第十五話 意を決して
「んっ!」
「……ん?」
「――んっ!」
突然、目の前に差し出された箱。
……箱というか、弁当箱……いや、これは重箱じゃねぇか。
美桜は目を逸らしたまま、それを俺に押し付けるように突き出している。
しかも「んっ!」の一言だけ。
――受け取れ、ということか?
「……くれるのか?」
「ただのお詫びとお礼よ!アナタ、いつもパンしか食べてないでしょ……ちょっと作りすぎたから持って来ただけよ」
佐々木くんとやらの件に関して……ってことだな。ふっ、コイツらしいな。
「お礼なんて律儀だな」
しかし……作りすぎたってレベルじゃねぇ。
どう考えてもこの量は異常だ。
ピクニックにでも行くつもりじゃなきゃ、こんなに作らねぇだろ。
「べつに嫌だったら捨ててもいいから!」
美桜はそう言い捨てると、ふいっと隣の自席についた。
正面だけを見据え、むすっと黙り込んでいる。
どこか怒っているようにも見えるが――何か言ったほうがいいのか?
俺は考える。
これは、好意の表れなのか?
それともどこかで俺の「手料理が苦手」だという情報を仕入れ、わざと作ってきた嫌がらせなのか?
……柊がすごい形相でこっちを見ているし、これも計算のうちか?
柊と俺の仲を裂こうという、高度な駆け引きなのか――。
柊をヤンキー道に引き込むな、なんてことも言ってたしな。う〜ん、いやこれは距離を詰めるチャンスだろう。
「なあ、美桜。昼、一緒に食わないか?どうせ一人だろ?」
「――なっ!?一緒に?」
「ああ」
「も、もしかして何か勘違いしてないかしら!これはお詫びとお礼であって、特別な感情が込められているわけじゃないの!
たしかにあの時、私はアナタに抱きついてしまったわ!でも、それは緊張と興奮でどうかしていたの!
だから、いきなり”二人っきり“で食事なんて言われても……こ、困るわ!」
美桜の顔はみるみるうちに紅潮し、言葉が次々と溢れ出す。抑えきれない感情が、熱を帯びた語調となって俺に迫る。
「い、いや……雪村いるし、二人っきりじゃないぞ……」
「――うっ!そ、そうなんだ!べ、べつに二人っきりを意識してたわけじゃないのよ!あやよ、言葉のあや!」
「そ、そうだよな……」
だが――勢い余ってしまったのか、意図せず揚げ足を取るような形になり、胸の奥でわずかに後悔がよぎった。
「だって、ア、アナタもいつも一人だから……」
――うっ急にしおらしく……情緒どうなってんだ。
「あ、あれだな……雪村のことは美桜が俺に押し付けただろ?てっきり気付いてるかと思っただけだ」
「――お、押し付けたって、アナタ――!」
「あぁ、わかった、わかった!落ち着け!“見守る“……だな。いちいちキレるなよ」
「分かればいいのよ……。それで……どこで食べるの?」
「いや、結局一緒に食べるんかい!」
「ふんっ」とそっぽを向きながら、照れてるのか怒ってるのか分からない。
肩肘をついて、顔は前を向いているのに――目線だけが、ちらちらとこっちを伺ってくる。
ーーー
昼。
俺たちは中庭のベンチへ向かった。
ここならテーブルもあるし、教室よりは人目が少ない。
天気も悪くないしな……ただ、目の前には美桜。
そして、隣には――雪村が空気のように座っている。
いざ、一緒に飯を食うとなると、妙に緊張するな。
距離を詰めようと思って誘ったはいいが――目の前で手料理を食うことを、すっかり失念していた。 ちょっと、緊張するな……。
美桜は、俺が重箱を開けるのをじっと見ている。
自分は何食わぬ顔で、小さな弁当箱をさっさと片付けながら、チラチラとこっちを伺っている。
……重箱だけに、プレッシャーがすごい。
まず、蓋を開けてみる。
「――こ、これは!」
すごい……!色鮮やかだ。
卵焼き、ウインナー、唐揚げ――定番のものはもちろんのこと、煮しめまで入っている!?
……コイツ、いったい何時に起きて作ってるんだ。
さらに、グラタンらしき洒落たものまで……しかも、美桜自身の弁当に入っていないものまで詰め込まれている。
「こ、こんな豪華な弁当……見たことないぞ」
「そ、そう……?青葉家ではそれが普通よ。残り物だし、遠慮なくどうぞ」
――残り物って!?絶対嘘だろ!
本当なら、どんだけ残してるんだよ!
「――こぉ〜!青葉師匠、これは凄すぎます!うちのお母さんより料理上手です!」
「そ、そう?良かったら雪村さんもどうぞ」
「――え!いいんですか!?じゃあさっそく卵焼きから――痛っ!」
雪村が重箱に伸ばしてきたので手を弾く。
「お前、バカか!なに、俺より先に食おうとしてんだ!こういうのは、俺がもらったんだから俺が食って、そのあとにお前がおこぼれをもらうんだ!」
「は、はい、神!では待ってます!」
「やるとは言ってないけどな」
「――えぇ!?」
「はぁ……加賀見くん。雪村さんにも分けてあげて」
「青葉師匠〜!」
「ちぃ!」
……雪村め、購買で何も買ってきてないと思ったら、最初から狙ってたな。
しかし、こんな上等な弁当をもらうなんて……なんか申し訳ないな。
だが、落ち着け俺……ふぅ……。
上段にこれだけのものが詰まってるんだ。
さすがに下段は――おにぎりだけのはずだろ。
そう思いながら、上段を持ち上げる。
下段には――ハートに海苔巻きされたおにぎり!?
なんだこれは!!
反射的に美桜の顔を見る。
……キョトンとしている。こういうのはとくに特別な意味は……。
隣の雪村を見ると――口をパクパクさせた魚みたいな顔をしていた。やっぱ、おかしいよなぁ。
美桜……天然かよ!
こんなもん渡されたら、男は勘違いするだろうが!
ハートのおにぎりなんて、普通どんな気持ちで作るんだ!?
雪村にアイコンタクトで理由を聞くが――フルフルと、死んだ魚の目で首を振るだけだった。
ーーー
「かぁ〜!美味すぎた〜!美桜、マジで天才じゃね?こんな美味い飯食ったの、俺初めてなんだけど!」
「ですねぇ〜!本当に美味しかったです、青葉師匠!」
「――ホ、ホンッ……!?ん……んぅぅ!そうかしら、
べつに普通だと思うけど」
美桜の顔が、一瞬綻んだ。
しかし、俺と雪村と目が合った途端――急に冷静になり、いつものクールな顔に戻る。
その様子を見て、俺と雪村は悟った。
……照れてるな、と。
「いやぁ、本当に凄いですねぇ青葉師匠!何て言ったって、神がこんなにバクバク食べると思いませんでしたもん!やっぱり美人が作ると関係ないんですか?」
――は?何を言ってるんだ、雪村は……。
「何のことだ?」
「それはどういう意味?雪村さん」
「え?あれ?だって神って“手料理”が苦手なんでしょ?」
「――あ……」
「――え?そうなの、加賀見くん」
……本当だ。全然気にならなかった。
普段なら、誰かが作った物は躊躇する。
とくに、作った本人が目の前にいると、一瞬手が止まってしまうのが俺だ。
これは……。
「う〜ん……美桜だと大丈夫みたいだな。なんでか分からんが……」
「「――え?」」
「神……それって……」
「――ちょっと雪村さん!何を言うつもり!」
いや、やっぱり、なんでかは分かる。
美桜が俺にとって、特別近しい人間だからだろう。
きっと――前世の記憶も、関係してるはずだ。
「まあ、あれだな、美桜の料理がめっちゃ美味かったからだろ!」
美桜が困ったような表情を浮かべたので、とりあえずそう言っておく。
「……べつに、普通だから」
「――ったく、相変わらず素直じゃねぇなぁ。美桜は昔っから――」
――あれ?昔っから……?
自然に口に出してしまった、その瞬間――美桜と目が合う。
見つめ合った時間は、一瞬だった。
だが、美桜が何を思い、何を言わんとしているのか――俺には、分かっていた気がする。
「加賀見くん……変なこと聞くけど、アナタは、本当に加賀見くんなの?」
ついにきたか……この時が!
「美桜、放課後、校舎裏で待ってる。話したいことがある。」
「「――!」」
口にした瞬間、遅れて後悔が押し寄せた。まるで告白みたいじゃないか――そう思った途端、妙な気恥ずかしさが背筋を走る。
同席している雪村は気まずさを隠せず、オロオロと視線をさまよわせる。一方の美桜は、「は?え?なに?」と呟きながら、思わず手で顔を覆い、ふいっとうつむいてしまった。




