成りすましの代償③
「さてと、それじゃあ私は、そろそろ荷物をまとめてくるから一度失礼するわね」
どっこらしょと立ち上がった老婦人は杖を突きながら宿屋に帰っていく。その後ろ姿を見送りながら、二人はコソコソと話し合った。
「どうするんです? このまま打ち明けずに別れるつもりですか?」
「う……私も迷っているんだって」
眉間に皺を寄せた神父はひどく悩んでいる様子で腕組みをする。ふぅっと息をついたネリネは片付けを開始しながらそっと助言を投げかけた。
「一晩悩みましたけど、わたしはやっぱり打ち明けるべきだと思います。あれだけ良い方なんですから、きっと真実を話してもきちんと受け入れてくれると思いますよ」
「え、良い人? あれが?」
反射的にパチリと目を開いたクラウスは、こちらを見つめ意外そうな顔をする。面食らったネリネは手を止めて、違うんですか? と、首を傾げた。
「……んん??」
言った当人も困惑しているようで、(自分は何を言っているんだ?)とでも言いたげに首を傾ける。微妙な空気を含んだ風だけが、昼下がりの庭を駆け抜けていった。
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夕刻、南東方面に向かう乗り合い馬車がホーセン村に到着した。トランクを幌付きの荷台に運び入れたクラウスが、停車場のベンチでネリネと待っていたエルマに声をかけた。
「積み込んだよ母さん、御者の方にもよろしく言っておいたから」
「ありがとぉねぇ」
ゆっくりと立ち上がるのを介助したネリネは、別れの前に一冊の本を取り出した。
「これ、わたしが書いた薬草の本なんです。良かったら旅の間の暇つぶしにでも読んで下さい」
「あら、ありがとう。役に立ちそうだわぁ」
笑顔で受け取ったエルマは、最後に息子に向き直る。
「クラウス、元気でやるんだよぉ。だぁいじょうぶ、記憶がなくたって、母さんはいつだってお前の味方だからね」
夕暮れ時の空の下、どこか切なそうな顔をしていたクラウスは膝をつき、小さな老婆の体を優しく抱きしめた。
「……。……。母さん、今は難しいけど、いつかきっと聞いて貰いたい話がある」
「うん?」
「だから、どうかそれまで元気で」
ネリネは、悪魔に家族など在ってないような物だと以前クラウスがこぼしていた事を思い出す。けれども、彼自身はずっと温かな繋がりを求めていたのではないだろうか。目の前の光景を見つめていると、そんな事を考えてしまう。
「はいはい。言いたくなるまで、母さんはいつまでも待ってるからねぇ」
柔らかく抱き返したエルマは、茶色の髪をポンポンと撫でて優しくそう返した。
「そろそろ出発するぞ、乗ってくれバアさん」
御者に声を掛けられ、抱擁を解いたエルマが荷台に向かう。静かに見守っていたネリネも何となく切なくなり、きゅうと締め付けられる胸を押さえた。
ところが、最後にあぁと振り向いた彼女は、おっとりとした口調のままでとんでもない事を言ってのけた。
「そうそう、最後に言っておこうかねぇ。『本物のクラウス』は嘘をつくときに首の後ろを触るクセがあったんだよ」
「……。……は?」
ピシリと固まるクラウスをよそに、荷台によじ登ったエルマはやけに楽しそうにこちらに手を振った。
「成りすますなら、そこも気を付けなさいねぇ。それじゃあ」
ヒヒィンと馬が鳴き、ゆっくりと動き出した馬車が沈む太陽を目指して遠ざかっていく。
「どういうことだ……」
呆然と呟くクラウスの元へ行き、ネリネは一枚の紙を差し出した。
「あの、先ほどエルマさんからこれを預かったんです。自分が去ったら二人で見て欲しいと」
ぎこちない動きで受け取ったクラウスは、折りたたまれたそれを広げる。横から覗き込むと乱雑な字でシンプルに二行だけ書かれていた。
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わざわざ来てやったんだ、路銀として拝借するよ
返して欲しかったら、取りにおいで
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どういう事かと怪訝な顔をするネリネとは違い、ハッとした様子のクラウスは尻ポケットを押さえる。急に俯いてワナワナと震えだしたかと思うと、周囲に赤い塵灰が舞い上がり始めた。
「財布が無い……」
「ちょっ……クラウス! 抑えて、抑えて下さい!!」
誰かに見られたらどうするつもりかと飛びつくと、悪魔の兆候は収まった。行き場を無くした怒りを爆発させるように、彼は去って行く馬車めがけて叫んだ。
「息子が詐欺師なら、あいつも悪人じゃないか!!」
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「まったく、悪魔を騙そうだなんていい度胸をしている。ここが魔界なら細切れにして地獄の業火に放り込んでいるところだ」
数日後、食堂で新聞を広げるクラウスは不機嫌そうに鼻を一つ鳴らした。お茶を淹れていたネリネは苦笑しながら目に角を立てる悪魔をなだめる。
「まぁまぁ、こちらも騙そうとしたし両成敗ということで収めましょう」
クラウスが読んでいる新聞、それは地方から取り寄せた5年ほど前の物だった。その片隅に載っている記事によると、エルマ・ハートは寸借詐欺やスリなどを繰り返して捕まり、つい最近まで服役していたらしい。
「どうりで、やや薄汚れた魂だったわけだ」
「今は足を洗って真面目に生活してるみたいですけど、スリの技術は健在みたいですね……」
クラウスの財布を盗られはしたが、それは彼女なりのからかいのような物だったのかもしれない。その証拠に、渡されたメモの裏側には彼女が現在住まう住所が小さく書かれていた。いつでも会いに来いということなのだろう。
「もしかしたらエルマさんは、最初から全部分かっていたのかもしれませんね。母は強い。自分で産んだ息子ぐらい見分けられるって言いたかったのかも」
摘みたてのミントをたっぷり入れたガラスのティーポットを揺すりながら、ネリネは続ける。
「それでも忠告してくれたってことは、あなたが息子さんの姿を取る事を許してくれたって事じゃないですか?」
「フン……」
素直ではない声を漏らすクラウスだったが、その口元はわずかに弧を描いていた。新聞を投げ出すと頭の後ろで腕を組み、のけ反るように椅子に身体を預けた。
「あの財布はお気に入りなんだ。お望み通りいずれこちらから会いにいってやるさ。あの女が完璧な善人じゃないと分かって気が楽になった。もう良心なんて咎めないぞ、ハハハ」
悪い顔で笑うクラウスを見て、やはりエルマはあえて『自分も完璧な善人ではない』と明かしてくれたのではないかとネリネは苦笑する。
(だって本当なら言う必要なんて無かったもの。話をする内に、彼が悪い奴ではないと判断して貰えたのかしら)
だったら良いなと思う。と、ここで笑うのをやめたクラウスは急に真剣な顔をした。何かを思い出そうとするように少し遠い目をすると、胸に手を当てぽつりとつぶやく。
「……そういえば、行き倒れていた『クラウス』が最期に握りしめていたのはあの母親の写真だったな。その時は気にも留めなかったが、今思い出した」
そう呟く悪魔はやっぱり変わったと思う。にっこりと笑ったネリネは今回の顛末をこう締めくくる。
「たまには『お母さん』に会いに行ってあげて下さいね、クラウスさん」
しばらくこちらを見上げていた悪魔だったが、テーブルの隅に置かれたピクルスの瓶を見てフッと笑った。
「ああ、そうだな。それもいつか伝えなければ」
悪魔と老婆が軽口を叩き合いながら交流を深めるのは、もう少し先の話だ。
「ところで、本物のクラウスさんが結婚詐欺師だったのなら、今後被害者女性がここに押しかけてくる可能性が?」
「あ……」




