第二十一話 考えもしない可能性
「青葉美桜はたった今帰らせたところだ。」
病院のベッドの上。白い天井を見つめながら、美桜のスマホが見当たらないことに気付く。持って帰ってないのか……。
ふと声のほうに目を向けると、片肘をついた星宮がふふんと意味ありげにニヤけて俺を眺めていた。
「はぁ……どうしてアンタがいるんだ?」
「おいおい、ずいぶんな言い草だな。可愛い教え子のピンチに駆けつけない教師はいないだろ?」
「そういえば、いちおう教師だったな」
「フッ、思ったより元気そうだな」
「まったく問題ない!ちょっと疲れて倒れただけだからな――」
――ぐぬっ!背中が痛ぇ……。
「ブハハッ!無理すんな!傷は浅いが、一応刺されたんだ。動くと傷口が開くぞ」
「おい、声デカいぞ。隣も誰かいるんだろ?」
パーテーションが閉じられた隣のベッドに気付き、星宮のバカ笑いを注意する。
「おや?珍しいな、加賀見聡明。お前はそういうのを気にするタイプだったか?だが、心配するな。お隣さんは――」
シャッと星宮がパーテーションを開ける。
「やあ……加賀見くん。背中、大丈夫?」
「――朝倉!?まさか……」
驚きの声が漏れる。そこに横たわるのは、担任の朝倉みくる。青白い顔で、申し訳なさそうにこちらを見ている。胃に穴でも空いたんだろう……俺は背中に穴が空いてるが。
「ブハハッ!ウケるだろ?情けねぇったらねぇよなぁ!教え子の見舞いに来たら胃痛でダウンしたんだ。空いてるベッドがないから、加賀見聡明の隣にそのまま入院って――クククッ!」
「鬼かよ、星宮……」
「うう……面目ない……」
星宮はお腹を抱えて笑い、朝倉はお腹を抱えて縮こまる。そんなしょうもないやり取りの最中、不意に星宮の表情が引き締まった。
「それで?言い訳はあるんだろうな」
問いかけの重みが違った。なぜ刺されたか、だろう。警察からも話が入っているはず。停学どころでは済まないかもしれない。
今回は俺が自分の判断で動いた――だから言い訳になるかどうかは別として、答えは決まっていた。
「俺が気に入らないからぶちのめした。それだけだ」
「何人やったんだ。」
「……10人、だったかな。」
「ククッ!加賀見聡明は宮本武蔵かよ!」
星宮は責めるでもなく笑う。
「おい、教師が笑ってていいのか?」
「加賀見聡明!勘違いするなよ。オレは怒ってるんだ。伊達工の生徒をぶちのめしたこと?違う……怪我をして我々に迷惑をかけたこと?違う……オマエが相談してくれなかったことだ!」
「――むぐっ!」
突然、星宮の手が俺の頬を鷲掴む。顔が近い……これは睨み合いか?つまりガンの飛ばし合い!負けねぇ……ヤンキーがセンコーに負けるわけにはいかねぇ!
しばらくの睨み合いの末……
「ブハッ!なんだその変な顔は!」
星宮の唾が飛び散る!汚ねぇ!
「変な顔って――お前が顔を掴んでるからだろが!」
「ハハハッ!……なぁ、加賀見聡明。何を見た?何を見て行動したんだ」
「……」
星宮の眼差しは鋭い。まるで逃げ場をふさぐように、俺の内側まで見透かそうとしてくる。
はぁ……この視線から逃れるのは無理そうだ。
「俺は金属バットで後頭部を殴られ、その瞬間――頭の中に、『前世の記憶』と思われる情報が流れ込んできた。
そして、気づいたら、「青葉美桜」の家の前に立っていた。
その記憶は、美桜の兄である「青葉斗翔」のものではないか――そう思っていた。ここまではいいな?」
星宮と朝倉は静かに頷いた。いつのまにか、朝倉もベッドの上で正座して聞いている。どうやらこの話に本気で向き合うつもりらしい。
「ここから先は、正直信じられない話をする。でも……突っ込まずに、そのまま聞いてほしい。」
そう言って、一瞬だけ言葉を飲み込んだ。信じてもらえるか、不安が胸の奥に張りついている。
「俺は【アル】という、美桜の犬……いや、厳密には斗翔の犬と会話ができる」
ふたりは顔を見合わせたが、笑うことはなかった。ただ、じっと耳を傾けている。
「これはマジだ。俺は本当にアルと話せるし、一緒にドッグランに行ってドッグカウンセラーもしてる。
それで、この間のことだ。美桜の前で倒れた時があっただろ?あの時、俺が見たのは――俺自身の【死】だった」
ガタッと星宮と朝倉が身を乗り出してくる。俺はそれを手で制し、続きを話す。
「美桜は『互助戒』という組織に狙われて、暴行されそうになった。理由は……このスマホに入っているデータだ。
俺は美桜を助けようとして刺され、死んだ……だから、先手を打った。
互助戒の目を俺に向けさせるため、スマホを持ってヤツらを叩きのめした……それで俺は……」
「――だから、加賀見聡明はそこで刺されて死んでいるはずだった……か?」
星宮の言葉に、俺は唇を噛んだ。
「……そうだ。俺はその時、自分の前世は『斗翔』じゃないんじゃないか、と思ったんだ。というか、前世なんてどうでもいいとさえ思っていた。だから強行手段に出た」
「ふむ……おしいな。もう少し考えるべきだった……お前は、自分が死んだから見えたものを"未来視"だと思ったんだろう?だが、違う――」
「……。」
星宮はゆっくりと言葉を続ける。
【青葉美桜を助けて死んだのが、加賀見聡明の前世だな!】
「――!」
【お前は、早まって自分の前世を助けたんだ!】
俺は息をのんだ。
――星宮……こいつ、考察力が半端じゃない……!
「そうだ。つまり……俺の前世は……【アル】だ!」
ーーー
頭を使いすぎて、思考がこんがらがりそうになる。星宮も無言のまま顎に手を添え、何か考え込んでいる。しばらくすると、朝倉が飲み物を買って戻ってきた。
手渡されたそれを口に含むと、喉の渇きが癒え、少しずつ頭の霧が晴れていく。
「なぁ、朝倉みくる。前世と今世が同じ時間を生きているなんてことが、あり得ると思うか?」
星宮が、戻ってきた朝倉に問いかける。
正直、俺にとっては理由なんてどうでもいい。【アルと俺が同じ魂】だという、それだけの事実で十分だった。けれど、星宮はどうにも何か引っかかっているらしい。
「僕としては、『加賀見くん』の前世が『斗翔くん』だったっていうよりも、【アルくん】だったってことのほうがしっくりくるんです」
「――アァ!俺が犬っぽいってか!?ガルルルッ!」
「――ひぃ!違います!そういう意味じゃなくてですね……」
朝倉は慌てて手を振ると、ふと真剣な顔つきになり、続けた。
「お二人とも、【臨界融合頻度】って言葉を聞いたことがありますか?」
「……臨界融合頻度?そういえば、前になんか訳のわからん授業をしてたな。」
「――おぉ!加賀見くんが聞いてくれてたなんて、僕は感激です!うう……」
「おい!そんなのいいから早く話を進めろ!朝倉みくる!」
「――うっ!」
星宮の容赦ない言葉に、朝倉はしゅんとしながらも話を続ける。
「この世界は、一秒間に300Hzの臨界融合頻度で推移しています。人間は70Hz程度、犬は75Hz程度。この意味、分かりますか?」
俺と星宮は黙ったまま、朝倉の説明を聞く。
「例えるなら、犬は一秒間に300枚のパラパラ漫画の75ページまで読めるんです。つまり、人間よりも5ページ早く『世界を認識している』んですよ。」
「……で?」
興奮する朝倉のテンションに、俺も星宮も乗り切れず、無表情で視線を向ける。
「つまり!この微細な誤差が積み重なれば、人間と犬では時間軸が微妙に異なるんです!あの窓の外にいるハト――彼らなんて150Hzですよ!そりゃもう、人間よりずっと先の時間を生きてると言っても過言じゃない!」
「……」
「もしかすると、僕の前世があのハトだった可能性も――うん、これは大発見ですよ!?だって、考えてみてください……!」
「アァァ!その話はもういい!」
星宮がバシンとテーブルを叩いて叫ぶ。朝倉は一瞬でしゅんと小さくなった。
「オレが気になるのは、【前世の自分を助けたら、今世の加賀見聡明はどうなるんだ】って話だ!」
「――!」
考えもしなかった可能性が頭をよぎる。
そうか……俺は、死ぬはずだった【アル】を間接的に助けている。もともとアルの魂である俺は……?
「……おそらく、存在しなくなる」
静かに、朝倉がそう言った。




