第十四話 「おあずけ」
「アル、聞いてくれ!昨日、とんでもない事件が起きたんだ」
『おい待て、聡明……オマエ、もうここにいるのが当たり前みたいになってないか?そもそも部外者はドッグランに入れないはずだろ!?不法侵入で通報されたらどうすんだ――』
「なんだよ、うるせぇな。レオとマロンの件から、俺は顔パスなんだよ。オッさんやオバさんたちの相談役なんだ、俺は」
ドッグランに入ると、真っ先にアルのところへ向かう――はずだった。
けれど、その前に避けて通れないものがある。オッさんやオバさんたちの視線と声だ。
ま、適当にあしらえばいいんだが、この場所に入り込むための通過儀礼みたいなもんだから、仕方ない。
『は?相談役?』
「ああ、なんつぅか……ドッグカウンセラー?」
『ハァァ〜!?聡明、ワタシ以外の犬とも会話できるようになったのか!?』
「いや、なってねぇけど」
『じゃあどうやってカウンセリングしてるんだ!』
「ん〜……適当?それっぽいこと言ってるだけだな」
『なにぃ〜!それはもう詐欺じゃないか!』
「いいんだよ、アルに会うためだけに来てるんだから。カネをもらってるわけじゃないしな」
『ダメだろ!カウンセラーならちゃんと診てあげないと!犬側からしたら嘘を吹き込まれるのは迷惑なんだぞ!ふむ……騙すのも良くない。なら、ワタシも手伝う!いくぞ!』
「はぁ?待て待て!そんなことより昨日の話をしようぜ!」
『カウンセリングが終わってからだ。いくぞ!』
「おい、アル!待てって!」
アルは振り返ることなく、オバさんたちや犬たちが集まっている方へと歩き出した。
「えぇ?面倒くせぇ!なんの義理もねぇヤツらなんてどうでもいいだろ!」
歩きかけたアルにそう言うと、アルは足を止め、ゆっくりと振り向いた。
その顔には、どこか残念そうな色が滲んでいる。
……柊も、たまにこんな表情をする。
『聡明……本気で言ってるのか?レオやマロンを救ったとき、オマエは何も感じなかったのか?』
アルの声には、強い確信が滲んでいた。
『いや、感じたはずだ。胸の奥がじんわり温かくなったはずだ。だって、オマエには……いや、なんでもない』
「……なんだよ。それじゃあ結局、アルにとって俺は『斗翔』でしかないってことかよ?」
『――ち、違う!ワタシはそんなつもりで言ったんじゃ……』
「ハハッ、冗談だ。分かってるよ。アルは友達だからな。ちょっとからかっただけだ」
「聡明……ワタシは、オマエに『斗翔のような生き方』を求めているわけじゃない。ただ、周りが勝手にオマエを悪く言ったり、否定されることが許せないんだ。だから――」
「――!……ふっ……なんだそりゃ!ハハハッ!」
そう言って、俺は少し大げさに笑ってみせた。
アルは、気恥ずかしそうに目をそらす。だけど、それが何を意味するのか、俺には分かっていた。
――嬉しさを隠すための、ほんの些細な照れ隠し。
そんな心の内を、友達のアルに悟られてしまったら、ヤンキーの名が廃るだろ?
俺たちはきっと、ずっと昔――前世から、魂の奥底で繋がっていたんだと思う。
ーーー
「チョコは――あれだ。オバさんの香水がキツいってよ」
「えっと……コムギはもっとメシ食わせろって言ってるぞ。――あ?ダイエット?知らねぇよ、そんなこと」
「ハルマはなぁ……おっ、リンリンが好きだってよ」
俺は、アルの通訳としてカウンセリングをすることにした。
誰かのために何かをするのは、当たり前のこと。
日本人なら、小さい頃からそう教わっているはずだ。
けれど、それは誰から教わったのだろう。親?学校?アニメ?漫画?……いや、日本文化そのものが、そうなのかもしれない。
それでも俺は――初めてなのかもしれない。
マドンナを助けたときも、不純な動機があった。
雪村のときだって、アルに言われなければ動かなかった。
美桜のときは……ただ、反射的に身体が動いただけだ。
今、俺はドッグランでカウンセリングをしている。
だが、正直言えばオバさんたちも、他の犬たちもどうでもいい。
そう――俺はただ、アルに喜んでほしいから、こうしている。
『困っている人を助ける』んじゃない。
助けることで、近くにいるコイツの笑顔が見たいからだ。
美桜は……どうなんだろう。
美桜は、どんな気持ちで、いつもあんなことをしているのだろう……。
ーーー
『聡明、これからはワタシに会うたびにカウンセリングをしないとな!』
そう言ったアルの顔は、どこか誇らしげだ。
人間なら、この感覚は俺にしか分からないだろう。
足取りまで軽くなったように見える。
ククッ、頭はいいが単純なヤツだ。
そんなに俺が感謝されることが嬉しいのかよ。
「毎回は勘弁してくれ……正直、どうでもいい内容ばっかだったぞ」
『フッ、それでいいんだよ。飼い主は安心したいだけなんだ。知りたいだけ……知って、安心して、幸せを感じるんだ』
「……そんなもんなのか?」
『ああ、そんなもんだ。誰だって嫌なことは聞きたくない。伝えるのは些細なことでいいんだ。レオやマロンみたいなことがあれば別だけどな、名探偵!』
「――ぐっ!あんなことをしょっちゅう解決してたら、俺の人生どうなるんだよ」
『フッ、有名になって、大金持ちだな』
「――おまっ!そんなことになったらアルも道連れだからな!」
『ハハハッ!それも悪くないな!でも、その時には美桜と家族にでもなってもらわんとな!ワタシの主人なのだから』
「――か、家族って!おまっ――」
『照れてるのか、聡明。顔が赤いぞ。世界一のヤンキーも、美桜の魅力にはお手上げか?』
「照れてねぇし!それに、美桜に手を出すなっつったのはアルだろが!俺は斗翔かもしれねぇんだぞ」
『……聡明は斗翔ではないよ』
「ふん、どうせ『俺は俺』って言うんだろ!」
『……フッ、そうだな』
「……?なんだよ……なんか煮え切らねぇな。アル、お前……【俺】に心当たりがあるのか?」
ほんの少し、間があった。
その沈黙が何を意味するのか、俺には分からない。
ただ、アルは優しく否定するだけだった。
『……無いな。ヨシ!この話は終わりだ!昨日の事件とやらを教えてくれ!』
「……なんだよ。まあ、いいけど。そのつもりだったし……」
『さあ、昨日何があったんだ!美桜も何やら元気なかったしな。ハッ、まさか美桜に手を出したのか!?貴様〜美桜にあんなことやこんなことをしたんじゃないだろうな〜!許さん!許さんぞ〜!高校卒業するまでは手を繋ぐことも許さんからなぁ〜!』
「……あぁ……ハグはしたかなぁ」
『――なにぃ〜!!』
ーーー
『それで美桜のクラスは休みで……ここに聡明がいるのか。だが、美桜は朝、制服を着て出て行ったぞ』
「ああ……たぶん学校で事情聴取とか受けてんじゃねぇか?美桜なら、そういうの率先してやるだろ。どうせ、佐々木くんとやらのことも庇ってるんじゃないか?」
『聡明はいいのか?事情聴取……オマエが制圧したんだろ?その佐々木くんとやらを』
「警察は嫌いだからな。無視した」
『――!オマエというヤツは……』
「だってアイツら、俺のことを真っ先に疑ってたんだぞ!」
『取り押さえられたのか?』
「ケッ!俺が捕まるかよ!吹き飛ばしてやったぜ!」
『――!オマエというヤツは……』
そう、昨日の騒動で学校に警察が来た。
すぐに駆けつけてきたのだろう、時間はほとんど経っていなかったはずだ。
ナイフを振り回す少年が暴れている――そんな通報でも受けたのか、警察は駆けつけるなり俺を取り押さえようとした。
たしかに、俺はヤツらを見るなり避けるように動いた。
ヤンキーの性というものだ(偏見)。
これは……あれだ。警察を見かけるとソワソワする、あの感じだ。
失礼なヤツらだ。
そんなヤツらの聴取なんて、願い下げだ。
「――って、なに笑ってんだよ、アル!」
『――いや、想像したら笑えてきてな。オマエといると退屈しないよ、聡明――ブハハッ!』
「――ぐっ!……ふっ、まぁ笑ってくれや。俺は、お前のいないところで美桜に頭ポンした」
『――き、貴様〜!頭ポンだと〜!?それは、オマエ……あれじゃないか、イケメンしか許されないやつだろ!?オマエのような目つきの悪いヤンキーがやっていいことじゃないぞ〜!』
「ハハッ!羨ましいならやってやるぞ!ほらっ、頭を出せよ、アル!」
『やめろ!ワタシにもプライドがある!』
「いいから、いいから!」
『よせ!やめろ!』
「待てって!」
アルは必死に抵抗し、結局、俺の手を許すことはなかった。
頭ポンは、お預け――ということだ。
その後、レオやマロンもやって来た。
俺はアルに軽く別れを告げる。友達との付き合いも、大切だからな。




