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第十二話 招かれざる客

保健室で聡明(としあき)が星宮と朝倉に前世の記憶について説明している頃、5時限目の授業が行われていた。


しかし、この時間は自習だった。本来なら生物の授業があるはずだったが、朝倉が胃痛のため課題自習になっていた。


星花高校は進学校で、進学率も悪くない。高二ともなれば進路について真剣に考える時期であり、それだけに自習を有意義に使う生徒も多い。


ただ、こういう時に東郷のような生徒が騒ぎを起こすのも習慣となっていた。

そして、同時に習慣となっていたのが、青葉美桜の立ち回りだった。東郷の身勝手な行動は、単なる騒がしさで済むが、受験を考える生徒にとっては迷惑極まりない。


しかし――今日は美桜は動かなかった。ただ、ぼんやりと隣の空席を眺めているだけだった。頬杖をつき、そこにいるはずの男のことを考える。


美桜の脳裏に浮かんでいたのは、「とうか」という言葉を呟いた加賀見聡明の涙だった。


教室に戻ったとき、彼は涙を流していた。そして、その唇から兄の名前がこぼれていた。そのことがどうしても頭から離れなかった。


美桜は頭がいい。何かを感じ取り、聡明の最近の言動を思い返す。急に自分の家の前に現れたこと……家の前で言っていた不可解な言葉……。


**――待て待て、ワン公! さっき説明しただろ! 気付いたら何故かここに居たって! 住所なんて特定してないし、青葉が住んでるなんて思いもしなかったんだ! お前も言ったじゃないか……前世の記憶がその断片を見せたんじゃないかって――**


完璧に覚えていたわけではない。ただ、印象的な言葉が頭の中に残っていたのだ。


**「ワン公」「説明しただろ」「前世の記憶の断片」**


そして――「とうか」。

意味は分からない。だけど、兄の名前を聞くとどうしても考えずにはいられなかった。

なぜなら、この学校の生徒の誰も『青葉斗翔』のことは知らないはずだから。


****


「え? お兄ちゃん、今日のバスケの試合、観に来るの?」


「当たり前じゃないか! 我が妹の晴れ舞台だぞ! 模試なんかパパッと終わらせて、全速力で行くよ! それに今日は低学年だけの試合だろ! 出れるチャンスがあるかもじゃん!」


「……でも、お兄ちゃんが来てるのに出られなかったら恥ずかしいし……わたし、お兄ちゃんみたいにヒーローじゃないし……」


「美桜、試合に出られなくてもいいんだ。むしろ、まだ2年生なんだから出れなくて当然! 出れたらラッキーくらいの気持ちでいかなきゃ!」


「うん……でも、どうせなら、ちゃんとレギュラーになってるところを見せたいし……だから来て欲しくない」


「えぇ!? うぅ……僕には来て欲しくないの? ……うぅ……アルバート〜! ……美桜が……美桜がぁ〜」


『ウォンッ!』


「だって……お兄ちゃんには美桜のカッコいいところを見せたいし……」


「うぅ……僕は美桜の成長の過程も見たいのに……」


「ダメったらダメ! 絶対観に来ちゃダメだからね!」


「……分かった……でも試合って何時からあるの? それだけ教えて……」


「え、えっと……一試合目が10時と二試合目が13時だったかな……」


 嘘をついた。本当は二試合目は14時だった。模試の時間を考えて、13時だとどちらにしても間に合わないと思ったからだ。諦めてくれる……そう思った。


「そっか……13時だとちょっと厳しそうだね。はぁ……美桜の晴れ舞台、見たかったなぁ」


「あぁ! やっぱり来るつもりだったんじゃん!」


「ハハハッ、いやぁ〜バレたかぁ」


「もぉ〜」


『ウォンッ!』


「じゃあ、頑張ってね! 美桜」


「うん! お兄ちゃんも無理しちゃダメだからね!」


「……もういっそ、模試やめちゃう?」


「ダメ! 美桜は真面目で優しくてカッコいいお兄ちゃんが好きなんだから!」


「――ぐはっ! は、破壊力……妹が可愛すぎてツラい」


『ウォンッ! ウォンッ!』


「お迎えもいらないから家で待っててね!」


「それくらいいいだろ! 美桜が帰りに怪我でもしたら大変だ! この前も川に流されてた子猫を助けてたし……美桜はいつも危なっかしいんだよ」


「お兄ちゃん……シスコン過ぎ」


「コラ〜! どこでそんな言葉を覚えたぁ〜!」


「ふふふっ」


「ハハハッ」


『ウォンッ! ウォンッ!』


その日、青葉斗翔は命を落とした。

模試を終え、急ぎ足で13時の試合に間に合うように乗り込んだタクシー――その車が事故を起こしたのだ。


運転手は軽傷で済んだものの、斗翔はシートベルトをしていたにもかかわらず、頭部を激しく打ちつけた。

不運にも、その衝撃は命を奪うほどに深刻だった。


その運転手の呼気からは、アルコールが検出された。

もし斗翔がバスを使っていたなら……


もし別のタクシーに乗っていたなら……


もし運転手がお酒を飲んでいなかったなら……


もし嘘をつかず、ちゃんと「14時だ」と伝えていたなら……


斗翔は、時間を気にせず、もっとゆっくりと来られたのではないか――。


美桜は、そんな悲痛な思いをずっと抱え込んでいる。


****


『わたしがちゃんとしていれば、お兄ちゃんは死なずに済んだのに……』


そう呟いたわけではない。ただ、心の中で繰り返し響くその言葉に、胸が締め付けられる。


気づけば、目の前が霞んでいた。教室内の騒がしさが、遠く耳に届く。


美桜は慌てて目頭を拭い、立ち上がると教室を見渡す。美桜という制御装置が機能していないと東郷はやりたい放題だ。


美桜が立ち上がったことに安堵した生徒も多いだろう。彼女のような存在のありがたさを感じることは、無くなって初めて気付くものだ。


「東郷くん!」


「あぁ!? うるせぇなぁ! ジャンプ読んでるだけだろが!」


さあ、いつものやり取りが始まるぞ、と皆が思ったとき……教室に思わぬ生徒が現れた。


「あ……あの……あ、青葉美桜さんは……いますか?」


 授業中にも関わらず美桜を訪ねて来たのは佐々木悠人だ。佐々木は以前、美桜に助けられた生徒だ。一週間前には聡明に制裁を受けている。

理由は、美桜に対して恩を仇で返すような内容だったが、ここにそれを知る生徒はいない。


「――え? 佐々木くん? アナタ……今は授業中よ」


「くっ……アンタが余計なこと……するから……」


「え? なに? ……なんて言ったの。ごめん遠くて聞き取れない」


「ぼ、僕は……ど、ど、どうしても欲しい物があって……ス、ス、スマホ……わ、渡して欲しい……」


佐々木は怯えたように震えている。顔の血の気も引き、目の焦点も合っていない。


突然の来訪者にざわつく教室内。

「誰?……さぁ?……この人って加賀見くんに殴られた人じゃない?……なんか怖くない?……青葉さんに会いに来たみたいだけど……授業中に?……この人何組?……スマホがどうとか言ってるけど……告白?……いやぁそんな雰囲気じゃねぇだろ……」


「ブハッ! おい、青葉! なんか告白しに来てんぞ! 連絡先を教えろってよ!」


「――東郷くん! 佐々木くんに失礼よ! ……佐々木くんちょっと待って、そっちに行くね」


東郷はここぞとばかりに煽る。面白そうと思うと、なんでも食い付くのがこの男だ。

しかし、そう思っているのは東郷くらいだ。他の生徒たちは佐々木の異常性に気付き始めている。


「ス、ス、スマホ……わ、渡して……ぼ、僕……殺される」


「――佐々木くん!? 殺されるって……何があったの!? 落ち着いて事情を説明して!」


美桜はそう言いながら近付いていく。しかし、佐々木はそれに答えるつもりはないようだ。震えた足取りはゆっくりと確実に美桜に近付いてくる。


さすがの美桜も警戒し、足を止める。


「お、おいおい……なんかコイツ気持ち悪ぃぞ」


ようやく東郷もこの異様な雰囲気に呑まれ始める。ジリジリと教室内に入ってくる佐々木……ガタガタッと椅子から立ち上がる生徒たち。当然、佐々木に近づかないようにするためだ。美桜の席は一番後ろの窓際付近だ。つまりコーナーへと追い詰められていけば逃げ場も無くなる。


「あ、青葉師匠……逃げたほうがいいと思います……彼……かなり危険です」


雪村皐月(ゆきむらさつき)は美桜を庇うように前に立つ。

自分でも信じられないと感じている雪村……こんな行動を取れるなんて思いもしなかった。

だが、それと同時に感じるのは加賀見聡明のこと。彼の影響が自分を変えている……そう思うと嬉しくて堪らない。

こんな時に何を悠長に、と思われるかもしれないが、雪村はこんな自分を好きになり始めているのだ。


「――雪村さん! アナタ……」


「このまま走って保健室を目指してください! きっと神が……助けてくれます」


雪村が前に立つことで右のスペースが作れる。今、走り出せば廊下に出ることは不可能ではない。


「青葉さん、雪村さん……彼……ナイフを持ってるよ」


「「――!」」


柊陽花(ひいらぎはるか)は青葉美桜に嫉妬していた。

彼がいつも目で追っている人……

彼がいつも口喧嘩してる人……

彼の口から出る言葉のほとんどが彼女に関することだったから……

でも、彼女が傷付けば彼が悲しむ。大切な人のそんな姿を見たくない。『私は彼の友達(ダチ)だから!』そう思うと身体が勝手に動いていた。

男性に対する恐怖も今はもう感じない……きっと加賀見くんのお陰だ。柊はこの中で一番冷静に観察し、佐々木が腰にナイフを隠してることに気付いた。


「だから、走って逃げたりして、もし追いつかれたら――」


「刺される……ということね」


「じゃ、じゃあ、どうするのですか?」


「彼の要求通りにスマホを渡して、青葉さん。どんな目的か分からないけど、それが一番だと思う」


「……それは……出来ないわ。でも二人ともありがとう! 心配してくれてとても嬉しかった」


「「――!」」


美桜は佐々木のほうへと一人向かっていく。


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