72時間、カウントダウン
ユクシ・リエッキは虚空の中で目覚める。
いや、コンピューターにより目覚めさせられた。
冷凍睡眠からの復帰で気分が悪い。
ここは地球から約1,370光年の天の川銀河系内空間。
発見当時約1,400光年の距離に在ったブラックホールも、それから150年の年月でそれだけ接近していた。
人類が想定した、5兆℃の爆発が起きた際の被害想定:
【レベル1 被害ほぼ無し】 文明のシステム、社会構造は維持され、公衆衛生上の問題も軽微。
多少のオゾン層損傷や、人工衛星の故障等の被害は出るが、復興も迅速に可能。
1,407光年
【レベル2 最小限の被害】 照射エネルギーが致死量の50%までに半減。
文明は大きな混乱なく維持されるが、長期的な健康被害は発生し、経済的打撃は大きい。
1,337光年
ここはレベル1とレベル2の中間にあたる距離である。
この距離で5兆℃の爆発が超新星爆発と同様に数日間発生した場合、照射エネルギーは距離によって減衰する為、致死量の0.53%でしかない。
しかし、このエネルギーを数日持続的に浴び続ける事で、オゾン層にはダメージが出る。
地球環境は致命的ではないが、無傷では居られないだろう。
宇宙船はブラックホールから104天文単位(AU)の地点に居る。
太陽系に置き換えると、太陽風の影響がほぼない領域の80~90AUより遠く、オールトの雲よりは近いことになる。
ちなみに太陽から海王星までの距離は約30AU、最遠の準惑星エリスまでは68AUだ。
計算では、今から3日後にブラックホールはこの地点を通過する。
この距離では、太陽質量の10倍とはいえ、ブラックホールの重力の影響はない。
地球からの観測では誤差があると考えられ、近づくごとに宇宙船の観測システムがブラックホールの移動位置の補正をして航路を変更し、丁度この位置に到着するよう調整したのだ。
ここで飛行士が目覚め、準備を始めるというスケジュールである。
船内のコンピューターがカウントダウンを始めている。
改めて計測し直す必要はあるが、ブラックホール最接近まであと72時間から時計は刻まれ始めた。
プログラムに則って、観測機が射出された。
これから母船から90度方向に進み、約150,000km、0.5光秒の距離からブラックホールを観測する。
これまで漠然と光速の20%の速度と言っていたが、20ピッタリなわけがない。
小数点以下までしっかりと求めねば、ストレンジレット発射の諸元が狂う。
20%ぴったりなら秒速60,000kmだが、仮に20.01%ならば秒速60,030kmとなり、1秒間で30kmものズレが出る。
恒星のような巨大なものならまだしも、超重力で作られた縮退星に対してこれは致命的誤差だ。
太陽質量の中性子星は直径が10~15km、30kmもズレた場所に撃ったら、かすりもしない。
探査機が測定を開始するまでの間だが、リエッキにも仕事が多数ある。
まずは宇宙船の損傷確認。
本人が言ったように、この時点で何か問題があるならば、地球に引き返す選択肢もある。
リエッキは淡々とセンサーと、本人の目で船体を確認する。
幸か不幸か、問題らしい損傷は見当たらなかった。
続いてブラックホールの各種観測。
飛行士が外に出るわけにはいかないから、モニター越しに確認する。
「コンピューター、降着円盤が確認出来ないな?」
この空間において、飛行士以外に言葉を発するのは、対話側コンピューターである。
タッチパネルやキーボードでの応答も出来るが、飛行士が人生の最後に寂しくならないよう、気を使われたインターフェースとなっている。
『はい、周辺空域にブラックホールが吸引する物質はほとんどなく、降着円盤は確認されません』
「ブラックホール周辺からは、X線やガンマ線が発せられていないのか?」
『確認されません』
「磁気はどうか?」
『接近しないと分かりませんが、これまでの状況からは無いでしょう』
「電荷は持たない、シュワルツシルトかカーのブラックホールだな。
まあ一般的にはカー・ブラックホールだろう」
『その解釈は妥当です』
コンピューターとの応答で、リエッキは
「好都合だ」
と小声で呟く。
聞こえるか聞こえないかの小さい声で、ブツブツ独り言をつぶやく。
「このブラックホールは銀河系中心から弾き出された天体。
ここまでの時間で、他の天体とニアミスしなければ、銀河中心部に居た時に纏っていた降着円盤も全て飲み込んだだろう。
最初に観測された時、強力なX線が観測されていない。
だから降着円盤は無いと考えていた。
まあ、俺がここに来るまでに別の天体から物質を剥ぎ取り、降着円盤を作っていた可能性もあった。
それもなく、ただ何も無い空間を進行していたようだ。
ここまでは俺の賭けは勝っているな……」
コンピューターはそれには何も反応しなかった。
ブラックホールには
・質量のみを持ち、回転と電荷は無いシュワルツシルト・ブラックホール
・質量に加えて回転(角運動量)を持ち、電荷は無いカー・ブラックホール
・質量と電荷を持ち、回転はしていないライスナー・ノルドシュトルム・ブラックホール
・質量、電荷、回転(角運動量)の全てを持つカー・ニューマン・ブラックホール
と4種類が考えられている。
電荷の無いブラックホールであっても、そこに落ち込む物質の影響で電磁気を発生させる事はある。
しかし、ここまで磁気が観測されないなら、降着円盤も見られないし、電荷は存在しないと見て良い。
これは計画遂行に丁度良い。
強過ぎる電場は、機器を狂わせてしまうし、計測値にも誤差を生じさせる。
だが、今回は重力と自転方向だけを考えれば良い。
「コンピューター、エルゴ領域はどれくら拡がっている?」
『ただいま重力波の測定、計算中です。
回答まで時間をいただければ幸いです』
「いつ答えが出るのか?」
『120分後です、もう少し短くなるかもしれません』
「ならば良いか」
そう呟くとリエッキは端末の1台を起動し、プログラミングを始めた。
宇宙船のメインフレームでは、切り離された探査機や本体のセンサーからのデータを受信し、自分の最適な軌道を計算している。
また、ストレンジレット生成の為のエネルギーチャージに入っていた。
専用の核融合発電所を使って粒子加速器は稼働している。
宇宙船に搭載されている小型の発電機では、72時間前からチャージを行って必要なエネルギーを貯めねばならない。
ゆえに一発勝負となる。
一発勝負ゆえに、完全自動化が出来なかった。
いざという時にプログラムを超えた判断を出来る「頭脳」を必要とした。
ある意味、飛行士は「非常時用生体ユニット」であり、1,370光年を移動してストレンジレットを射出する機械のパーツの一部でしかない。
この役割を、どうしても人工知能に任せられなかった。
信用出来なかった。
そうした「HALコンプレックス」が生んだ「生体パーツ」。
非人道的扱いだ。
それ故に、選抜に苦労したのだ。
ほとんどの人間は、そんな役割は拒絶するのだから。
その「非常時用生体ユニット」であるユクシ・リエッキは、本日の仕事は終了したのだから、あとは食事して眠れば良い。
だが、何かを無中でプログラミングしている。
コンピューターは、飛行士の健康管理も仕事である為、
『休憩して下さい』
『睡眠時間です』
と警告を出すが、リエッキの目にも耳にも入っていないようだ。
物凄い集中力である。
そして
「大体は出来たか」
と言って、それを外部メモリに保存してから、何事も無かったかのように眠りに就いた。
彼を送り出す際、地球のスタッフは不眠症を心配した。
言ってしまえば、飛行士は死刑宣告を受けた、執行前の受刑者のようなものである。
今は死刑を行っている国や連合体も少ないが、採用している国では執行1~2時間前に通達するという。
待機時間を長くすると、自殺してしまったケースもあるからだ。
72時間前、確実に迫る死。
その前までは虚勢を張っていた者も、死が迫れば眠れなくなるだろう。
飛行士には知らせていないが、そうなった時用に睡眠ガスを空調から流す機能もあったが、その前にリエッキはぐっすりと眠ってしまう。
バイタルセンサーがリエッキの脳波を調べるが、確かに熟睡している。
コンピューターは強制的に眠らせる工程を停止した。
もしコンピューターに人間と全く同じ感性があるなら
(よくこの状況で熟睡出来るな)
と感心しただろう。
だが、人間の思考をトレースするだけのコンピューターは、ただ任務に向かって淡々と自分の任務を順を追って進めていく。
こうして初日が終わり、2日目、作戦実行まで48時間を切る一日が始まった。
リエッキは目覚めると、本来の任務であるブラックホールの諸元を確認し、それがコンピューターに確かに反映されている事の確認を済ます。
再度船内を点検。
この日は非常脱出用宇宙船の起動試験もして、故障していない事を確認した。
そして彼は、アイドリング状態だが非常脱出用宇宙船もエネルギー充填をさせる。
本体となる宇宙船が破損しない限り、この宇宙船のエンジンはかからない仕様だ。
それなのにエネルギーのみチャージし始めるのは、彼に何らかの意思があっての事であろう。
今は明かされないが。
それと同時に、反ストレンジレット生成と転送に使う本船のエネルギー充填率も確認する。
諸々、万事無問題であると判断。
そして自由時間になると、得られたブラックホールの諸元を、また端末を起動して自作のプログラムに修正入力をし続ける。
初日ほどの作業量は無かったようで、終わるとまた外部メモリーに保存し、今度は持ち込んだ本を読んだり、音楽を聴きながら時間を潰す。
これが恐らく最後の自由時間となる。
就寝時間になると、今度は警告が出る前に自分から眠りに就いた。
そしてついに作戦発動24時間前、最後の1日を迎える。




