ブラックホールまでの最後の準備
「政治家ってズルいものだな……」
ブラックホール破壊計画の司会役アーサー・チューリングは、国際機関に今回の計画の最終案を報告し、実行許可について伺った。
各国の政治家の会合では議論がまとまらず、理事会に一任するという決議となる。
そして理事会はあっさりと実行許可を出す。
仮に二次被害が出るとしても1,400年後、その時の人類がどうにかするという意識だ。
しかし、ただ実行許可を出しただけでは威厳というものがない。
彼等は次の条件を出した。
・データを必ず報告する事
・成功後、ストレンジレット生成に関する記録を抹消し、今後二度と作られないようにする事
最初のものは、成否確認を必要とする当たり前の事だろう。
2つ目だが、これは彼等もストレンジレットの危険性を認識しての判断だ。
仮に自殺志願者が全人類を巻き添えに消滅を選んだら、ストレンジレットを作ってしまうだろう。
そうでなくても、作れる事で脅迫に利用出来る。
最初で最後の使用にしろ、という判断だ。
まあ、守られるとは思っていない。
記録抹消を厳密に行ったら、関係した科学者・技術者を全員抹殺するか、政府機関の総力を挙げて監視しなければならない。
ポーズだけではあるが、言わないと大量破壊兵器への認識が疑われるのだ。
かくして全人民には知らされないが、トップの判断でGOサインが出た。
そして超法規的措置で「戮星計画」のウー・ハオランが釈放され、計画に参加させられる。
否、彼は喜んで参加を申し出たのだ。
「私は何もかもを失った。
だから最後に残った科学者としての誇りに従いたい。
私という人間の知能の証明として、計画を成功に導きたい」
そう言ったという。
彼を必要とした「実行役」ユクシ・リエッキは尋ねる。
「戮星計画で、確実に恒星の中心に反物質を届けるのはどうする?
今のやり方だと、表面で爆発を起こす事になる。
ブラックホールは特異点、0に近い一点だからそれで良いかもしれないが、可能なら確実に中心点を狙いたい」
ウーは頷き、「戮星計画」の機密を伝える。
「恒星そのものの重力を利用する。
超光速航法について、我々が開発したのはアメリカのものとは違う。
我々のものは量子テレポーテーションの発展形だ。
本来なら人を送りたいが、そんな高度な情報を送る事も、再生する出力も出せない。
そこで素粒子だけを情報化し、転送してそこで生成する。
送信先を固定しないとならないが、そこは重力の井戸の底、もっとも狙点固定が外れない。
そしてこの機密技術を使う事で、生成に使う動力すら重力を変換して利用する。
つまり我々は、反ストレンジレットの情報さえあれば、恒星内で無限に生成可能だったのだ。
まあ、研究が順調に進み、理論の正しさとそれを成す技術が確立されたら、の話だが」
「今、それはどこまで実現出来るのか?」
「狙点固定までだ。
量子テレポートは、量子コンピューターの世界では実現しているが、それは半導体内での話。
天体規模の距離での、粒子生成情報転送や、反物質生成はまだ出来ていない。
狙点固定の方だが、重力の底を狙うには、精密な観測が必要だ。
地球から狙えるのは、精々月だ。
地球で計測出来るくらいの重力は必要だ。
太陽まで遠くなると、重力を使った固定は難しくなる」
「それで良い、搭載して欲しい」
「協力はする。
それとは無関係に『赤い白樺』という工作員に質問したい。
どうやって私を失脚させた?
答えの有無に関わらず、協力は約束する。
だが、知りたい。
私は隙を見せてなどいなかったが……」
その名は棄てた元「赤い白樺」ことユクシ・リエッキが答える。
「あんたに隙は無かった。
だから、あんたの後ろ盾を狙った。
あんたを利用して自分が得をしようという甘い奴だ。
そっちの方が狙いやすかった」
「……なる程、私は爆風に巻き込まれたのか。
『戮星』で爆発を起こしブラックホールを逸らす事を考えていた男が、他者の巻き添えで自分が吹き飛ばされるとは皮肉な話だ。
だが納得出来た。
私に非が無かったのなら、それで良い」
こうしてウーは、彼の理論に基づくストレンジレット転送装置の昇順器開発に着手する。
「あの男は一体どんな人生を送って来たのだろう……」
計画のリーダーとなった富豪のマクスウェルは、「選考落ちの宇宙飛行士」「謎の工作員だった男」の知識に舌を巻いている。
リエッキは現場に行って、直接要望を出していた。
「この巨大宇宙船に、脱出用の宇宙船を積む余裕はあるだろう?」
「出来ない事はない。
だが、逃げ出すつもりなのか?
それは難しいぞ。
定位喪失でパニックになった飛行士が宇宙船を脱して死亡した事から、一回宇宙船に入ったら、帰還して外部から鍵を解除しない限り外に出られないようにしている。
それに、脱出用宇宙船は初期型の超光速航法船のような小型の『棺桶』のようなものになるが、それではブラックホールの重力圏を脱出出来ないだろう。
積むだけデッドウェイトになるぞ」
棺桶とは口の悪い言い方で、カプセルホテルくらいの生活空間はある。
「俺は逃げる気はない。
しかし、ブラックホールに達する前に事故を起こす事も考えられるだろう?
設計図と仕様書を読んだが、巨大さ故に構造の強度不足の心配があるようだ。
通常空間なら問題を解決したが、超光速航法ではまだだろう?
それで作戦遂行不可能になった時、即座に引き返して報告し、第二段を造る必要がある。
パニックになって逃げ出すのを恐れるなら、船体に異常発生時にのみ起動するようにでもしておけば良い。
とにかく、最終段階にいく前に故障が起きた場合、例え1,000光年の彼方からでも戻って、第二撃の準備に充てたい」
「……全て納得いく理由だ。
その要望を叶えよう。
他に何か希望はあるか?」
「放射線や磁気に対するシールドの出力を、マニュアルで操作可能にして欲しい。
出力は0から現在可能な限りの最大まで」
「確か君は、選考試験の時にシールド出力を下げる事で、不可能と言われたタイムリミット内での作業を、時間延長させてクリアしたんだったね。
心配しなくても、そういう状況ではコンピューターが判断して、自動調整するよ」
「いや、マニュアルでの操作が必要だ。
コンピューターは時として、最大出力を故障の原因として拒絶する」
「リミッター解除で対応は出来るのが……本当にマニュアルが必要なのか?
最大出力なんてすると、1時間も持たずにエネルギーを使い切るぞ。
それに、君が言ったように回路への負荷も大きくなる。
我々はブラックホール近傍での作業を最大72時間と見積もっていて、それに合わせた調整をしている」
「マニュアル操作が必要だ。
機械では分からない人間の直感というものがある。
合理的でない事は分かる。
しかし、相手はブラックホールだ。
間近に行くのは俺が初めてだ。
何がどうなっているのか、分からないだろう?
大体、この計画だって『事象の地平線』の向こうはどうなっているのか分からないのに、そこに反物質を打ち込めば重力崩壊的な爆発を起こせるという、実は不確かな理論を元に実行されている。
不確かな情報を元に、不可能と見られる任務を行う。
俺好みであるが、俺はやるからには絶対に成功させたい。
その場の判断で対応出来るなら、そうして成功させたい。
今回は成功の見込みがなく、だが次なら成功する見込みがあるなら、俺は躊躇なく逃げる。
だからやれる事は全てやれるようにして欲しい」
「彼の希望を叶えてやってくれ」
傍で話を聞いていたマクスウェルが設計主任に声をかけた。
「言っている事がいちいちもっともだ。
普通の人間なら、これを言い訳にして逃げに使うかもしれない。
しかし、この男なら大丈夫だ。
この男は普通じゃない。
信じて良い、いや、信じて任せるしかない。
それに、これが人生最後の旅となるのだ。
希望は全て叶えてやるくらい、どうという事もない」
「……そうですね。
分かりました。
他に何か要望はありますか?」
「デッドウェイトなのを承知で言う。
治療器具を脱出船にも積んで欲しい。
後、暇つぶしの為の音楽機器、これは使い慣れている物の持ち込みも許可して欲しい」
「暇つぶしって……あなたねえ……。
いや……分かりました」
担当者は、この男にして死を迎える最期の時に、警報音や船体の軋む音をBGMにしたくないものと解釈する。
自分だったら発狂するだろう。
好きな音楽を聴きながら死ぬくらい、神もきっと許すだろう。
ここまでの彼は、とにかく成功させる事に集中している。
実に協力的だ。
そんな彼に、最初は訝っていたスタッフたちも、次第に同情を覚え、親身になって来ている。
マクスウェルには、リエッキの性格が多少見えて来たように思えた。
彼は自分の命を軽んじて、すぐに諦めるのではなかった。
成功に対して異常なまでの執着心を持つ。
それは難しい任務であればある程、強くなる。
そして成功させる為には、手段を選ばない。
もしも正々堂々にこだわるタイプなら、ウー・ハオランを失脚させる際に、難易度が高い彼を標的にしただろう。
だが彼は目的の為に手段を効率化させる。
隙が無い相手ではなく、その隣の人間を狙った。
考えてみれば、かつての宇宙飛行士選考の不可能状況判定は、彼には温すぎて、やる気が起きなかったのだろう。
彼は、任務が成功しさえすれば、自分の命は要らないタイプだ。
今回は自分の命を賭けるに値する、最高難易度の任務に当たった。
だから彼は、それを成功させる事に全力を注いでいる。
悲しい程に成功に貪欲な男。
生きて帰って来る事は考えていないだろう。
しかし、捲土重来が出来るなら、冷静に任務を放棄出来る冷めた頭も持っている。
実に任務にうってつけの人材だった。
こんな人材を見逃していた自分の見る目の無さが腹立たしい。
そんな風に「任務を達成した後、二度と帰って来られない」相手に対し、同情的な思いを抱いたマクスウェルは、リエッキの小さな呟きを聞き逃していた。
「人生最後の旅……それはどうかな」
という呟きを。




