その6
……。
…………。
………………。
なにかが、けしとんだ。
なんだろう。わからない。
けしとんだ? けしとぶものがあった?
わたしはもともと、まっしろで、なにもなくて……。
わたしは、きれいで、けがれのないもので。
ぜんぶ、きれいに、まっしろで、それがとてもだいじで。
「まだ残ってるモノがあるのね。でも大丈夫。ちゃんと綺麗にしてあげるから」
まっしろで、きれいなおねえさんのしたが、わたしのからだをはう。
「ひゃ……ぅく、ん」
おもわずこえがもれる。
わたしのなかのけがれが、なめとかされ、きえていくのがきもちよくて。
いらないものがきえていくのは、きもちよくて。
このまま、わたしもおねえさんとおなじまっしろに、なっていく。
「あなたもケッペキ様をあがめましょう? 一緒に、世界を真っ白に、穢れたモノを真っ白に変えていくのはとても素敵なコトよ?」
すてきなこと。
まっしろにするのはすてきなこと。
ああ、そうだ。
それは、とてもよいことだとおもう。
おねえさんになめられるかんしょくに、からだをふるわせながら、まっしろなせかいをうけいれていく。
そう、これでいい。
けがれたきおくも、ゆがんだゆめも、よごれたこころも、そのすべてをまっしろにじょうかする。
まっしろなせかい。きれいなせかい。それはとてもすてきなせかい。
ケッペキさまがつくる、とても、きれいな、せかい。
それこそが、せいかいで、すべてで。
だから、わたしというそんざいは、きれいからださえあればそれでいい。
きおくも、こころも、かんじょうも、ゆめも、きぼうも、なにもいらない。
しろく、まっしろく、しろく、しろく、ぜんぶ、しろく……。
それでおしまい。
それでかんせい。
そうすれば、あとはケッペキさまにみをまかせ、きおくも、こころも、かんじょうも、ゆめも、きぼうも、ケッペキさまのいうとおりにすればいい。
ケッペキ様さえいればいい。
ケッペキ様に、きれいにしてもらえていれば、それでいい。
――――本当に?
ふと、わいたぎもんとともに、ことばをおもいだす。
――音の在処はかつての叙情、其は過去を呼ぶ歌い手。
――バチン。
言葉を思い出すと同時に、頭の中に激しい雷が暴れたような感覚に襲われる。
真っ白だった視界に色が戻る。
ぼやけていた感覚、鈍かった思考が、輪郭を得る。
ウルズの左手が私の頭を摑む。
この手は離しちゃダメだという直感が働いた。
だから、私はウルズの右手で、私を言葉通り舐めていた女を思い切りなぐる。
「ぐぉあ……」
ゴリュという感触とともに、女は吹き飛んで壁にぶつかる。
「ぉえ、ゲボ……あ、が」
倒れたまま、お腹を押さえて女はうめく。
ウルズの左手が、私の脳に言葉を刻む。
絶対に忘れてはならないと、全てを失う前の私が残した言葉。
ウルズの名前。ウルズの使い方。
そして、絶対に成すべき目的――ケッペキ様を倒す。
「ご、ごべん、なざい……ゲッベギ、ざま……ゆがを、よごし、て……」
ゴホゴホと、女は口から白いモノを垂れ流す。
《ウルズの使い手! お前の名前はオトノ アリカだ! 自分の名前だけ思い出せッ!》
どこからか、女性の声が聞こえてくる。
オトノ アリカ。
おとの ありか。
音乃 在歌。
――ああ、とてもしっくりくる。
《自分の名前は存在とセットだ。忘れないようにセットしなおせ!》
――それはとても大事だ。ありがたい。
ウルズの左手を通して、『オトノアリカ』という言葉が脳に直接刻まれる。
次の瞬間――
「うああああ?!」
――急に色々と思い出して私は思わず声を上げながら立ち上がる。
「なんか、今の私……かなりやばかったッ!」
《アリカッ、無事!?》
突然、声が聞こえてきたかと思うと、ゴトリとどこからともなく現れた板が私の足下に落ちる。
「えっと、どちらさま?」
《リスハよリスハ! あなたがコールしてたんでしょう!?》
「……リスハ? どちらさま?」
《ちょっとッ!?》
リスハ、リスハ……。
誰だっけ?
そんな名前の知り合い……いたっけ?
《リスハちゃんとやら落ち着け。今アリカちゃんは怪異の影響で記憶の大半が消し飛んでるんだ。自分の名前すら忘れてたレベルで》
《むしろ自分の名前を忘却した状態で良く無事だったわね!?》
《能力名だけ覚えてたから、かろうじてな。そっから名前を思い出させたところだ》
《誰だか分からないけど、ありがとう!》
《良いってコトよ。でも油断はできないぜ。あたしらは、現場にいない。でも現場にいないから怪異の影響で記憶が欠落するコトがない。
だから、あたしらはスマホを通じて、現場にいる連中の記憶を繋ぎ止めるのが仕事だ》
《了解!》
なるほど。
よく分からないけど、私は怪異とやらの影響で色々と忘れちゃってるワケか。
とりあえず、目の前のケッペキ様っていう羽の塊を倒さないとダメっていうのはちゃんと覚えてるんだけど。
そして、どこからか聞こえてくる二人の女性の声が、私の記憶と存在を繋ぎ止めてくれている――と。
《アリカちゃん。ケッペキ様を倒すのも大事だが、もう一つ大事なコトがある》
「なんですか?」
《自分の名前を忘れないコト。能力の名前を忘れないコト。あと、ケッペキ様に仕えている女性は殺したり大怪我させたりしないコト。彼女を助けるのもキミの大事な仕事だ》
「なるほど。さっき思い切り殴っちゃったけど」
思わずそう口にすると、どこからともなく聞こえる女性はちょっと困ったような声で答える。
《殺してはいないからヨシとするさ》
それから、小さく息を吐くような音のあと、真面目な声色で言葉が続く。
《リスハちゃんに説明するついでに、キミついての話をするぞアリカちゃん!
アリカちゃん――キミはそこの白い彼女を助ける為にこの部屋に来て、正体不明の怪異ケッペキ様と戦っている》
どこからともなく聞こえてくる女性の言葉にうなずく。
同時に、ケッペキ様や白い女性から目を離さないよう、警戒を向ける。
《その部屋はそこの白い女性、『鷸府田 祀璃』の自宅。彼女の潔癖症が、その部屋を能力舎に換えたと推測される。
ケッペキ様に関してはどこから現れたんだかわからんが、たぶん能力舎としての核のヴィジョンがそれだろう》
《もしかしてルールとか状況とか、全然分析出来てなかったりする?》
《とりあえず潔癖、清潔であるほどチカラを増す空間ってのは間違いないと思うんだが》
どこからともなく聞こえる女性同士のやりとりで、私自身がするべきことが明確になった。
《ともあれ、彼女の潔癖症は感染する。
感染すると白くなっていき、白くなったモノは消えてしまったりもする。
染まれば染まるだけ、物質の大半は痕跡や記録、記憶など含めて消滅あるいは書き換えが起こる。
人間は記憶を漂白されながら、感性や感情が書き換えられて、白くないモノを許せなくなり、鷸府田ちゃんみたいなケッペキ様を崇める白い怪異となる。
怪異となったあとは、他の人間をその異様な潔癖症で汚染するようなキャリアになるワケだ》
その説明は何となく実感がある。
私は、私であると思い出す直前は、そんな感じだった気がするから。
《結構ヤバめな相手じゃない! どうするのアリカ?》
「どうするって言われてもなぁ……」
羽の塊のような異形ケッペキ様は、五つの瞳を私に向けたままぼんやりと浮いている。
《そういや、一緒にいる男共が大人しいな? どうなってんだ?》
男?
私の他にも誰かいるのかな?
気配とかないけど。
ケッペキ様を気に掛けつつ、部屋をぐるりと見回すけど、私たち以外の人がいる気配はないような……。
《おーい、六綿さん! カメラをずっとケッペキ様に向けてくれるのは助かってるんだけど、微動だにしてないのは恐いぞ!》
女性が誰かに呼びかけているけど、反応がない。
次の瞬間、女性が大きな声を上げた。
《三角出版ミツカドブックス編集長、六綿 灼啓! ぼーっとしてんじゃねーぞ! テメェの仕事と名前を思い出せ!!》
「はッ!?」
すると、突然男性の気配が現れた。
「す、すみませんッ、草薙先生……! ってあれ? ここどこだ?」
《よしよし。目が覚めたな。カメラはちゃんと化け物に向けててくれよ》
「え? あ、はい……化け物? うわ本当に化け物いるッ!? 羽のやつと、真っ白な女が二人も!?」
ん? あれ?
おじさん、私も化け物の範疇に含めてない。
失礼な。こんなに真っ白で美人な女の子を化け物だなんて!
《もう一人、鷸府田ちゃんの弟がいるんだが、名前なんだっけな……》
《鷸府田……? もしかして摩夏くんじゃない?》
《おっけー。呼びかけてみるか。鷸府田 摩夏ッ! テメェは姉ちゃんを助けに来たんじゃねーのか!》
《芸名、明城シガタキ! あなたは有名なオカルト配信者でしょう! オカルトに飲み込まれてるんじゃないわよ!》
「……あ! そうだ姉ちゃん!」
二人の呼びかけで、さらにもう一人の男性の気配が急に現れた。
「真っ白に飲み込まれると気配まで真っ白になるんだ」
きっと、私もさっきまではそうだったのだろう。
《お前ら二人とも、どうせ真っ白になったアリカちゃんと、鷸府田ちゃんの絡み合いでおッ勃てるうちに、取り込まれたんだろ。いやまぁあれは見蕩れると言えば見蕩れるけどさ!》
《そこは認めるんですねー》
《ギリシャ彫刻みたいに真っ白な美人二人の絡み合い、最高だったぜ》
真っ白になっている間、私は何をされてたんだろう。
ともあれだ。
ケッペキ様を弱体化させる糸口を見つけない限り、私たちはまた真っ白にされ、存在を希薄化されてしまうんじゃないかと思う。
ウルズと、どこからともなく聞こえる女性二人の声のおかげで、存在を繋ぎ止めることはできるけど、それを繰り返しててもきっとジリ貧。
「ごべんだざい……ゲッベギざま、ごべんなざぃ……」
ふと、お姉さんを見ると謝罪を口にしながら、自分の吐いたものをずっと擦っている。
「げざない、と……真っ白に、して、ゴホ、げざないと……いげないのに、うう……」
ウルズのパンチがかなり効いたのか、ゲホゲホと吐いてしまっていて、全然片付けられていないようだ。
《鷸府田ちゃん! 鷸府田 祀璃! それで掃除してるつもりか! 雑巾やモップはどうした! 綺麗にするための道具すら部屋から消しておいて、どうやって吐いたモン片付けるつもりだ!》
「ひッ!?」
突然、どこからともなく聞こえてきている女性の声が大声を出す。
「く、くさなぎ、せんせい……? あれ? わたし、わたしは……げほっ、うえ、なんでおなかが、こんなにいたくて、きもちわるい……?」
女性の真っ白だった瞳が、黒い色に戻っていく。
《なるほど。潔癖であるほど強さ増す、か。
逆に言えば、対象が汚れれば汚れるほど支配力も落ちるっぽいのかな?》
リスハちゃんの声がする。
漠然と、自分の中で何かが組み立てられていく。
同時に、ぼんやりと浮いているだけだったケッペキ様が、明らかにマツリさんを意識した。
次の瞬間には、ケッペキ様が宙に向かって羽をふわりとばら撒いた。
《あいつのバラまく羽に当たるなよ? 一瞬で意識と記憶を消し飛ばされるぞ》
ケッペキ様がばら撒いた羽は大した量じゃない。これなら、私でも避けられる。
万が一に当たっても、ウルズがあれば問題はない。
私はウルズを通して周囲を見回す。
痕跡の薄い部屋。過去の記録と記憶が、真っ白にされてしまった部屋。
それでも、部屋が白く染まる前まで時間を遡っていけば、音は在る。
気がつけば、歌うように言葉を紡いでいた。
それは私の言葉なのか、私の言葉なのかは分からないけれど。
どちらであっても、私の言葉。
「過去の痕跡を、過去の記憶を――どれだけ白く上塗りしても、どれだけ白く染めても、過去に存在していたコトの否定にはならない。
そこに残る音の記憶に、誤魔化しは効かない。表面はいくらでも誤魔化せるかもしれないけど、世界に刻まれた音の記録を誤魔化すなんてコトはできないんだ。
世界が言葉を失い、記憶を失い、あらゆる伝承を失っても、そこに存在していた音まではきっと消すコトは出来ない」
ウルズの右手を伸ばして、私は見つけた音を握りしめる。
「何となく攻略法が見えたかも」




