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(最終話)1,370年後

【夜が明けて、み使たちはロトを促して言った。

「立って、ここにいるあなたの妻と二人の娘とを連れ出しなさい。

 そうしなければ、あなたもこの町の不義の為に滅ぼされるでしょう」

 彼は躊躇っていたが、主は彼に憐れみを施されたので、かの二人は彼の手と、その妻の手と、二人の娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。

 彼らを外に連れ出した時その一人は言った、

「逃れて、自分の命を救いなさい。

 後ろを振り返って見てはならない。

 低地にはどこにも立ち止まってはならない。

 山に逃れなさい。

 そうしなければ、あなたは滅びます」


(中略)


 ロトがゾアルに着いた時、日は地の上に昇った。

 主は硫黄と火とを主の所、即ち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地に生えている物を、ことごとく滅ぼされた。

 しかしロトの妻は後ろを顧みたので塩の柱になった。】


ーー「旧約聖書」創世記:19章より




「コンピューター、機関全力。

 故障個所は無視。

 ただちにこの場より離脱」

『データ測定不能。

 ブラックホールの状態変化、未確認』

「データ測定停止、全力運転。

 フィールド全開」

『現状の100%。

 これ以上は装置の故障の可能性大』

 ユクシ・リエッキはコンピューターの警告を無視し、手動でフィールド発生装置を最大に設定する。

 同時にエンジンを全開に設定。

 本船の燃料は全部使い切っても構わない。

 直後、リエッキは凄まじい衝撃により、全身に痛みを感じた。

 どうやら物凄い加速度によって肋骨が折れたらしい。

 加速は宇宙船のエンジンの最大ブーストによるものと、ブラックホールによって振り回されたものの合算である。

 耐G防御をしている宇宙船、操縦席、船内服の全てでも効果が無い程の力が加わった。

 息が出来ない。

 胸部、腹部を凄まじい痛みが襲う。

 目も開けていられない。

 血を吐く感じだが、凄まじい加速度により血が口から外には出ない。

 血を吐き出すどころか、呼吸もままならない。

 後方で何が起きているか、確認していない。

 だが、振り返る暇はない。

 全力でこの場を離脱するのだ。


 どうやら亜光速に達した後、燃料が切れたようだ。

 加速度が無くなる。

 等速運動に移行したようだ。

 再び無重力状態になり、折れた肋骨は息を吸う事で、外側に押し出された。

 肺が圧迫から解放される。

 だがリエッキは油断しない。

 痛む体を脱出用宇宙船に運ぶ。


「命令。

 船体損傷により計画続行中止。

 地球に向けて離脱」

『計画中止コマンドを確認。

 本船船体損傷度合い確認、大規模な損傷を確認。

 帰還コマンドを正当と看做し、直ちに本船より離脱します』


 リエッキにとって、エルゴ領域で振り回されて船体が壊れる事すら計算の内だった。

 船体が損傷した事で、頼み込んで搭載した脱出用宇宙船が、使用制限解除される。


 この脱出用宇宙船は、ブラックホールからの脱出を想定していない。

 もっと前の段階で、計画中止が判断された場合用である。

 この脱出船に限らず、本船もブラックホールの重力圏を離脱する推力を持っていないのだ。


 だがリエッキの頭脳は、ブラックホールをスイングバイして、光速に近い速度を得る事を考えた。

 それには自然落下ではなく、自らブラックホールに突入する必要があった。

 ブラックホールの進行方向から突入する事で、その速度も利用して加速を得る。

 さらにブラックホールの自転方向が分かった。

 エルゴ領域での振り回される力も利用して、現在人類が持っている技術では出せない速度を得る事が出来た。

 その代償が肋骨や各所の骨折となった。

 内臓も一部傷ついたかもしれない。

 だが、それは十分計算していた。


 脱出船が本船から離脱開始する。

(良かった。

 本船は最早動かせないレベルで壊れたが、内部にあったこいつは無事だった。

 ここまでの賭けも俺の勝ちだ……)

 リエッキは脱出船が本船から離れて独立行動すると、間髪入れずに次の命令を出した。

「超光速航法に移行」

 こうなる事を見越して、彼は48時間前の作業で脱出船のエンジンを温めておき、エネルギーをチャージしていたのだ。


『エネルギー充填率100%。

 超光速航法移行可能。

 地球方向測位開始』

「測位中止。

 現在の進行方向に跳躍」

『警告、地球帰還コースから外れる可能性が高いです』

「構わない。

 直ちに跳躍」

『了解しました。

 超光速航法に移行します、10...9...8...7...』


 リエッキは背中の方に嫌な感じがしていた。

 センサーとか視認とかではない。

 直感的なものである。

 脱出船は亜光速に達していたが、決して光速ではない。

 計画が成功し、ブラックホールの内部が正のストレンジレットによって汚染された後、反ストレンジレットで質量消滅して爆発したら、減少した質量分重力も弱まり、エネルギーが奔出しているだろう。

 5兆℃の熱を想定している。

 それは光速で伝播する。

 亜光速は光速に追いつかれる。

 だから彼は、結果を見る事もせず、地球に進路を向ける為の測位もせず、全てをブラックホールから距離を置く事に専念させていたのだ。

 さあ、超光速航法発動が先か、光速で伝播するエネルギーに飲まれるのが先か。


(さあ、最後の賭けだ。

 もうここから先はやれる事は何も無い。

 まあ、ダメなら馬鹿が一人、賭けに負けて文字通り身ぐるみ剥がされ、宇宙の片隅で死ぬだけの事。

 大した事ではない)


 リエッキはそう思って、目を瞑った。







 地球にて。

 ストレンジクォーク生成の為の研究資料を破却しながら、梶川誠一郎がブツブツ呟いていた。

「一即一切……、一切即一……」

「???

 分かる言葉で説明して下さい」

 エンリコ・ジョルダーノが聞き返す。

「分かりやすく言えば、『一は全、全は一』、『One is ALL, and ALL is one』だな」

「荘子の『万物斉同』の事か?」

 ウー・ハオランが尋ねる。

「そんな感じかな。

 これは仏教の華厳宗の言葉なんだけどね」

「カジカワ、宗教や哲学の話をして、何の意味があるのですか?」

「今回のブラックホール破壊計画の事ですよ。

 普通なら巨大質量の天体がストレンジレットに汚染されたとして、そこに1つの反ストレンジレットが衝突しても、1塊分の反ストレンジレットの質量消滅しか起こらない。

 しかしブラックホールは特異点です。

 全てが一点に圧縮されて、一つの存在になってしまった。

 そうなると、1個の正物質と1個の反物質。

 対消滅で、もしかしたら全ての質量が消滅したかもしれません。

 そんな事が、今、1,400光年彼方で起きているかもしれないと思いましてね」

「約1,370光年だな。

 物事は正確に言おう」

「それこそ細かい事はどうでも良いのでは?

 しかし、カジカワもウーも、哲学に詳しいのですな」

「……今回の作戦は、仮定の上に仮定を重ねて、更に偶然を頼るようなものでした。

 だから実行したくないと思ったのに、くじ引きで実行と決まってしまった。

 なんかもう、神や仏に縋ってみたい気分になったのですよ。

 私は無神論に近い仏教徒なんですけどね。

 どこか心の拠り所を求めてしまったというか。

 そうして、この言葉に行き着いたんですよ。

 その意味は全く違うんですけど、なんか『全てが一となったブラックホールは、異なる一で破壊出来るかもしれない』と、そう思う事にしました」

「納得したのですか?」

「納得はしていないのですが、信じる事にします」

「まあ、なんか分かる気がします。

『神はサイコロを振らない』と言いますが、今回はサイコロを振られたように思いましてね。

 神が振ったサイコロの結果なら、きっと上手くいくと思います。

 ミスター・ウーはそう思いませんか?」

「私は特に……。

 荘子も、単に教養で覚えていただけだ」

「ああ、そうですか……」

 しばしの沈黙の後、3人はまた作業に戻っていった。




 リエッキが旅立ってから3年が過ぎた。

 この時、計画を知る者たちには信じられない事が起こる。

 ブラックホールの詳細な情報が、どこからか送られて来たのだ。

 すぐ近くで観測しないと分からないようなデータ。

 理論と照合出来る、整理されたデータである。

(まさか、ユクシ・リエッキが帰って来たのか?)


 超光速航法ではない、大型宇宙船による人類を播種する「箱舟計画」のリーダー、ウラジーミル・セルゲイヴィッチ・バルクライは

(あのペテン師、帰って来やがった)

 と確信している。

 超光速航法を想定していない中、彼等は加速方法にスイングバイを研究していた。

 大型宇宙船が木星で限界まで重力を使ってのスイングバイをする場合、宇宙船構造各所にどれくらいの力が掛かるかを計測していた。

 送信データには、宇宙船が受けた力の計測値がある。

 それを検証した結果、ユクシ・リエッキが意図的、あるいは事故などでやむを得なく、ブラックホールでスイングバイをした事実が浮かび上がった。

(おそらくはセキュリティ解除をして、意図的に行ったのだろう。

 ハッカーとしても有名なあのペテン師なら、それくらいの事をしてのけるだろう。

 そして奴が何故、遮蔽シールドをマニュアル操作で全開に出来るよう要望したか、完全に理解出来た)

 そう思ったが、真相は本人に聞いてみる他ない。


 同様にウー・ハオランや冷凍睡眠研究者のサラスワティ・ヴィクラム・メイラもリエッキの生還を確信する。

 素粒子物理学ではなく、本来宇宙物理学者であるウーは、エルゴ領域についてのデータが詳細過ぎる事から、ここを利用する事で生還を探ったのだろうと推測した。

 もしかしたら彼も、同様の事を思いついたかもしれない。

 しかし彼はあくまでも「戮星計画」転じて「ストレンジレット転送」で協力をした為、飛行士の生還という事に関しては「絶対不可能」という周囲の意見を鵜呑みにしていたかもしれない。

(会って、ブラックホールとはどんなものだったか、話を聞いてみたいものだ。

 私は星を壊すよりも、本当は宇宙が何なのかを知りたいのかもしれない)


 メイラ博士は、送信データ内の宇宙船ログから、脱出船の冷凍睡眠装置が起動された事を確認する。

 さらに治療装置(メディカルキット)も使用されたようだ。

 日付からも確実に、作戦実行日より後もリエッキは生きていて、脱出船に乗り込み装置を起動したのだ。

(全く大した人ね。

 でも、もしかしたら脱出時に大量の放射線を浴びたかもしれない。

 治療装置はそれで使用したのでしょう。

 冷凍睡眠により健康が悪化せず、温存されているとは思うけど……。

 速やかに治療を受けさせないと。

 もしかしたら彼は、人類最大の恩人なのかもしれないのだから)


 だが、そのデータ受信後は一切の連絡が途絶える。

 計画を強引に推進していた富豪のハワード・オルドリン・マクスウェル3世は、ユクシ・リエッキがブラックホールに到達する前、出発から半年後に心臓発作で急死していた。

 仮に失敗だった後に行われる第二次計画は、現在消滅している。

 そんな感じだったから、データ送信者の捜索は行われたものの、半年経って見つからなかった為、早々に打ち切られて

「ユクシ・リエッキは消息不明」

 とされた。


 なお、送信されたデータに、ストレンジレット攻撃後のブラックホールのデータは無かった。

 よって、計画が実行されたのか、それともブラックホールを観測しただけで逃げ帰ったのか、地球の面々には分からない。

 もう強引にブラックホール対処を推し進める者もおらず、人類は1,370年後に何が起こるかを待つ事となった。

 もしかしたら数百年後、対応する者が出て来るかもしれないが、それこそ神のみぞ知る事である。


「この結末を君はどう思っているんだい? ハワード。

 もしかして、父なる神の御許に行って、ユクシ・リエッキの全てを見ていたとかじゃないだろうね。

 それなら不公平だよ。

 生きている私たちは、結局死ぬまで……いや、もしかしたら死んでも何が起きたのか、推測でしか知る事が出来ないのだからね。

 いや、この計画は最初から最後まで推測に基づいて動いていた。

 ブラックホールが太陽系に影響を与える『かもしれない』、反ストレンジレットと5兆℃爆発で軌道を逸らせる『かもしれない』、ユクシ・リエッキという男が死を顧みずにやってくれる『だろう』……。

 我々は希望的観測に基づいて賭けに出ていた。

 だが、ユクシ・リエッキは更なるギャンブラーだったようだ。

 更にリスクとサクセス共に大きい所を狙い、きっと勝ったの『だろう』。

 結末が推測でしか判断出来ないというのは、ある意味我々自身が招いた事かもしれないな」

 ブラックホールをどうするか、その始まるきっかけを作ったロンドンの科学雑誌「元」編集長アーサー・ラッセル・チューリングは、手記を書きながら、そのように呟いていた。





ーーそして1,370年後の地球。

 そこに居る全ての生物は、天空の天の川の中、今まで暗い星しか無かった場所に金星を上回るような眩しい星が新しく光り輝いているのを見るのであった。


( 終 )

久々に真面目なSF書きたかったので、書きました。

ギャグ成分極めて少なめですが、一部いつもの自分のテイストも入れています。

登場が遅い、それらしい痕跡は第4話から出てましたが、本人登場は10話という主人公の設定について書きます。

人格モデルはアカギ(狂気のギャンブラー)、ヒイロ・ユイ(任務了解)、シモ・ヘイヘ(人類史上最強の狙撃手)です。

なのでフィンランド語で適当なのが無かったので

「赤い白樺」→「赤い木」→「アカギ」

「ユクシ・リエッキ(Yksi liekki)」→「一つの炎」→「一つの緋色」→「ヒイロ・ユイ」

と名前をいじりました。

本名の方はフィンランド人のもっともありふれた名前と苗字の組み合わせだと思います。

この連中の「任務の為には自分の生命なんか安いものだ」「必ず命中させる」「狂気の沙汰ほど面白い」を組み合わせた人格破綻者じゃないと、作中の極限状況じゃ発狂すると思いました。


他は学者や宇宙関連の人(業界人や宇宙飛行士)を組み合わせた名前ですが、

ウー・ハオランは呉浩然と書き、モデルは呉起(兵法の呉子)です。


この小説の原点というか、きっかけはケーブルテレビの「地球脱出のシナリオ 中性子星襲来」でして、色々とツッコミを入れながら見ていたんですが、チェスト脳な自分は

「中性子星を破壊してしまえば、逃げなくても良いよね」

と考えてしまいました。

中性子星を破壊するシナリオを考え、中心核に反物質転送して質量消滅と中心核破壊による重力崩壊を招けば、案外木っ端みじんに出来るんじゃね? となりました。

まあ地球の傍でやればキロノヴァで滅亡しますけどね。

そして小説にしようと練っている内に、相手をもっと手強いやつに変えてみたくなりまして。

S.ホーキングのブラックホール蒸発(放射)という理論があるので、絶えず反物質投げ続けたら壊せるんじゃね? となり、さらに

「特異点という1点なんだから、1対1で反物質ぶつけてみよう」

→「よろしい ならば反物質だ!

反物質は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ

だがこの暗い闇の底で数年間考え続けてきた我々にただの反物質ではもはや足りない!!

とんでも物質を!!

一心不乱の反物質を!!」

となって、反ストレンジレットぶつけてやれ、ってなったわけです。

宇宙で最も安定したストレンジレットをブラックホールにぶつけて汚染し、それに対になる物質ぶつけてやれ、という思考。

まあ、どれくらいの威力になるか分からないので、ここから先は空想に任せた上で、数値合わせの計算(これが一番面倒だった)をしました。

5兆℃?

本当に出るか分かりません。

一番計算で面倒だったのは、

地球に被害出ない距離で迎撃←なら、来るまで放っておこうって考えが主流になる

だから1,000光年彼方でも地球に被害が及ぶ爆発ってどれくらいだ?

と計算して出した数値に過ぎません。

400光年くらいで迎撃だと、なんか近い(当社比)感じがしたので、絶対発狂する距離に設定しました。

Science Fictionなので、この方法で本当に迎撃出来ると思っちゃダメですからね。

思っても試せる人はいないと思いますが。

とりあえずブラックホールをチェストする方法考えて、それを物語仕立てにしたのが今回の作品です。

楽しんでいただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
とても面白かったです! ありがとうございました。
他の人もいってるけど同感w ラリィ・ニーブンとか思い出しちゃった。面白かったです。ありがとうございました。
学生の頃に読んでいた古典SFを思わせるような作品で楽しませて貰いました。 ラストが想像に委ねられてるのもそれっぽい。
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