ブーケトスから始まる話
後日談になります。書きながら更新しているので不定期になるかもしれませんが、またお付き合い頂ければ幸いです。
心まで凍り付いてしまいそうな寒さのホーセン村にも、少し遅めの春がやってきた。
花は今が世とばかりに咲き誇り、甘酸っぱい香りを振りまいては人々を楽しませる。
そんな花たちが咲き乱れる教会で、ある晴れた日曜の午後、一組のカップルが永遠の愛を誓い合い夫婦となった。
鐘塔に吊り下げられた鐘の音が村中に鳴り響き、たくさんの人々に祝福されながら二人が本堂から出てくる。
純白のドレスに身を包んだ新婦は輝くような笑顔でブーケを投げた。薄水色の空に美しい軌道を描いたそれは、次の花嫁となるべく待ち構えていた乙女たちの列――ではなく、本堂の扉を閉めようとしていたネリネの手の中にスポッと落ちてきた。
「わっ」
突然降ってきた花束にシスターは驚いて振り返る。同じように驚いた顔の花嫁と目があったが、ニコッと微笑んだ彼女は軽く手を振ってパートナーと共に歩き出してしまった。代わりに駆け寄ってきた乙女たちがネリネを取り囲む。
「わぁ、いいなぁいいなぁ、シスターおめでとう」
「ずるーい、あたしが狙ってたのよぉ~!」
「……あの……よかったらお譲りしましょうか?」
困惑した様子のシスターは控え目に申し出るが、一瞬ぽかんとした乙女たちは弾けるように笑い出した。
「やだもう、そういう事じゃないってば」
「ネリちゃんって天然?」
クスクスと笑われてネリネはますます困惑する。その時、パン屋のおかみがトレーを抱えて割り込んできた。
「あらぁ、アンタが取ったの。いいじゃない、次はネリネが花嫁になる番ね」
祝いの席で振る舞うキッシュを配りながら彼女は笑う。面白そうな話題につられたのか、他の世話焼きの女たちも集まってきて、やいのやいのとネリネを囃し立てた。
「そうねぇ、シスターもちょうどいい頃だし考えてみてもいいんじゃない? 結婚」
「えっ」
王子に婚約破棄されて以降、考えてもみなかった話に目が点になる。言われてみればネリネも十九歳、普通の女性ならそろそろ結婚して家庭に入ってもおかしくない年頃だ。
「そうそう、あんたに似合いそうな好青年が隣町に居るらしいよぉ。ちょっと話つけて引っ張ってきてあげようか?」
だが、あまりにも性急な話の展開に思考が停止する。きっと彼女たちは気を使ってくれているのだろう。不運な目にあったネリネに新しい幸せをと。
(わたしが、花嫁?)
いまいち実感が湧かず、ぼんやりと視線を上げる。何となく見つめた先に黒い服がひるがえる。新婚の二人と和やかに話している茶髪の男性が目に入った途端、ネリネは頬がカァッと熱くなるのを感じた。
「あのっ、すみません! キャンドルの後始末を見てきますのでっ」
この話題から逃げるように、ネリネはブーケを抱えたまま本堂に逃げ込んで行く。耳まで赤く染まったその後ろ姿に「ウブでかわいい」だとか「あたしらがしっかりいい相手みつけてあげようね!」などと女たちを一致団結させてしまったとは露も知らぬのであった。
***
「へぇー、そんなことがありましたの」
カチャと、紅茶を出してくれたジルは興味深そうに覗き込んでくる。お茶会に呼ばれたネリネはその時のことを思い出しながら憤慨した。
「まったく困ります、わたしは神に仕える身であるというのに」
「んー、ですがうちの教会、別に結婚を禁止されてるとかじゃありませんからねぇ」
自分の分とポットを持ってきたジルは向かいに腰掛ける。カップを上品に傾けながら彼女はこう続けた。
「ネリネが気に入ったのならそれもアリではなくて? 恋愛って勢いも大切よ?」
「あなたまでそんな」
「ハニー! クッキーが焼けたよ!」
唐突に扉をバーンと開けて一人の男性が突入してくる。ビクッとしたネリネには構わず、彼は踊るように回転しながら皿をテーブルに置いた。ガタイのいい体、ツンツンの髪にバンダナを巻いた彼に向かって、ジルは輝くような笑顔を浮かべた。
「ありがとダーリン! 愛してる!」
「またゴシップ記事の記者が来たから追い払っとくぜ! あ、ネリネちゃん、ゆっくりしてってね」
太陽のような笑顔に圧倒され、ネリネは言葉を失う。それを気にした様子もなく、嵐のように彼は去っていく。
スマートな貴族とは程遠い彼こそが、ジルの『運命の人』だった。彼女が再会した頃に聞かせてくれた身の上話を思い出す。
王子からの扱いに耐えかね、思いつめたジルがついに身投げをしたあの日、落下した彼女はどこかの屋根に引っ掛かりバウンドして死ぬことができなかった。
それでも足の骨を折り、路上で呻いているところを助けてくれたのが偶然通りかかった隣町のダーリンだったという。このまま川にでも投げ込んでくれと頼んだのだが、何の非も無いジルが命を絶つのはおかしいと彼は言い切った。そしてほぼ強制的にこの家へと連行されたらしい。
彼は繰り返しジルに生きてほしいと説得した。生きていてもいいのかと迷ったジルは、生家であるミュラー家に連絡を取ることにした。
遺書と塔の上の靴だけ残して消えた娘が生きていたと知り、彼女の家族は泣いて喜んだそうだ。そこで初めて、娘が王子からどんな扱いをされていたかを聞かされ、ミュラー家は口裏を合わせジルを守ることにした。こちらは気にしなくていい、このまま死んだことにして姿をくらませと言ってくれたのだ。
残してきたもう一人の聖女候補、コルネリアの事は気になったものの、傷ついたジルには心と体を癒す時間が必要だった。
「それにしても、あの新聞記事を読んだ時は本当に驚いたわ」
そんなある日、彼女はコルネリアが聖女候補を降りたとの発表を新聞で読んだ。おまけに自分の生まれ変わりと名乗る女が聖女として台頭するという。
わけの分からなくなったジルはコルネリアに手紙を書き――そこから先はネリネもよく知っている話だ。
全て終わった後も影響は長引いた。手ひどく扱われた記憶が夜中にフラッシュバックし、食事が喉を通らない日もあった。だがダーリンの優しさに触れ、彼女は少しずつ笑顔を取り戻していった。
「本当ぉぉに優しいのよ~、初日に『俺も男だから怖いだろう』って、ベッドを譲って自分は物置部屋で寝てくれたの。しかもわたくしに外からかんぬきをかけさせて! 誠実! ほんと好きっ、大好きー!」
「あはは……」
のろけっぱなしのジルだったが、ネリネはそれを聞くのが嫌いではなかった。骨と皮だけだった一時期に比べ、今の彼女はだいぶふくよかになった。幸せである何よりの証拠だろう。そんな彼女は、恋人が焼いてくれたクッキーをパクパクと頬張りながら話のバトンを投げてきた。
「ところでネリネは誰かいい人いないんですの? お見合いには乗り気じゃないみたいですけど……あ、すでに意中の男性が居るとか?」
ドキッとしたネリネは紅茶を取り落としそうになった。それには気づかず、幸せ絶頂モードのジルはうっとりとした顔で饒舌に語る。
「恋っていいですわ~、あのクソ王子の嫁候補だったわたくし達だからこそ、真実の愛が身に染みるというか。あ、あの神父さんとかどうなんです?」
ますますドキッ、というかギクッとしてネリネは硬直する。赤くなり始めた親友を見たジルはニヤけ顔を隠そうともしなかった。
「いいじゃないいいじゃない、ちょっと年上だけど包容力って言うんですの? 一見目立たないけどよく見ると整った顔立ちしてたわねぇ~、誠実そうですし」
傍から見た自分はそんなにも分かりやすいのだろうか。初恋すらしたことのないネリネは、果たしてこの気持ちが恋という物なのかさえ測りかねているというのに。
「どういうところに惹かれたんですの? そういえば向こうから追放先の引き受けに名乗り出てくれたんでしたっけ? なれそめは!?」




