銀の風が運ぶもの
なんて慌ただしい夜なのだろう。
ランプが灯るメインストリートを駆け抜けながら、ネリネはそんなことを思った。
話は昼前まで遡る。この日、ホーセン村は外部からの来訪者で大いに盛り上がっていた。旅の楽団一座が村に立ち寄り、宿屋で賑やかな公演が行われていたのだ。当然そうなれば観客たちの酒を空けるペースも早くなり、泡を吹いて倒れた急患がいると教会まで一報が入ったのが夜も更けた10分ほど前のこと。先に飛び出したクラウスに処置を任せ、万が一に備えて物資を準備したネリネは後発組としてこうして走っている。
村で唯一の宿屋に飛び込み患者を探す。一呼吸置いてその場にいた全員がワッと喜びの歓声を上げたのを見て、最悪の事態にはならなかったようだと胸を撫で下ろした。ピィピィと指笛が鳴る中、ネリネは輪の中心に居たクラウスの傍に駆け寄り、意識を取り戻したらしい男性を見下ろした。
「容態は?」
「一瞬危なかったけど、なんとかなったよ」
クラウスも聖職者の例にもれず、こう言った場合の対処法を教会本部にて一通り収めている。腕まくりをして額の汗を拭う彼に、ネリネはお疲れ様ですと微笑みかける。せめて後処置を引き継いで、患者を別室で休ませることにした。
心配そうに寄り添う患者の恋人に向けて、充分に水分を取らせて横向きに寝かせ、吐瀉物で喉を詰まらせないようにと指示を出しておく。脈も安定したようだしこれで大丈夫だろうと酒場の方へ戻ったネリネは上司の姿を探した。どうやら彼は感謝の証としてテーブルに招かれ、一杯勧められているようだ。
懲りない人たち……と、呆れたネリネは一言いってやろうとそちらに近寄った。ところがその時、ステージから下りて来た銀色の風がすぐ脇をすり抜けた。異国の香りがふわりと鼻をかすめる。
「●□◎▽▲! アナタは、今夜のヒーローデス! お客サン救ってくれて、アリガトネ!」
それはキラキラと輝く銀髪をひるがえす、旅の一座の踊り子だった。駆け寄った彼女はそのままの勢いでクラウスに飛びつき、頬にキスをする。
「なっ……!」
怒りよりも先に驚きで声が出たが、周囲はだいぶ酔っぱらっているのか、踊り子の祝福に再び歓声が沸き起こる。
「死人出たら、ものごっつ、盛り下がるとこデシタ。助かりマース」
キラキラと輝く笑顔を振りまく踊り子は、ネリネよりも1つ、2つほど年下のようだった。なめらかな褐色肌に後ろの高い位置でひとくくりにした銀色の髪がよく映え、見事なプロポーションを最低限の薄く柔らかい布で覆っている。スラリと長い手足は女の自分からしても見惚れてしまいそうなほど美しいものだった。
シャラシャラと手や足に着けた装飾具を鳴らしながらクラウスの隣に陣取った踊り子は、どこか熱を含んだ視線で彼を見上げる。
「アナタは、お医者サマ? 違うノ? 神父サマ。ヘェ!」
胸の中にモヤとした感覚が広がる。あまり感じた事のない不快さに戸惑っていると、近くに居た同年代の女性がジョッキを片手に肩を組んで来た。
「あーっ、お疲れネリネリネリネしゃん。おつとめ、ごくろうさまでぇーす。ほら座って座ってぇ」
「ちょっ……」
酔っ払いに絡まれては始末に負えない。なかば強制的に席に座らされると、目の前にドンと酒を置かれた。
「にゃははは、今宵の功労者サマに、マスターからの奢りだってぇ、飲んで飲んで」
「ほどほどにしないとあなたも倒れますよ。分かっ……分かったから、飲みますから!」
辟易しながら少しだけ口をつける。ちびちびと飲みながらも、視線は斜め先の卓に座るクラウスの背中に釘付けだった。ざわめく喧騒の中で耳を澄ますと、二人の会話が聞こえてくる。
「クラウス、とてもカッコいいデス。ワタシたちと共ニ、来ませんカ?」
「ハハ、私はここの神父だから難しいかな。気持ちだけ受け取っておくよ」
それを聞いたネリネは、抱えたジョッキの中で口を尖らせる。自分とクラウスが恋仲というのは公にしていないこともあり、ベタベタと彼の腕に触れる踊り子との間に割り行っていく大義名分が思いつかない。せめてこちらに気づけと穴が開く勢いで背中を睨みつけるのだが、朗らかに笑う彼は知らない言語で彼女と盛り上がっているようだった。
「えぇと、その言語は確か西の――×△●×□■?」
「◎▲▲▽×! □◎!」
手をパチンと合わせた踊り子が、嬉しそうに喋り出す。そのいい雰囲気にますますむくれたネリネは、モヤモヤした気持ちごと呑み込むように残りの酒を一度にグイと呷った。口元を拭うと立ち上がる。
「ごちそうさまでした。お先に失礼します」
「あれ? 帰っちゃうの? シスタぁ~」
辺りはデロデロに酔っぱらいばかりだ。特に引きとめられる事もなくネリネは店を後にした。慣れない酒を口にしたこともあり、フワフワとおぼつかない足取りで家路をたどる。
(いくらあんな美人だからってあんなにデレデレしなくても良いのに。鼻の下伸ばしちゃって。ばか、クラウスのばか!)
実際にはそんな表情はしていなかったのだが、酒で鈍った思考は記憶を見事に改ざんしていた。ぷんすかと怒りながら教会に戻ってきたネリネは、食堂に入ると水差しからコップに水を注ぎ、こぼれる勢いで勢いよく飲み干した。ぷは、と息をつくとそのまま椅子に腰かけ、テーブルに突っ伏してポツリと呟く。
「感じわるい……わたし」
どうやら自分は、酒でずいぶんと気持ちの浮き沈みが激しくなるタイプのようだった。ぐす……と鼻を鳴らしたネリネはどんどんネガティブな思考に引き込まれていく。
(そうよね、普段はふにゃふにゃした雰囲気でごまかしてるけど、クラウスはよく見ればとても整った顔立ちをしているもの。優しいし博識だし背も高いし、本当は誰よりも強くて、でもそれをひけらかさないし……)
普段なら照れくさくて意識しないようにしている好きなところが、軽い酩酊のせいかこの時ばかりはポンポンと素直に浮かぶ。
(暖かみのある目が好き。深みのある声が好き。頭を撫でてくれる大きな手が好き。あんなに素敵な男性だもの、好意を持つなという方が難しい話だわ。彼女たちの一座についていく……事はさすがに無いだろうけど、でもそれならせめて一晩とか、そういう流れになってたら)
唐突に浮かんだ考えに思わず立ち上がる。嫌な想像が胸の辺りをキュっと締め付けた。
「クラウス……」
不安になり名前を呼んだその時、部屋の中に赤い塵灰がわずかに舞った。驚いて目を見開いた次の瞬間、何もない空間が蜃気楼のように歪み、その中からいつものように悪魔が降臨する。
「やれやれ、やっと撒けた」
「あ……」
どこか疲れた様子の彼は、部屋の隅にあるソファまで行くとドサリと腰を下ろす。
何も言えずに立ち尽くすこちらに気づいたのか、いつものように柔らかく微笑んで手招きをされる。おずおずと近寄ると簡単に抱え上げられ膝の上に乗せられてしまった。
「きゃっ」
「先に帰るなんて、危ないじゃないか」
まぁ、呼べばいつでも駆けつけるけど、と続けられるが、先ほどの楽しそうな様子を思い出してふいっと顔を逸らす。
「どうした?」
「お邪魔しては悪いかと思いまして……」
「うん?」
何のことだか分かっていなそうな声に苛立ちが募り、黙り込む。
ところがそこから急かすでも問いただすでも無く、悪魔はただ大人しくネリネの次の言葉を待っていた。やましさなど欠片も無さそうな様子になんだか拍子抜けしてしまう。伸ばされた指先がネリネの髪を一房絡めとった。
「何をそんなに不安そうな顔をしているんだ?」
「……」
穏やかな声が間近で響き、ネリネは理由も説明せず一人でむくれている自分が子どものように感じられて急に恥ずかしくなった。
(いつもそうだ、この人はいつだってこちらの気持ちが形にできるまできちんと待ってくれる)
感情を表に出すことが苦手な自分が、どれだけそれに助けられた事だろう。落ち着いて自分の気持ちと向き合う。肩の力を抜いて息を吐くと、かすかに残っていた怒りさえも空気中に溶けていくような気がした。
「……わたし、あの踊り子の方に嫉妬したんです。あなたがやけに興味を持っているように見えたから」
その時の光景を思い出すと、再び自分の中で渦巻く感情がドロドロとして汚い物のように感じられ、ネリネはじわりと目の端に涙を滲ませた。
「嫉妬って、あまりいい感情ではないですね……。これではあなたが綺麗と言ってくれた魂も濁ってしまいそうです……」
その神妙な顔つきをしばし見つめていたクラウスは急にプハッと吹き出した。笑いながら引き寄せられ、ネリネは頬を染める。
「そんな嫉妬なら何も問題はないさ、私を誰にも渡したくないと思ってくれたんだろう? 愛情表現だと感じるよ」
背中に回された腕でギュッと抱きしめられ心の底からそうで仕方ないと言った声で囁かれる。
「可愛い」
「っ、」
何も言わずに体を預けると、安心させるように頭に手を添えクラウスは言う。
「心配しなくても何もなかったよ。話していたのはあの踊り子の色が気になっただけさ」
「色?」
「あぁ、君とよく似た髪の色だったから」
え? と、その言葉に思わず自分の髪を触る。ネリネの髪はパッとしない灰色で、彼女のようなつややかな銀髪とは似ても似つかない。そう正直に伝えると、クラウスは軽く笑ってこちらの髪を梳いた。
「明暗の差だよ。彼女は肌の色が褐色だから髪色が明るく見えたんだ、ネリネは地が白いからあの子より髪が暗く見えるんだね」
「そう、ですか? なるほど……」
思いもしなかった答えに感心していると、頭に添えられた手を引き寄せられ、優しく唇を重ねられた。ふわふわとする中で目を開けると、ニィと笑った悪魔は梳いた髪の毛にも口づけを落とす。
「まぁ、私はどんな髪より君の色がこの世で一番美しいと思うけど」
またそういう恥ずかしいことを、と熱くなる頬を感じながらわずかに俯く。
「理由も聞かずに怒ってごめんなさい」
「だからそれはいいって。でも、素直に謝れていい子だ」
子どもを甘やかすように撫でられて、まだ軽く酒が残っているせいもありとろんとしてくる。気持ちよさそうに目を細めるネリネを見ていたクラウスは、こう続けた。
「話を戻そうか。何でもあの踊り子の髪は父親譲りらしくて、その父親は北の大陸出身だと言っていたな。もしかしたら君のルーツはそこにあるのかもしれない」
「わたしの……そこまで調べて……くれたんですね」
ふぁ、とあくびをかみ殺しながら答える。その時ふと、不思議な光景がまぶたの裏に浮かんだ。まだ物心つくかつかないかぐらいの頃に、自分と同じ髪色をした母親を見上げている風景が見えて、ぼんやりとその隣に、やはり同じような髪色をした誰かがいるような記憶だ。
「興味があるなら、行ってみるかい?」
その申し出に頷けば、きっとどこへでも連れて行ってくれるのだろう。けれどもネリネはゆるりと頭を振ってこう答えた。
「いつか、気がむいたらにします」
「……そうか」
「今はまだ、この生活を大切にしたい……から」
おだやかな時間が流れて行く。頭を引き寄せられたネリネは目を閉じた。
「心配しなくても、私が愛しいと思うのは君だけだよ」
夢とうつつの境に揺られ、それでもその誓いを噛みしめる。うとうととしながらふにゃりと笑ったネリネは、添えられた手にそっと自分を重ねた。
「嬉しい……です」
いつか自分の出自を探しに行く事もあるのだろうか、そんなことを考えながら、ネリネは暖かい胸に頭を預けゆっくりと意識を手放した。
おわり
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