作戦決行
太陽質量の10倍のブラックホールのシュワルツシルト半径、つまり「光さえ脱出出来ない、何も情報を得る事が出来ない事象の地平線」は案外小さい。
自転するブラックホールは、回転する外側に広く「エルゴ領域」、つまり「ブラックホールの回転方向と同じ方向に運動せざるを得ない、静止を許さない空間」が拡がる。
プログラムでは、エルゴ領域の小さい自転軸方向、つまり北極・南極のどちら側からか接近し、ストレンジレットと反ストレンジレットの時差転送を行ってブラックホール破壊を実行する。
ここは、超新星や中性子星を例に考えると、破壊後に発生するエネルギー輻射、ガンマ線バーストのようなものが当たる危険空間である。
だが、非人道的だがこの計画は「生還」を前提にしていない。
事前に降着円盤が無い事を知らない地球のスタッフは、赤道側からのアプローチは膠着円盤の高熱に阻まれてしまうと考え、命中精度からも極からのアプローチを考えていた。
ここが一番可能性が高い。
それにはギリギリまでブラックホールに接近する必要がある。
余計なエネルギーを使わないよう、適当な位置に宇宙船を固定し、しかる時間にはブラックホールの重力による「落下」で接近する計画であった。
それにはまだ時間がある。
しかし「最後の日」、目覚めたユクシ・リエッキはコンピューターを操作する。
端末に外部メモリーを接続し、プログラムを起動させる。
『警告! 運用の障害となるプログラムが起動されました!』
『これよりウィルスの消去を始めます』
だが、それが成される事は無かった。
「どんなコンピューターでも、強制シャットダウンされたら、それ以上処理は進まない」
リエッキは呟く。
そして
「再起動、マニュアル操作」
と言いながら、コンピューターを再起動した。
再起動されたコンピューターはデータと論理式部分が初期化されている。
そうしたのだ。
だが、これではブラックホールの破壊計画は発動しない。
リエッキは一体何を考えているのだろうか?
「俺とて、コンピューターの精密計算無しでこの任務を達成出来るとは思っていない……」
自分以外誰も居ない船内でつい独り言を零す。
これは孤独に耐えかねてのものではなく、彼が何かをする際の癖のようなものだ。
「バックアップファイル転送。
システム再構築。
論理式に俺のプログラムを部品として組み込んで再起動……っと」
コンピューターを立ち上げていく。
一度初期化されたシステムである。
再度計画を実行する為には、あちこちを設定していく必要がある。
この設定は、リエッキが冷凍睡眠している時間に、システムが自動で行っていたものだ。
いくらバックアップを取っていたとはいえ、それを再設定するのは時間が掛かる。
『準備完了です。
ブラックホール破壊計画、続行します』
と表示された時には、再接近まであと15時間を切っていた。
(コンピューターの完全シャットダウンからの再構築。
これも失敗する可能性があった。
だが、間に合ったな。
ここも俺は賭けに勝った)
リエッキは内心そう呟く。
「突入進路変更、ブラックホール回転順方向のエルゴ領域に突入」
『了解しました』
彼が作っていたプログラムの一つが、宇宙船のコンピューターを自分の思うように動かす為の「セキュリティ解除」である。
地球のスタッフが作ったプログラムは、計画実行か中止か、突入角度の微調整、といったものしか飛行士の意思を受け付けない。
要するに、勝手な判断で計画から外れた事を命じた場合、拒否するように設定されていた。
凄腕ハッカーであるリエッキ、元のコードネーム「赤い白樺」は、それを見越してハッキングコードを作成していたのだ。
なお、宇宙船本体のどこかに保存すれば、余計なプログラムは自動削除されるかもしれず、「音楽を聴く」と言って持ち込んだ「使い慣れた機械」こと外部メモリーに自作ウィルスを保存をしていた。
この辺り、彼の経歴を知っていながら、「成功にしか興味が無い」という一面的な情報を信じた地球のスタッフの落ち度であろう。
リエッキは淡々と、死を受け入れながら、成功させる事しか考えていない態度を演じていた。
故に「最期の時くらい自由にさせてやろう」と、関係者たちが感傷的になっていたのもある。
そして外部メモリーだけでは不足するのは分かり切っていた為、脱出用宇宙船も起動し、こちらの予備コンピューターにバックアップをさせていた。
何の意味も無く、早々と脱出船を目覚めさせてはいない。
この辺り、全てリエッキの計算通りであった。
「機関始動、予定より早くブラックホールに突入する」
『警告、このコースではブラックホール近辺では相当な高速になり、最終諸元入力とストレンジレット転送が失敗します』
「諸元入力だけに限定、ストレンジレット転送は実行コマンド入力まで待機」
『諸元入力だけに切り替えます』
最早コンピューターは、地球の命令よりリエッキの指示に優先的に従うようになっている。
彼は地球で立案された計画を上書きしていた。
リエッキは独白する。
「俺はこう見えて、自己顕示欲が強いらしい。
『赤い白樺』なんて名前、自己顕示欲が無ければ、名乗って広める事も無かった。
ただの『名無しさん』で良かったのだ。
だが、それでは寂しいらしい。
俺は、ここで死ぬ気は無い。
俺は計画を成功させて、尚且つ生還する方法を知っている。
地球のスタッフは、最初から絶対不可能という言葉に踊らされ、出来ないという事を前提にしてしまった。
俺にしたら、ブラックホールも単なる言葉でしかない。
どう攻略するかを考える。
そして、針の穴を通すようなものだが、生きて帰る方法が分かった。
俺は任務成功の為には自分の生命なんかどうでも良いと思っている。
だがそれは、全ての可能性を検証し、成功が絶対に自分の生命と引き換えの場合だ。
生還出来るなら、それに賭ける。
普通に死ぬ事前提で任務をするより、成功率は下がるかもしれない。
だが、だからこそ挑戦してみたい。
0.1%程度の成功率だが、0.1%もあれば十分だ、0%に比べれば十分に高い。
最下位予想の、高配当の馬に賭けるようなものだが、当たれば大きい。
フフフ……俺は頭がおかしいな。
だが、俺は自分が狂っている事を知っている。
死を恐れない、そもそも恐怖というものを感じない、だからリスクのある事程面白く、危険を搔い潜って成功した時のみ自分が生きていると実感出来る。
そう、俺は自分が狂っている事を知っているから、これ以上狂う事は無いと思っている。
任務を成功させ、生きて地球に戻って、ここまでのデータを送りつけてそれで任務完了だ。
あとはまた名前を変えて姿を晦まそう。
連中の驚く顔が見たい気もするが、まあそれはどうでも良いか……」
彼はブラックホールの巨大重力に捕まり、加速しながら「落下」していく宇宙船内で、強度の弱い内装が軋む音をBGMに呟いていた。
恐怖は感じない。
むしろご機嫌なようだ。
なにせ、この状況は彼の「想定内」なのだから。
宇宙船はブラックホールのエルゴ領域に突入し、激しく振り回される。
そして一旦外に放り出された。
自ら加速しながらエルゴ領域に、順方向に突入したのだ。
自転方向に加速され、そこが「事象の地平線」からは離れた距離であった為、ブラックホールの重力を一旦振り切ったのである。
だがそれは単に一旦離れただけに過ぎず、宇宙船は長大な楕円軌道を描きながら、再度ブラックホールに落ちていく。
「コンピューター、諸元入力は完了したか?」
『情報入力全て終わりました』
「次のエルゴ領域突入時に、ストレンジレット転送を実行」
『コマンド了解、転送装置作動、良好。
ストレンジレット生成準備、完了』
「船体の損傷確認」
『確認……損傷多数』
そうして読み上げれる損傷個所。
「再計算。
それら損傷個所を廃棄しての重心バランスを取れ」
『了解。
損傷ブロックの切り離し後の重心計算、完了』
「ストレンジレット転送は自動で行う。
転送後、エンジン点火、全力運転。
同時に後方で遮蔽シールド全開」
『警告、それでは47秒しか、現在のエネルギー残量では維持出来ません』
「それで良い」
『実行します』
宇宙船は損傷した箇所を逐次切り離しながら、ブラックホールに再び高速で落下していく。
彼が作成したプログラムの2つ目、それは自身が光速に近い速度に達しながら、照準を補正するものである。
ウー・ハオランが考えた、天体の重力そのものを使った狙点固定システム。
これは相対速度が比較的低速である事前提であった。
通り魔のように、すれ違いざまの狙撃を想定していない。
そこで彼は、ブラックホールの諸元を全て使って、振り回される際に遠心力で外側にずれる分を補正する計算式を組み込んだのだ。
これがユクシ・リエッキの打った手の2つ目。
彼は用意周到に、地球に居た時から要望という形で、様々な準備を整えていた。
それらの最後のものは、この土壇場を切り抜けられたら役に立つだろう。
まずは任務を成功させる。
「失敗したら、宇宙船は分解され、俺は宇宙に放り出される。
そしてシュワルツシルト半径に近づくと、激しい潮汐力によって俺の身体はスパゲティーのように引き延ばされ、尖端から崩壊してブラックホールに落ち込む。
俺も、この宇宙船も、ごく短い時間膠着円盤となって微量なX線を放ちながら、深淵に消えていく。
フフフ……見てみたい気もするが、それよりも成功させたい。
絶対不可能……だからこそ成功させたら面白い」
成功したとしても、生き残れるかは運次第だ。
「ブラックホール本体、つまり特異点をストレンジレットで汚染するのは簡単だ。
ただ当てれば良いのだからな。
しかし、反ストレンジレットを当てた後に何が起こるのかは運次第。
誰もシミュレーションしていない。
出来る訳がない。
シミュレーション出来るデータは、この3日間で収集したものが全て。
それでも事象の地平線の向こう側は全く分からない。
俺が思うに、在るかどうかは分からんが、特異点のど真ん中に当たったら最悪だ。
ストレンジクォークの対消滅事故で計測されたように、発生する熱は5兆℃相当。
本来なら爆発は、ブラックホールの超重力によって事象の地平線から出て来ない。
しかし、対消滅によって質量が喪失されたブラックホールは、一時的に揺らぐだろう。
恐らく、揺らいだ事象の地平線から莫大なエネルギーが放射される。
その際、ど真ん中だと全方位に均等にエネルギー放射されるから、質量が多少小さくなるだけで、速度も進行方向も変わらない、要は失敗に終わる。
だから僅かに中心からズレた所で爆発が起きて、指向性を持った噴射となる事が望ましい。
その爆発する方向に、たまたま俺の宇宙船が居たなら……。
考えるのも馬鹿馬鹿しい高エネルギーを至近距離で浴びるって事だ。
まあ、何も考えずに死ねるのなら、それは幸せな事だな。
さあ、次の賭けはどうなる?
サイコロの目はどう出る?」
接近に伴って、速度が急増大しつつある宇宙船の中で、彼はそのような事を考えていた。
「柄にもないな。
俺は実は心の奥底で恐怖を感じているのか?
妙に色んな事が思いついてならない。
怖いとは思わないんだがな。
まあ、気づいていないだけで俺も恐怖を感じ、それで心がザラついているのなら、俺もノーマルな人間だったって事だ。
死と生の狭間にあって、真に結構な事だ」
最後にそう呟くと、彼は生粋の仕事人、あるいは危険な事に命を賭けて楽しむ狂喜のギャンブラーの目付きに戻る。
ガタガタ震える宇宙船で、自分も強力な加速度に苦しみながら、彼は最後の命令をコンピューターに発した。
「転送シーケンス作動!」
19時に最終話を投稿します。




