージがここのお勧め料理を注文してくれた。
青はお礼を言いながらもチラリと最後に高梨に視線を送ってしまった。
高梨はすぐに気がついてくれて頷くとなんでか超絶不機嫌な表情のジョージに遠慮しながらも美術館に置かれている絵画の創作ケーキを頼んでくれた。
全員が静まり返った中、テーブルに置かれたお茶だけがたんたんと消費されていった。
青が沈黙に耐えられなくなってもう限界だと立ち上がろうと思った時、やっとウェイターが食事を運んできてくれた。
青は目の前で不機嫌な顔をしているジョージに配慮して黙って出された食事に手を付けた。
カチャカチャとした食器の音以外は聞こえない、そんななーんともいえない微妙な空気の中、全員が最後まで食べ終えるとウエィターが念願の創作ケーキを青のところに持ってきてくれた。
それはまさに青が思い描いた絵画の世界が広がったケーキだった。
青の目が輝く。
「素晴らしいわ!」
思わず出てきた感嘆の言葉に持って来たウェイターも微笑んでくれた。
もちろん隣に座っていた高梨も喜んでいた。
それからはほとんど高梨とその創作ケーキと今日見た美術館に展示されていた絵の話で盛り上がった。
盛り上がりながらケーキを食べ終えると目の前には悪魔も裸足で逃げ出しそうな表情をした男が座っていた。
どうやら青は何かをしてしまったようだ。
不味い、どうしよう。
青がアワアワしていると天の助けのようにそこに通信機器の着信音がちょうどジョージの隣に座っていた綺麗な女性のバックの中から鳴り響いた。
女性は全員に断りを入れるとバックからカードを取り出して画面を見るとそれを隣に座っているジョージに渡した。
ジョージは苦虫を噛み潰した顔でそれを受け取ると一言二言話した後、隣にいた女性と一緒に立ち上がった。
なんだか浮かれた表情の女性と嫌そうな顔のジョージという好対照な二人は青に先に席を立つことを詫びるとその場からいなくなった。
思わずホッと肩の力が抜けた。
あの空気は本当にいただけない。
もっとも何を心配したのかジョージは席を離れる際、高梨にくれぐれも青を早めにホテルに送って行くように何度も何度も念を押していた。
青はこれでも成人して働いている娘を持つ年配の女性なのだがとジョージに対する視線がちょっときつくなった。
目の前にいる高梨は青とは違ってなんでか大きな溜息を吐いていた。
青はためらいがちに彼に声を掛けた。
「あのー・・・。もし、お忙しいようならタクシーで帰りますけど。」
高梨はいやいやと気にしないでくださいといった後、何かジョージについてブツブツと文句を言っていたようだがその後、先程のケーキ以外にも食べられるようなら創作料理を出している店にも案内できると言ってくれた。
ウーン名残惜しいがさすがにこれ以上料理を食べるのは無理そうだ。
断ろうとしたら料理以外にも飲み物だけでも注文ができると聞いて青はまた高梨に誘われるまま美術館に飾っている天使の絵をモチーフに創作されたドリンクを飲みに別の店に向かった。
そこは先程の店から歩いて20分ほどの場所にあった。
汗ばむ中、青と高梨は飽きることなく彼女が先程見てきた美術館に展示されていた絵について熱く語った。
そのせいかあっという間に店に着いてしまった。
そこはこじんまりとした小さな店だった。
これではカードに記憶されていても見落としてしまいそうだ。
青は赤い煉瓦で彩られた外壁にうっとりしながら高梨に案内されて店内に入った。
店内は外壁が厚いせいかひんやりとしてとても快適だった。
壁には年代物の絵画と小物が数点飾られていた。
それがとてもいい雰囲気を醸し出していた。
ウーン、とても魅力的だ。
青が年内をキョロキョロしているうちに高梨が個室を予約しておいてくれたようで二人はそこからさらに奥まったテーブルに案内された。
そこには美術館にたくさん飾られていた天使の絵とよく似た小さな絵が飾られていた。
絵の中の天使の羽はとても生き生きと描かれていて今にもその羽根がこちら側に落ちてきそうだ。
青がその絵に魅入られていると高梨がとんでもないことを教えてくれた。
これは美術館に飾られていたあの絵の作者が若いときに描いたもののようだ。
思わず口元に手がきていた。
信じられない。
そんなものをこんなにまじかに見られるなんて・・・。
高梨は絵に魅入られている青に注文を聞くことなく案内してくれたウェイターにこの絵にちなんで作られた飲み物を注文してくれた。
青がかなりの時間その壁に掛けられた絵に夢中になっているうちに高梨によって注文された飲み物が届いた。
高梨は時間を忘れて絵に魅入っている青に声を掛けた。
「青さん。気持ちはわかりますが冷えているうちにこちらを頂きませんか?」
青はハッとして高梨を振り向いた。
そこにはテーブルの上に可愛い小さな天使をモチーフにしたフワフワとしたクリームが幾層にも重なった飲み物が置かれていた。
「まあ、かわいい。」
「そうでしょ。さあこちらに座ってください。こちらに座りながらこの飲み物を飲みながら見るこの絵が本当に最高なんですよ。」
青は高梨に勧められるまま、そのクリームたっぷりの飲み物に口をつけた。
クリームがたっぷり乗っているのでさぞ甘いだろうと思って口をつけてみるとその甘さと飲み物に混ざっている辛めのアルコールが合わさって、素晴らしい味わいだった。
まさにあの天使の絵を彷彿とさせるすっきりした味にアルコールの強さも相まってふわふわする。
それから二人であーでもないこーでもないと今度は目の前にある絵について語った後、二人はホテルに向かった。
外に出るとすっかり日が暮れていて淡い感じの街灯が良い雰囲気に周囲をほんのりと照らしていた。
アルコールを久々に飲んだのでほんのり体が熱くさっきよりフワフワとした感じで出てなんだかいい気分だ。
心配そうな顔の高梨を説き伏せて青は公共機関の乗り物が止まるポイントまでゆっくり歩いた。
そしてそのままそれに乗ってホテルに向かった。
乗り物は二人が乗るとすぐに軽快な音を立てて走り出すと数分でホテル近くまで二人を連れて行ってくれた。
こんなことなら最初からこれで美術館に移動すればよかったと思った。
青は高梨に手を取られて公共の乗り物を降りると二人でそのままそこから少し先に見えるホテルに向かった。
高梨が青を心配して手を繋いでくれた。
そんなに酔っていないのに何でか少し地面が揺れていた。
フワフワした感じの青の体に昼間より強くなった風が当たって、さっきのアルコールで火照った体を冷やしてくれる。
ウーン、いい気分。
青はホテルの前まで高梨に送ってもらうとそのままそこに入った。
フロントは遅くなったのでもう誰もいなかった。
さて、どうやって部屋に戻ろう。
無人のフロントの前で唸っているとガシッと強い力で肩を捕まれた。
ギョッとして掴んでいる人物を振り返ると、そこには先程レストランで別れた時と変わらず不機嫌顔なジョージがいた。
「なんでこの人いつも怒っているの?」
アルコールの勢いもあって思わずそう口から出ていた。
ジョージはムッとしながらも青に説教を垂れた。
「帰りが遅いから心配した。息子に頼まれているのにこんなに遅くまでどこにいたんだ。」
そんなお小言を延々と語るので思わず青もムッとした顔で反撃していた。
「別に未成年者でもないのでほっといてもらって問題ありませんわ。」
「なんだと!」
「だから世話なんか必要ありませんって言ったんです。」
彼はわなわなと拳を震わすとくるっと後ろを振り向くと背中を向けてホテルと出て行った。
糞。
青は腰に手を当てて彼を見送った。
そこでハッとした。
あっ、しまった。
どうしよう。
どうやったら部屋に戻れるの?
怒るのは部屋に戻れる手段を講じてからにするんだった。
青はそれから数時間ホテルのフロント前で突っ立っていた。
くそっ、今度からはもう少し状況をみてから反撃しなきゃ。




