事故調査委員会
欧州における反物質研究の第一人者・レオンハルト・パウリ博士の助手であるエンリコ・ジョルダーノは、この日グランサッソの地下にある素粒子観測所にいた。
アルプス山脈の地下で行われるストレンジクォークを含む粒子の衝突事件観測のリハーサルの為である。
ストレンジクォークを含むラムダ粒子を濃縮し、アップ・ダウン・ストレンジをほぼ同数で構成させた素粒子塊「ストレンジレット」は極めて危険な物質である。
梶川准教授たち日本人研究者は、まだ不安定なストレンジクォーク2個体を含む高密度濃縮体を生成し、短期間に崩壊させてそのエネルギーを研究していた。
このごくごく短期間しか生存しないプロト・ストレンジレットを1対、対消滅させて生じると予測されるニュートリノを、アルプス山脈の岩塊を通過させてイタリアから観測しようというものだった。
この日はリハーサル、そう、実際に実行する予定は無かった。
手順は正反両方で発生するプロト・ストレンジレットを生成し、衝突寸前まで誘導し、そこで圧縮する為に使っていた「場」を解放して通常のラムダ粒子に戻して自然崩壊させる。
ごくごく短時間に起こるその過程と、グランサッソ観測所の機器を連動させる、それだけであった。
これまでにプロト・ストレンジレットの生成は何度もクリアして来たし、実際の実験を行うまでに何度もリハーサルを行う予定であった。
しかし、事故は発生した。
リハーサル開始前、ジョルダーノとパウリは有線電話で通話をしていた。
双方とも地下施設に居るし、この原始的な通信が一番確実な方法と言える。
「では、実行後にまた」
それが2人が交わした最後の会話となる。
リハーサル時間直後、有り得ない事が起こる。
リハーサルだから、実際に観測装置は稼働させていた。
その観測装置がニュートリノを大量検知、更にX線とガンマ線も確認された。
観測室は厳重に遮蔽されている。
観測室側から観測装置を汚染しない為に。
だからこの時は影響を受けなかった。
観測装置が計測したガンマ線の量は、被曝していたら以降放射線関連の作業は禁止される閾値を超えていたのだ。
本来有り得ないガンマ線の検知から数秒後、グランサッソが地震に見舞われる。
大きな揺れではなかったが、ジョルダーノは不安を感じていた。
ガンマ線検知の異常から、アルプス地下のパウリに連絡を入れようとしていた。
揺れが来た為、収まるのを待っての連絡としたが、繋がらない。
あらゆる方法を使ったが、完全な通信途絶。
そして地上から衝撃的なニュースが入る。
加速器の近くに在るジュネーブとチューリッヒで震度4の地震が観測されたのだ。
やがて地震観測をしている機関が震源地を割り出す。
震源地の位置・深さともに加速器のあった場所と一致していた。
マグニチュードは4.0程度と推定される。
ここで大規模な爆発が起こったのは、ほぼ確実となった。
「ガンマ線はごく短時間に照射され、記録はスパイク状、つまり瞬間的に多く、以降はゼロでした。
これは粒子衝突ではなく、対消滅の爆発と推測されます」
欧州連合の事故調査委員会に呼び出されたジョルダーノは、計測データの提出を求められ、それに基づく見解を述べる事になった。
事故調査委員会にとって、そこで何が起こったかは重要ではあるが、もっと重要な事がある。
どうして起きてしまったか、そこにヒューマンエラーが有ったかどうか、である。
ジョルダーノの説明は専門的だから、細かい事までは分からない。
それでも一通り説明を聞き終えてから、調査委員との質疑応答に入る。
内容は実験の手順について、である。
ここに事故を起こすプロセスが紛れ込んでいないか?
無論、調査委員会もここで初めて見たものではない。
事前に提出された資料を読み、疑問箇所は洗い出している。
その上で実際の現場の様子を聞いていた。
だが、ジョルダーノはこの日は遠く離れた地に居た為、情報はどうしても断片的となる。
双方でどう操作したのか、どういうデータを計測していたかのログを取っていたのだが、それだけでは分からない。
直前まで数値は正常だったからだ。
事故現場の人間に弛んだ部分は無かったか、これは現場に居なかったから不明だ。
通話音声等からは、過度の緊張もなければ、弛緩した感じもない。
調査は長期間に渡り、やがて日本から梶川誠一郎准教授にも意見を求める事になった。
梶川はオンラインでは済まず、ヨーロッパまでやって来て対面で応える。
「この機器の開発は貴方たちが行ったものです。
これまで重大な事故を起こして来なかったので、我々も安心していました。
しかし、手順や装置の品質に問題が無かったのに事故が起きた、我々は構造的な欠陥があるのではないかと考えています。
別に貴方を責めてはいません。
そちらでも事故は起きていないのですから、気づかなくても無理はない。
ですがそれでも、何かご存知の事があれば、忌憚なく意見を述べていただきたい」
そう言われた梶川は、本当に率直な意見を言った。
「多分、正物質と反物質の分離・隔離過程で、品質異常があったんですよ」
そう言われて委員会も反論する。
梶川が作成した手順通り、一回の実験ごとに誘導場発生装置の機器を取り替えていた。
エネルギーを浴びて分子レベルでの歪みが生じる可能性があり、万全を期す為だ。
だが、そこに落とし穴があると梶川は言う。
「忌憚ない意見という事なので申し上げる。
非科学的だと言われませんように」
梶川が語った言葉は、科学者や科学について知識がある者の頭を抱えさせた。
「日本ではセンサーの他に、職人が最終チェックをしています。
その彼が、一度だけ
『これ、おかしいな』
と言った事があります。
センサーでは数値上何の異常もない。
その時は別の機材を使い、後日その発生装置の素材をチェックしました。
ほぼ均質の素材で作られていた磁場発生装置ですが、原子1個分だけ同位体が混ざっていました」
「それが原因ですか?」
「分かりません」
「分からない?」
「本当にそれを使えば事故が起きたのか、やってないので分かりません。
なにせ我々は、まだ基礎研究の段階だったのです」
暗に「そんな段階の技術を提供しろと、政治ルートで圧をかけたのはお前らだろ」と非難していた。
政治音痴な日本の科学者でも、それくらいは思う。
「しかし、計測装置上は問題が無かったのだろう?」
「はい。
しかし、扱う相手はクォークなのです。
原子より小さい素粒子を構成する粒子です。
原子レベルの誤差でも、クォークに対しては巨大なハードルと化すのですよ」
「それを報告しなかったのはどうしてですか?」
「因果関係が分からなかったからです。
我々は職人の勘を信じて使いませんでした。
そして同位体混入を確認しましたが、それがどういう結果を招くのか、今も研究中です」
「だが、一言あっても……」
「私も科学者の端くれです。
センサーで検知出来ない異常を、どう論理的に報告したら良いのですか?
それに同位体が混ざっていたと分かったのは、割と最近なのですよ。
既に欧州では実験が行われていて、問題なく動作していました。
今回の事故が起こるまでは。
事故が起こったからこれではないかと当たりをつけましたが、事故が起きるまでは我々すら、もしかしたら『こういう事もあるね』と済ませていたかもしれません」
「……職人はどうして『おかしい』と思ったのでしょう?」
「不明です。
なんか顔を寄せて、目を瞑って装置の上を確認していたら、ざわっとしたとかで」
「オカルトだね」
「まったくその通りです。
しかし、量子力学自体が通常の物理学からしたらオカルトですよ。
確率で考える学問ですからね。
職人がオカルト的な感覚でやめた方がいいと言い、それを直感に従って受け容れた私もオカルトなのです」
調査委員会は黙ってしまう。
これでは事故報告が書けないではないか。
とりあえず、同位体混入の磁場発生板による挙動についての研究と、職人の謎の直感に頼らずとも原子1個分の異常を検知出来るセンサーの開発を求め、調査報告書は以下のように纏められたのである。
『ラムダ粒子と反ラムダ粒子、そしてプロト・ストレンジレットと反プロト・ストレンジレットを圧縮・誘導する場を発生させる際に、同位体が一つ混ざった事で重力という場が乱れた。
本来分離させる正物質と反物質が、微小な重力の影響で十分に離脱しなかった。
その結果、両者はお互いの電場によって引き合い、対消滅をしてしまう。
プロト・ストレンジレットという未知の粒子同士の対消滅は未知の領域で、その規模の予測はついていなかった。
研究チームも重々理解していて、この日はリハーサルに留めていたのだが、予期せぬ対消滅が発生し事故となった。
以上は推測に過ぎない。
今後は同位体説が正しいのかの検証が待たれる』




