悪魔的褒め方
「うぅ……もう勘弁して下さい……」
力なく落ちていく頭部がテーブルに当たりゴンッと音を立てる。矢継ぎ早に質問責めをしていたジルは明るく笑い、続けざまにとんでもないことを聞いてくる。
「と、言いますか同じ屋根の下で暮らしているわけですし、もう行くところまで行ってたり?」
「ジル!」
耐えかねてクワッと顔を上げる。すると彼女はますます破顔してお腹を抱えた。
「あははっ、冗談ですわ。ネリネがそういう色仕掛けに頼るような子じゃないのは知っていますもの」
「……」
散々からかわれてむくれたネリネはそっぽを向く。そういう問題以前に、彼はヒトではないのだ。さすがにそこまでは打ち明けられず口をつぐんだが。
「でも、好きなんでしょう?」
意図したわけではないだろうが、ジルの単純な問いかけがストンと心に落ちる。……わかっている、認めたくはないが、この感情はまぎれもなく恋心というものなのだろう。
複雑な表情を取るネリネは、それでも言い訳めいた言葉を口にした。
「確かに好意は持っています。けど、向こうがわたしの事をどう思ってるか分からないですし……それに」
「それに?」
ここで一呼吸置いたシスターは、ためらいがちにこう続けた。
「……気持ちの押し付けは相手にも迷惑なのでは……わたしに女性的な魅力があるとは思えないですし」
思った以上に奥手だった親友にジルは笑うのをやめる。
控えめでもの静か、自分よりも相手の事を思いやれる優しさを持ったネリネは女の自分から見ても十分に魅力的だ。確かに派手さは無いかもしれない。だが、目鼻立ちは充分に整っているし、伏し目がちの長いまつげと憂いを帯びた横顔にハッとさせられる男性は多いはずだ。肉感的というよりは妖精めいた美しさを持つ女性なのである。
素直に甘えられないであろう不器用さもひっくるめて、短くはない期間同棲している神父がその魅力に気づいていないはずがない。そう判断したジルは思いっきり背中を押してやることにした。
「甘い甘いあまーいっ、そんなんじゃあっという間に他の女に取られちゃいますわよ!」
「ひぇ」
手を突いてバンッと乗り出してきたジルにネリネはのけぞる。その眼前に指を突き付けたキューピッドは息巻いて問いかけた。
「ねぇっ、風のウワサに聞いたのですが薬草の研究をしているらしいですわね!?」
「え、えぇ、まぁ、一応……」
いきなり何の話だと怯える子羊に対し、瞳を輝かせたジルは拳を握りしめ言った。
「だったら惚れ薬とか作れませんの!?」
「……」
和やかだったはずのお茶会に沈黙が降りる。しばらくしてため息をついたネリネは諭すように彼女を押し戻した。
「ジル、おとぎ話じゃないんですから現実には惚れ薬なんて……」
「なんでもいいのよ! 吊り橋効果って知ってる? 要はドキドキさせて勘違いさせちゃえばいいの、動悸を早める薬を飲ませなさい!」
「えっ」
できる、できるが。
(いやいやいや!)
倫理観がハッと我に返らせる。だが疼きだした好奇心は勝手に脳内で仮想調合を始めてしまう。健康に害のないレベルで、胃に優しく、無味無臭にするには――
***
「……できちゃった」
後日、台所に立つネリネの手にはうっかり調合してしまった惚れ薬が握られていた。迷いのある手つきで机にコトと置き、いつものように調合ノートに効能を記入する。だが『意中の者に飲ませると催淫効果あり』と書いたところで罪悪感がこみ上げ頭を抱える。
「こんな薬で人の気持ちを操作しようなど、なんとおこがましい……おぉ、神よ!」
思わず指を組み祈りを捧げるが、作ってしまった事実は消えずにそこにある。緩慢な動きで顔を上げた薬師はその小瓶をボーっと見つめた。
(いや、そもそもアレは人じゃないから……効くの?)
冷静になって考えてみれば、ヒト用に作った惚れ薬が悪魔に効くとは思えなかった。そうだ、魔界ではもっと強い毒性の酒などを摂取していたようだし、こんな薬が効くわけがない。
そう結論を出したネリネは、完成したばかりの薬をお蔵入りすることにした。レシピと共に鍵つきのキャビネットにしまったところで背後からカタと音がする。
「ネリネ、ちょっといいかい――」
ガッ!と、光の速さで鍵を締める。逸る鼓動を抑えながら振り返ると、大き目の封筒を手に持ったクラウスが目を見開いていた。彼は二度ほどまばたきをすると怪訝そうに尋ねてくる。
「ど、どうしたんだ。何か」
「何でもありません」
「いや、だって」
「ありません、ないです、何も」
不自然な倒置法で圧をかける。空気を読んでくれたのか、神父は首をひねりながらも本来の用件に移ってくれた。
「えぇと……それじゃあ。本部に提出する書類を知らないか? そろそろ締め切りだから」
「あ、それでしたら」
ネリネはこっそりと後ろ手でキャビネットがしっかり閉まっているか確認する。その場から離れて食堂へ移動し、机の端にまとめておいた書類を手に取った。追ってきたクラウスに渡すと真面目な声で報告する。
「わかる内容でしたので埋めておきました。確認とサインだけお願いします」
「あぁ、やってくれたのか。ありがとう」
「いえ、薬品の在庫管理はわたしの仕事ですか――」
ら。と続けようとしたところで頭に手を乗せられる。へにゃりと笑ったクラウスは花でも飛ばしそうな雰囲気でこちらの頭を撫でていた。大きな手が動くのを感じながらネリネは声を漏らす。
「……神父」
「ん?」
「成人している女性にこの扱いはいかがなものかと」
その顔には羞恥よりも困惑した色がありありと浮き出ていた。好意を持っている男性に触れられて嬉しくないわけではない……が、この撫で方はどう考えても子供に対するそれだ。村の子供たちを同じように撫でているのを見たことがある。
「あれ? ニンゲンは褒める時に頭を撫でると聞いたんだけど」
「小さな子供限定です。いつまで撫でているんですか、ちょっと」
「おかしいなー」
説明してもクラウスは大真面目な顔でネリネの頭をなで続けていた。恥ずかしいがよじって逃げるのも少しだけ惜しい気が――ではなく逃げるタイミングを失ってしまう。
「う、うぅ」
意識すると、だんだん恥ずかしさの方が勝ってきた。少し撫で方が変わり、慈しむように何度も何度も梳いては往復する指先が、髪を通してやわい刺激を肌に伝えてくる。時折、耳をかすめる指にぴくっと反応してしまう。
ふと視線を上げると、クラウスはいつもの穏やかな笑みでこちらを見下ろしていた。目があった彼はおかしな事を尋ねてくる。
「なら教えてくれないか、ニンゲンは親愛の情を示す時、どういうことをするのかな?」
言葉の意味を考えてたネリネは一拍置いてボッと顔を赤くする。不明瞭なつぶやきをしながら視線を宙に泳がせた。
「あの……、それは……その」
どうしよう、この悪魔は真面目に言っているのだろうか? 昼下がりの陽光が床に落ちているのを必死に見つめる。髪の一房をするりと梳いた彼が、こちらの頬に手を当て少し屈んでくる気配を感じる。
「あぁ、親愛のキスというのを聞いたことがある。どこにすればいい?」
今度こそ心臓が爆発したかと思った。ガチガチに緊張したネリネは正面を見上げた。至近距離にある瞳は本来の赤色に戻っていた。美しい煉獄の炎から目がそらせなくなる。どくん、どくんと、耳鳴りがすさまじい。気づけばカラカラに乾いた口で消え入るような声を出していた。
「い、一般的には、頬とか、」
「とか?」
「…………くち、とか」




