これからも期待していますよ
なんとかすり寄ろとしてくる卿にため息をつく。顔を上げたネリネは苛立つ気持ちをすべて笑顔に変えることにした。これまでの仕打ちを思い出しながらにっこり笑って言い放つ。
「なるほど、つまりわたしはその『守るべき家族』の中には含まれていなかったと。そういうわけですね?」
「あ、いや、そういう意味では、だな。……おいっ、話を合わせろ、育ててやった恩を忘れたかっ」
後半を小声で怒鳴りつけてきた事により完全にキレた。何が育ててやっただ、愛想が悪いと散々叩いて食事抜きにした癖に。息を吸い込んで最高の笑顔を浮かべる。その場に居る全員に聞こえるよう、復讐を大声でぶちまけてやった。
「今までお世話になりましたエーベルヴァインさん! あなたがわたしを母から人さらい! 同然に! 買った事とか! 絶対誰にも言いませんから!!」
「あわっ、うわぁぁ!?」
残っていた記者たちが目を光らせてこちらに突進してくる。もう彼らに用はない。青ざめる卿の脇をすり抜けて駆け出したネリネは奥の扉に逃げ込んだ。大騒ぎになる外の様子を伺って、どうやらこちらまでは追って来ないと胸をなでおろす。
彼らがここまで追ってこないのは当然とも言えた。なぜならここは教会本部の中でも一番の聖域。これより先に踏み入るのを許されているのはごく一部の者しかいない。例えばそう、聖女候補であったり。
一時期はよく通った道だった。落ち着いてから振り返ると、外の喧噪が嘘のように静まり返っている。薄暗い回廊の正面に大きな天窓があり、宙にキラキラとホコリが舞っている。
そして、こちらに背を向けゆっくりと歩いていく影があった。ネリネは駆け出しながら声をかける。
「教皇様」
天窓の光が射す手前で足を止めた彼は振り返る。ようやく追いついたところで軽く頭を下げた。
「改めてお久しぶりでございます。わたしの証言を信じて下さってありがとうございます」
「事前に受け取った手紙の通りでしたね」
裁判の時とは違う、少しだけ暖かみのある声で返される。
そう、ネリネはこの裁判が始まる前、二人の人物に向けて手紙を書いていた。一通目はもちろんジルに。そしてもう一通は――全ての真実を記して教皇に出したのだった。
「その……正直生きた心地がしませんでした。お返事が無かったので、てっきりこのまま握りつぶされてしまうのかと……」
「こちらとしても、ヒナコには手を焼き始めていましたのでね」
ふぅっと重たい溜息をついた教皇は、辺りに誰も居ないことを確認した後に口を開く。
「彼女はあの状態のジークを王としてまつり上げる気だったようです。自分が献身的に支えるからとは言っていましたが、実権を握りたいという気持ちが透けて見えました」
ここで口の端を少し吊り上げた教皇は、まるで説法をしている時のように穏やかに言い放った。
「まったく愚かな娘です、下手に野心を出さずにこちらの指示に従っていればこんな結末にはならなかったでしょうに」
その言葉にひそむ冷酷さに、ネリネは背筋が冷たくなった。自然と体が強ばる。
「……教皇様、一つだけ聞かせて下さい。ソフィアリリーの件は……教会側が王子たちに指示した物だったんですか?」
どうしても聞かずには居られなかった。この問いかけも『愚か』なのだろうか? だが、教皇は心外だとでも言わんばかりの表情で鼻を鳴らした。
「おもしろくない冗談ですね。あのバカ王子が単独でやったことです。どこからソフィアの日記を引っ張り出してきたのやら……」
その口ぶりから王子が大体何をやっているかは理解していたのだろう。そして、あえて見過ごしていたと。
こちらの不信感が伝わったのか、教皇は薄く微笑んで平然と返してきた。
「ソフィアやジークのやり方について、私は肯定も否定もしませんよ。人の欲望が引き起こした災厄も、それを治す救世主が現れるのも、全ては神のご意思。少し俗的な言い方をすれば『運命』というやつです」
「……」
「さて、これから王家はどうしましょうか、ジークくらいのバカ王子が傀儡としてはちょうどよかったのですが」
この人は……影の支配者だ。今回、ネリネの味方をしてくれたというわけではなく、たまたま利害が一致しただけ。裁判の攻勢によってはコルネリアに罪を着せ、ヒナコをそのまましばらくは『使い続ける』つもりだったのだろう。
ぞっとしながらも心を落ち着かせる。少なくとも今回は切り抜けた、利用されたくなければ賢く立ち回ればいい。
「あの、クラウス神父のことですが」
先手を打って話を切り出す。先の手紙にはクラウスが悪魔なことも正直に打ち明けてあった。下手にごまかしたところで『誰が王子たちをあんな状態にしたのか』の説明がつかないし、この教皇相手ではいずれ見抜かれてしまうのでは無いかとの恐れが拭えなかったからだ。それに……。
「今回の一番の功労者は彼だと知って欲しかったんです。確かにクラウスは種族的に言えば悪魔かもしれません。ですが教会に居ても神の天罰が下ることもなく、人々に正しい道を優しく説いています。それに、無実のわたしの為に尽力してくれて――」
「あぁ、よいのです。皆まで言わなくとも分かっていますよ」
話を遮る教皇に驚いて顔を上げると、彼は慈悲にあふれた微笑みを湛えていた。
「私もそこまで鬼ではありません。あなたも手紙で言っていたではないですか。正しい心を持っていれば悪魔も人もない、全ては神の前で平等であると。私も今回の事でそう考えを改めました」
「じゃあ……!」
「もちろん、全ての悪魔がそうとは言いません。ですが、クラウス神父は特例としましょう。しばらくは様子を見守ることにします」
ほっとして胸をなでおろす。よかった、少なくとも今回は見逃して貰えるらしい。そう感じたネリネは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
「正式な通達は後日、ホーセン村に届けますからね。帰ってくださって大丈夫ですよ」
「はい」
目の前に居た気配が踵を返して歩き出す気配を感じる。それでもネリネは深く頭を下げ続けていた。と、その時、ほとんど聞き取れないくらい小さな声が届く。
「それに、悪魔の一匹も飼いならせないようでは真の聖職者とは言えませんからねぇ」
えっ、と驚いて顔を上げると、肩越しに振り返った教皇は笑っていた。少しだけイタズラっぽいような、秘密を共有している仲間内のようなまなざしで言う。
「あなたは人と言う物を少し信じすぎている。傍に悪魔を置くぐらいでちょうどいいでしょう」
「え、あの……」
「これからも期待していますよ、コルネリア」
そして今度こそ行ってしまう。返事も出来ずに固まっていたネリネはふと視線を落とす。
ひだまりの中に進んだ教皇の影がおかしな具合に歪んでいた。まるで角が生え、大きな翼がその背から飛び出しているような――
しばらくネリネは動けなかった。ようやく我に返ったのは、陽も沈んだ後にランプを灯しに来た職員に声を掛けられてからだった。
***
聖女の座を下ろされたヒナコと、王室から存在を抹消されたジークの処遇が決まったのはそれからひと月も経たない内だった。
王子の近衛兵たちも含め、彼らには自分たちがしてきた罪をそっくりそのまま身に受ける罰を教会から下された。生かさず殺さず、人々の反面教師となる為に各地をめぐり苦痛に満ちた表情を見せる事。犯罪の抑止力としてこの上ない見せしめとなる。
順番は終わりから遡って、ソフィアリリーの毒花からに決まった。それに耐え抜けば次はカミル村の放火と背後からの切り捨て(これは四肢を炙る事と遺族からの鞭打ちに変更された)そして最後には首都に戻り、ジルに対して行った焼きごてを公衆の面前で行われる予定だ。その後は投獄され、みじめに奉仕刑を続けながら一生をかけて償い続けることになる。
「た、助けてぇ、コルネリアちゃん。死んじゃう、死にたくないよぉっ」
そして、ホーセン村から贖罪の旅は始まった。いつぞやとは逆の立場で見下ろすネリネは、哀れっぽく懇願するヒナコを見下ろしていた。やがて開いた口からは氷のような声が流れ出る。
「死にたくない、ですか。あなたたちのせいで死んでいった人たちも多分同じことを考えていたでしょうね。大丈夫、死なない分だけあなた達の方が軽い。ヒナコさん、償いましょう?」
「あなた本当の聖女なんでしょう!? きっと真の聖女はこういう場面で赦すわ! だから、ね!?」
なにが「だから」なのか分からない。彼女の手を取ったコルネリアはにっこりと微笑んだ。
「聖女? 今のわたしは何の権限もないただの修道女ですよ? だってあなたたちに追放されたんですもの」
絶望するヒナコの手の中に、紫の布で出来た巾着を押し込む。カチッと、中から硬質な二つの物同士がぶつかり合うような音が聞こえた。
「贖罪に向かうあなたにせめてもの手向けです。本当に耐えられなくなった時に開けてみて下さい。きっと救いになりますよ」
「な、なにこれ……」




