衝撃の測定結果
事故調査委員会が置かれている今、ストレンジレットの実験は中断している。
危険と判断されたし、なにより加速器が消滅してしまい、実験しようにも出来ないのだ。
調査チームが研究所の在った場所に行こうとしたが、断念された。
内部は崩落して不安定になっていたし、何より放射線量が尋常でなく、危険極まりない。
蛇型の無人ロボットを発進させたが、これは場合によっては岩盤をレーザーで溶かしながら進む為、地下1kmの施設痕に到達するのは時間がかかるだろう。
その間、実験は停止しても研究は止まっていない。
ジョルダーノ助手は、残されたデータを元に何が起きたのかを解析している。
事故調査委員会は「どうして起こったのか」が重要だ。
しかし科学者には「何が起こったのか」が大事である。
死んだパウリ博士に対し不謹慎だが、事故とは貴重なデータの宝庫であり、これを研究しない手はない。
本来ならもっと先の予定だった対消滅が起きていたのなら、数年分研究を進められる。
科学者や技術者とは、真に因果な人たちであろう。
ガンマ線やX線は高エネルギーなものから放たれる。
よってガンマ線の量と、アルプスからグランサッソまでの間で、岩盤による減衰を踏まえてどれだけの照射があったのかを調べ、発生したエネルギーを計算する。
すると、信じ難い数値が算出された。
「計算では1.33ピコ秒に放出された熱量5兆ケルビンだと?
信じられない……」
啞然とした。
そんなエネルギーが放射されたなら、地球はおろか、数百光年先まで強烈な破壊がなされるだろう。
だが、プロト・ストレンジレットの寿命はミリより下、マイクロより下、ナノより下のピコ秒単位である。
超高温を出すエネルギーも、それくらいの極々短時間であればエネルギー総量としては少なくなる。
計算すると、ピコ秒オーダーの対消滅による瞬間的な出力は、約10の17乗ワット。
エネルギー総量は約10の5乗ジュール。
一方で地震観測所が出した事故当時のマグニチュードは4.0。
エネルギーに換算すると6.3×10の10乗ジュール。
対消滅のエネルギーの方が低いのだが、この後は以下のようなシナリオで事態が進行したのだろう。
プロト・ストレンジレット生成から0.00000000000133秒以内で対消滅発生。
その瞬間、局所的に5兆℃に相当するエネルギー発生。
この時点でパウリ博士たちは即死しただろう。
生まれた超高温のプラズマと衝撃波は、周囲の岩盤を気化・破壊する。
それが引き金となって、周囲に巨大な空洞が発生。
衝撃波が通過すると、その空洞めがけて崩落が起こる。
これらの結果、マグニチュード4.0相当の地震が発生したのだ。
マグニチュード4程度の地震であれば、TNT換算で約15キロトン、広島型原子爆弾の1/1,200程度相当だ。
そう聞けば大した事が無いと思われるが、問題はこれが、たった1対の素粒子塊によって起きた事であり、時間もわずかに10のマイナス12乗秒の出来事に過ぎなかった事だ。
仮に1マイクロ秒の継続時間であれば、局所的な核爆発を上回ったと計算される。
1秒も継続したら、地球破壊の危機であった。
ジョルダーノは慎重に、他の研究機関にも問い合わせを行う。
そして、彼等が出した結論もガンマ線の量から、瞬間的に5兆℃の熱が発生した、というものだった。
ジョルダーノは戦慄する。
扱いを誤れば、ブラックホールより先に地球を破壊してしまう。
禁断の火、「メギドの火」とも言える恐ろしいもの。
日本の梶川誠一郎が基礎研究に専念し、オカルトな意見さえ聞いて実験取りやめと、慎重にも慎重を重ねていたのは正解だったわけだ。
まあ慎重さは彼等の性質であろうが。
こんな危険な研究、知られたら直ちに禁止が言い渡されるだろう。
だが、結果は報告しなければならない。
だからジョルダーノは、政府機関への報告より先に、「ブラックホール破壊計画」を思考実験したロンドンの科学雑誌編集長アーサー・ラッセル・チューリングに伝えた。
自分たちはもう研究出来なくなるだろう。
だから、とりあえず彼に託してみる。
「5兆℃?
そんな高熱が理論的に存在するのか?」
チューリングは信じられなかった。
彼は、既存のエネルギー放出でもっと強烈なキロノヴァ、中性子星同士の衝突で発生するもので計算を行っていたのだ。
相手は中性子星でなくブラックホール、確かに違う計算とはなる。
単純計算で考えてみる。
中性子星で最大なのは、トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界から、太陽質量の2.3倍だ。
これが衝突して起きる爆発が1兆℃である。
それに対し、今回のブラックホールは太陽質量の10倍。
単純計算で、これがこのまま質量消滅するなら、2.17兆℃となるだろう。
実際にはそこまで出来ずとも、軌道を1度ずらすだけなら0.173太陽質量を消滅させて、爆発のエネルギーに換えれば良い。
木星質量の約180倍である。
予定している距離600光年の位置で、ブラックホールを爆発させて軌道を1度逸らす事が出来れば、計算では10.5光年通過位置を変える事が出来る。
最終防衛線と想定した490光年からでも、8.55光年ずらせる。
これを可能にするエネルギーは、熱にするとやはり1兆℃程度。
彼等の思考実験の数値は、それなりに根拠のある値を用いていたのだ。
実際は何が起こるか分からない為、2倍程度のバッファーは考えていた。
まさか5倍になるとは予想外だった。
「ブラックホール破壊によって生じるエネルギーが5兆℃であるとして、再計算しよう……」
爆発継続時間はキロノヴァ相当、数時間から数日として、放射されるエネルギー、放射線から被害距離を求める。
すると、
【レベル1 被害ほぼ無し】 文明のシステム、社会構造は維持され、公衆衛生上の問題も軽微。
多少のオゾン層損傷や、人工衛星の故障等の被害は出るが、復興も迅速に可能。
600光年→1407光年
【レベル2 最小限の被害】 照射エネルギーが致死量の50%までに半減。
文明は大きな混乱なく維持されるが、長期的な健康被害は発生し、経済的打撃は大きい。
570光年→1337光年
【レベル3 被害大】 深刻な公衆衛生上の危機と大規模な経済的混乱。
文明の機能維持は困難だが、半数以上の人類は生存出来る。
520光年→1219光年
【レベル4 絶滅に近い被害】 世界人口の多くが重度の放射線障害を負う。
文明社会の主要機能が麻痺し、文明崩壊の寸前となるが、一部は生存出来る。
490光年→1149光年
【レベル5 絶滅必至】 強烈な放射線により地球滅亡で打つ手なし。
402光年→943光年
という結果になった。
現在のブラックホールの位置は地球から約1,380~1,370光年。
レベル1(被害ほぼ無し)の危険圏内1,407光年ラインに突入し、レベル2の防衛線1,337光年に近づいていた。
単純計算で約65年後、ここで5兆℃の爆発が起これば、健康被害を受ける人たちも出て来る事になる。
爆発で生じる高熱について、まったくもって見積もりを誤っていた。
今の技術で対応するなら、もうこれ以上近づけてはならない。
100年後、200年後の技術を待つなんていう時間的な猶予は無くなった。
文明の発達を待って、より遠くに跳躍出来る超光速航法を待つのも難しくなって来た。
今持っている技術でどうにか食い止めるしかない!
だが、チューリングは思いとどまる。
古い称号「卿」を持つ彼は冷静だった。
まず、如何に貴族の末席に名を連ねる彼も、今はただの科学雑誌の編集長に過ぎない。
その雑誌への掲載が、名誉ある科学賞への道という権威あるものであっても、世界を動かすという程ではない。
彼1人が焦っても何も出来ない。
そして、以前開いた思考実験の、その前に立ち返る。
そもそも何かする必要があるのか?
今手を打つには、既存の技術を無理してでも向上させ、確立していない技術を使わねばなるまい。
無理をした結果、宇宙飛行士の死亡や、粒子加速器の爆発消滅という重大な事故を起こしたばかりではないか。
更に、ブラックホールが地球に影響を与える距離を通過する確率は35%。
それも数千年後の事だ。
やったところで効果が無いかもしれないし、何もしなくても無事に衝突回避するかもしれない。
こんなんで、世界の機関に協力を求められるのか?
使われる費用だって、まさに天文学的な数字になるだろう。
何もしない方が良いのではないか?
(いや、違う。
今やれる事をすべきなのだ。
後手に回っては、取返しがつかなくなる事とてある)
首を振りながらそう考えるも自信が持てない。
チューリングは一人で考える事をやめた。
こういう時は他の人の意見も聞いた方が良い。
彼は再び、以前のメンバーに連絡を取って、この件について相談する事にした。
既に2人、参加出来なくなったメンバーも出てしまったが、それこそ今出来る事をしよう。
ミーティングが再び始まる。
タイトル一部変更(0%→ゼロ)しました。
19時にもアップします。




