第十七話 十人十色
朝、教室の扉をくぐると、空気がわずかに張り詰めた。
静けさの中、誰も直接言葉を発するわけではない。だが、視線だけは確かに俺に向けられている。
正面から見られるわけじゃない。
横目でちらりと――それが余計に不気味だ。
分かっている。
昨日のことが、もう広まっているのだろう。
窓際、一番後ろの席までの道のりが、やけに長く感じる。
俺を怖がってヒソヒソ話すヤツはいない。だからこそ、妙な圧がある。
ただ、沈黙の中の視線だけが、俺に突き刺さっているのだ。だが――
「加賀見くん!ちょっといい?」
登校早々、柊が俺の腕を引く。
「ちょ、おい――せめて荷物置かせろって!」
言う間もなく、俺は教室の外へと引っ張り出される。
壁、ドンッ!
柊の顔がぐっと近づく。むぅ、と頬を膨らませた表情が拗ねているようで、なんだか妙に愛嬌がある。
……いや、これはこれで可愛いのか?
日に日に性格が激しくなってる気がするのは、もしかして俺のせいか?そう思うと、美桜に怒られたのもあながち間違いじゃないのかもしれない。
「噂って本当なの?」
大きな瞳が俺をまっすぐ射抜く。
「噂?なんのことだ?」
心当たりはある。でも、とぼけるしかない。
「青葉さんと付き合った初日に、膝枕でヨシヨシしてもらってたって!意外と甘えん坊なんだって話だよ!」
「はぁっ!?なんじゃそりゃ!」
「じゃあ、違うの?」
「全然違うわ!付き合ってねぇし、甘えん坊でもねぇ!しかも、膝枕でヨシヨシなんて……してもらっ…てない、とは言い切れないのか…?」
「ほら、やっぱりじゃん!」
「違う!誤解があるんだって!美桜は、俺が意識を失ったのを介抱してくれただけだ!」
「意識を失ったって……加賀見くん、最近ほんとにおかしいよ!この前も頭痛いって言ってたし……私たち、友達でしょ?何か隠してるんじゃないの?」
柊は、間違いなく俺の友達だ。
コイツは本気で俺のことを心配してくれている。
一匹狼だった俺に、いつの間にかいろんな情報を届けてくれたのも柊だった。
陰で動いてくれていた柊がいなければ、美桜やアルとも、ここまで早く距離を縮めることはできなかっただろう。
――だからこそ、ちゃんと説明すべきだ。
昼食のときに保健室へ来るよう、柊に伝えた。そこで俺がすべて説明する。
これ以上、危険なことに巻き込まないためにも……。
ーーー
「ずいぶん遅かったわね。どこに行っていたの?」
柊の追及から解放され、ようやく自席に着こうとすると、隣の席の美桜がふいに声をかけてきた。
そっぽを向いたままだったので、一瞬俺に話しかけたのかは分からなかった。
だが、美桜が他に誰かと話すか……と考えればそれは無いと気付き、すぐに答える。
「柊と話してた」
「そ、そう……相変わらず仲がいいのね」
美桜の言葉は何気ないものに聞こえる。でも、その語尾がどこか不自然で――まるで、ほんの少しだけ引っかかるような響きだ。
「まあ一応、友達だからな。いろいろ心配してくれてるみたいだ。だから、今日の昼は柊と食うよ。話すこともあるしな」
「べ、べつに……今日も一緒に食べるつもりじゃなかったわよ!」
美桜は勢いよく顔を背けた。でも、その瞬間、机の上に置かれた重箱が目に入る。
昨日と同じ――どう考えても、美桜がまた作ってくれたものだ。
「そうなのか?……俺はてっきり、今日も一緒なのかと……」
「なっ……!? ど、どうしてそうなるの!」
「いや……」
俺は机の上を指さす。
「……俺の机に、重箱が置いてあるから」
美桜はぐっと口を閉じたまま動かない。
ありがたく頂きたい――でも、今日は柊との約束がある。
……雪村に、美桜と一緒にいるよう伝えておくか。
ーーー
昼。保健室。
目の前には、まるで食材の宝石箱――いや、彩り豊かなちらし寿司が広がっていた。
しかも、具材でハート型……。
美桜、お前、弁当の表現力が半端じゃないな。
いつものクールな雰囲気からはとても想像できない。
これを作る姿なんて、なおさら思い浮かばない。
……いや、俺はこれをどう受け止めたらいいんだ?
「ほぉ……」「むぅ……」
ぽつりと漏れた声に、ジトーッと視線を送ってくる柊と星宮。
……どうも、居心地が悪い。
昨日の件もあるから、ある程度の覚悟はしていた。
だが、弁当の蓋を開けた瞬間、その覚悟は軽々と飛び越えられた。
「これは、あれだ……美桜の感覚がちょっとズレてるんだ。弁当になると、やけに可愛く仕上げてくるみたいでさ。本人に自覚はないみたいなんだけどな。こんなの、男が勘違いするぞ!ってな……」
ハハッ……ハハ……。
軽く笑ってみせたが、柊の視線が妙に刺さる。
……いや、別に弁解しようとしてるわけじゃないんだけどな。
「心理だな…」「ですね…」
「あ?なんだって?」
星宮がうんうんと頷きながら呟くと、柊もそれに呼応するように同調した。あぁ、この二人は気が合いそうだな――そんな予感を抱きつつ、箸を伸ばす。
三人で食事をしながら、俺はこれまでの経緯を柊に説明した。とはいえ、“アルと喋れる”ことだけは伏せたまま……それ以外のことはすべて話した。つまり、“前世の記憶”があることを伝えたのだ。
これで星宮、朝倉、柊の三人は、『俺と青葉美桜』が何らかの関係があることを認識することになる。もちろん、それはあくまで信じてもらえているという前提の上に成り立つ話ではあるのだが――。
ちなみにパーテーションの向こう側――朝倉は静かに横になっているらしい。
「胃が痛い、胃が痛い……」と呻いているが、そのわりには、妙に落ち着いた様子だ。
本当に痛いのか、それとも……?
俺はふと、密かに思う。
コイツ、ただ星宮に会いたいだけなんじゃないのか?
ーーー
柊は俺の話を静かに聞き入っていた。
否定もせず、ただ受け入れるように――。
そんな時、パーテーションがそっと開き、割り込むように声が響く。
仮病疑惑の朝倉だ。
「加賀見くん……また倒れたってことは、新しい記憶が蘇ったの?」
「……」
「どうした? 加賀見聡明……あの時、何か、見たんじゃないのか?」
「加賀見くん……?」
「……」
言うべきか、言わざるべきか。
正直、迷っていた。
あまりにも――内容が凄惨すぎる。
これまでの記憶とは違う。異質だ。
なぜなら、あれは“未来視”だった。
俺の、俺自身の最期――。
「……いや、いつも通り青葉斗翔の記憶だった。たいした情報はなかったよ」
「そうなんだ……じゃあ、もう“前世の記憶”との決着まですぐなんだね。青葉さんにも『お兄さんかも』って伝えたし……あとは青葉さんの家にお邪魔するだけってこと、だよね?」
柊は、安堵したように俺を見つめる。
「……そうだな」
柊は俺の身を案じている。
ならば、余計な心配をかけさせるわけにはいかない。
「でも、青葉さんって加賀見くんのことどう思ってるんだろう。だって、『お兄さん』って言われて、すんなり納得できるものなのかなぁ」
「たしかにそうですよね。普通ならそんなこと言われても、困惑しそうな気がしますけど……」
「そりゃ、俺がベストなタイミングで打ち明けたから、信じたんだろ!」
「「えぇ〜?」」
俺の説明に、二人はまるで信じられないと言いたげな表情を浮かべる。
しかし、ふいに星宮が「はぁ……」とため息をつき、机の上の重箱を指さした。
「……これ見たら分かるだろ?」
呆れたような口調だった。
「「あぁ!」」
柊と朝倉はそろって頷く。
なんだ……?どういうことだ……?




