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第十三話 夢のように曖昧な意識の中で

佐々木の足音が教室の床に響くたび、空気が重くなる。


それでも、美桜の意志は揺るがなかった。正義を貫き、間違いを許さない強い信念が彼女を支えている。美桜は両手を上げ、降参とも取れるポーズを取った。


「佐々木くん、スマホはロッカーにあるの。取りに行くから、一緒に来てくれる?」


「……」


美桜は慎重に行動していた。佐々木を刺激すれば危険だと判断し、とにかく教室から連れ出そうとしているのだ。


「おい、待てよ! オマエ何なんだよ!」


しかし、無言で付いて行こうとする佐々木に対し、東郷が声をかけ、肩を掴んだ。


「――う、うわっ! さ、触るなぁ〜!」


「――はぁ? ……は? ……え? ……うぐっ! 痛ぇ〜!」


佐々木の腰に隠していたナイフが、東郷の指を掠めた! 痛みよりも視覚的な恐怖に襲われた東郷は、腰を抜かし怯えたように「――ひぃっ!」と悲鳴を上げる。



「――うわぁ〜!」

「――キャア〜!」


――悲鳴が教室に響き渡る。


「東郷くん――!佐々木くん、落ち着いて!」美桜の声は震えていたが、彼女は一歩も引かない。恐怖を押し殺し、佐々木を見据えている。


佐々木の手に握られたナイフが蛍光灯の光を反射し、教室中の視線がその刃に集中する。「先生を呼んで!」と誰かが小さく呟いたが、それすらもかき消されるほどの緊張感が教室を支配していた。


佐々木の震える手がカタカタと音を立てるたび、生徒たちは息を呑む。誰もが異様な雰囲気に呑まれ、動けない。佐々木の目は焦点が定まらず、追い詰められた獣のような狂気を帯びている。


「ス、スマホを渡せ……渡さないと……僕は……!」佐々木は同じフレーズを何度も繰り返す。声はかすれ、言葉が途切れ途切れになる。


美桜は一瞬、足を引きそうになったが、すぐに踏みとどまった。心臓は激しく鼓動し、耳鳴りがするほどだ。それでも彼女は佐々木を見つめ続ける。


「佐々木くん、落ち着いて。私はあなたの味方よ。話は聞くし、スマホも渡すわ。だからそのナイフを渡して!」


佐々木の目が美桜に向けられる。その目には恐怖と絶望、そして何か得体の知れないものが混ざり合っていた。


「僕は……僕は……ダ、ダメだ……これは必要なんだ……だ、だってアイツらが必要だって言うから……」

佐々木の声は震え、ナイフを握る手がさらに強く震える。


「分かってる……分かってるわ。でもナイフなんて必要ないの。私を信じて!そんなもの無くても、私は佐々木くんに何もしないから」


佐々木の動きが止まる。教室内の生徒たちは息を呑み、誰もがその場から動けない。美桜はゆっくりと近づきながら、佐々木を刺激しないよう慎重に言葉を選ぶ。


「ねっ……お願い。ゆっくりとナイフを渡してくれる?そうしてくれたら、なんでも言うこと聞くから」


「う、奪うな……僕から……奪うな」


「大丈夫、何も奪わないから……私はあなたを守りたいだけ」


「――違う!オ、オマエのせいで……オマエが余計なことするから、アイツらが妹にも!」


その瞬間、佐々木の目が再び狂気に染まり、一歩前に踏み出した。美桜の背筋が凍りつく。


彼の手とナイフが身体ごと美桜に向かって突き出される。教室内の誰もが凍りつき、時間が止まったかのように感じられる。


「――危ない!」誰かの叫び声が響く。


美桜は目を閉じ、次の瞬間を覚悟した。


ドスッ! 普段聞き慣れない鈍い音が教室の空気を凍らせる。誰もが耳を覆うほどの音……命をも奪いかねない刃物が突き刺さる音……。


「「「――!」」」


「あ……あ……さ、刺さった……ハハッ……ヒヒ……刺した、刺した、刺した!」


狂ったように叫ぶ佐々木。


しかし、美桜の目の前に立ちはだかった影がナイフを受け止めていた。


「ナイフは刺すより抜くほうが難しい……ってな! う〜ん、最近なんだか哲学っぽくていかんな。こりゃあれだ、アルのせいだな」


加賀見聡明の声が教室内に響く。


「腹に隠したジャンプで迫り来るナイフを受け止める。ふっそんなナイフじゃ俺は死なねぇよ。「なに!?」 オラッ! 渾身の右ストレート! 「ぐっ! お、お前……不死身……かよ!」

ガクッ……ってヤンキーなら一度は憧れるシチュエーションだ。

まあ、実際は腹に隠してはないがな……だって服に穴が空く。

そして、殴りもしない。俺の渾身の右ストレートなんて食らわすと、佐々木くんとやらが死んでしまうだろ?」


加賀見は両手で持ったジャンプでナイフを受け止めていた。佐々木は驚愕の表情を浮かべ、ナイフを手放す。男子生徒たちが一斉に動き、佐々木を取り押さえる。


「ふぅ……美桜はいつも危なっかしいんだよ」加賀見が美桜に向かって呟く。


張り詰めた糸が切れるように、美桜の足元から力が抜け、ふわりと崩れ落ちる――それを受け止めたのは加賀見だった。

「危ねぇ!」反射的に伸ばした腕が、華奢な腰をしっかりと支える。

温もりに包まれる――それはどれほど久しぶりのことだろう。誰かに支えられる感覚を、美桜は遠い記憶の向こうに探していた。


幼い頃――兄が、斗翔(とうか)がそばにいたあの頃。


夢のように曖昧な意識の中で、錯覚に溺れる。


「お兄ちゃん……」


無意識のまま、加賀見の腕の中でそっと呟いた。


「お兄ちゃんって……テンパり過ぎだ」

加賀見は軽く笑いながら、美桜の頭に手を置いた。



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