所有者の印
「ジル様……?」
「ジル様だ……」
そこに居たのは、ネリネと共に聖女候補生として競い合っていたジルだった。コルネリアよりも有望だとされていたにも関わらず、選抜の直前になって飛び降り自殺を謀った彼女がなぜここに? そんな疑問に答えるよう、ネリネは声を張り上げた。
「ご覧の通りジルは生きています! 奇跡的に一命を取り留め、世間から身を隠して今まで生きてきたのです。ジル、なぜ逃げ出したのか……そしてなぜ身を隠していたのか、その訳を説明して貰えますか?」
話のバトンを渡すと、微かに震えていたジルは壇上のヒナコを――いや、その後ろでぐんにゃりと力なく椅子に腰掛けているジーク王子へと視線を向けた。やがて覚悟を決めた様に表情を引き締めるとまっすぐに彼を指し示す。
「それは……全てあの男が、ジーク王子が原因、です!」
「アぅァー……」
不明瞭な声を漏らすジークをにらみ付けたまま、ジルは積年の恨みを吐露し始める。
「み、皆さんもご存知の通り、ジーク王子、は、表の顔とは裏腹に、影では傍若無人な振る舞いをするおと、男です。欲しい物は、どんな手段を使ってでも、必ず手に入れる。女性に関してもだらしなく、っ、その、逃げ出す直前までわたくしもずっと……乱暴されて、いてっ」
大勢の目の前でそんなことを白状するのは女性として耐えがたい苦痛に違いない。けれど、彼女はネリネを助ける為この証言台に立ってくれたのだ。その事に胸が熱くなり、ネリネは下の方で彼女の手をギュっと握る。話している内に怒りがふつふつと湧いてきたのか、ジルは次第にヒートアップしていった。
「いやしく、も、わたくしは聖女候補です。婚前交渉など考えられないと拒否、いたしました。ですが『いずれ婚約して妻となるのだから構わないだろう』と……無理やり……。それだけでは、飽きたらず、次第に王子は側近の近衛兵たちも交えて、面白半分に、わたくしを、は、辱め……」
ここで俯いたジルは、握りしめた拳をブルブルと震わせながら消え入るような声で言った。
「家畜以下の扱い、だったと思います……熱した焼きごてで所有者の印を押された事も……」
あまりにショッキングな告白にネリネも含めた全員が黙りこくる。そんな中、静かに手を上げたクラウスが痛ましそうな顔をしながら問いかけた。
「お気持ちお察し致します。ちなみにその印をこの場で見せることは……?」
「……」
黙りこくるジルはわずかに手を下腹部に添える。それだけで察したクラウスは穏やかに言った。
「なるほど、後ほど別室で女性職員に確認して貰った方が良さそうですね」
聴衆に察させるには効果的だが、少々乱暴なやり方にネリネは彼をにらみ付ける。だが効果は抜群で、王子と――そしてヒナコに向けられる嫌悪の目は確実に増していた。特に女性からの目は汚物でも見るような視線だ。それを確認したクラウスはネリネにだけ聞こえるようそっと耳打ちをする。
「祈りが届いたな、君の勇気が彼女を奮い立たせた。よく頑張った、ここまでやれば充分だ、後は私に任せてくれないか?」
驚いて見上げると、悪魔は穏やかに笑っていた。不思議と最初に教会で出会った時の事を思い出す。
「あとは彼女の手でも握ってやっているといい。いい子だな、君の為に全力を尽くせる真の友人だ」
最後にニコっと笑いかけたクラウスは、落ち着き払った深い声でそのジルに問いかけた。
「ジルさん、あなたの目から見たジーク王子とはどのような人物ですか?」
「下劣で、最低な男です!」
間髪入れず返ってきた力強い言葉が聖堂内に反響する。まるで踊るように手を上げながら一歩退いたクラウスは完全に場の主導権を握っていた。
「ありがとうございます。さてヒナコさん、あなた一体どなたの生まれ変わりだと仰っていましたっけ?」
見上げた先のヒナコは手すりを握りしめ蒼白な顔をしていた。もはやとても聖女とは呼べなさそうな悪鬼然とした表情の彼女は、とつぜん金切り声を上げこちらを指さした。
「悪魔! その男は悪魔なんです! そいつの言うことなんか信じないでッッ!!」
「おやおや、言うに事欠いて」
肩をすくめたクラウスは微かに笑いながら冷静に言い返す。
「人を陥れ、民の命を駒のように使い捨てておきながら……いったいどちらが悪魔なんでしょうね」
「なに言ってんのよ! 皆さん!! 実は王子と近衛兵たちを廃人にしたのも、その悪魔なんですっ、空を飛んで焼き殺したの!!」
「翼を持たないただの神父が空なんか飛べるはずないじゃないですか、私はこの大聖堂で教皇様から皆伝を受けたれっきとした聖職者ですよ? 話の整合性すら失ってきたようですね」
「悪魔! 悪魔ァーッッ」
会話の誘導により、もはやヒナコの発する言葉は全て苦し紛れの出まかせにしか聞こえなくなっていた。虚言まみれの彼女の言葉の中で唯一の真実が何とも嘘くさいとは……ネリネは何とも言えない気持ちで視線を泳がす。
人かぶりの悪魔は手を広げながら悠々と続けた。
「きっと王子とその取り巻きたちは神の裁きを受けたのではないでしょうか。そして――」
ここで一度切った彼は、チラッとヒナコに視線を送った。目を血走らせ、半狂乱で叫ぶ彼女はどこからどう見ても聖女からは程遠かった。
「教会の管轄である偽聖女に関しては、御身は裁く権利を我々に与えて下さったようだ。かような不届き者を短い期間とは言えのさばらせてしまった事、教会としてはきっちりけじめを付けるべきなのではないでしょうか。私とコルネリアはそう強く主張いたします」
流れるように言い切った彼は聴衆に向かって一礼する。凄まじいスキャンダルを掴んだ記者たちは、聖堂から転げる勢いで飛び出して行った。
それを見送った教皇は静かに目を閉じる。そして、開廷の時と同じく錫杖を勢いよく足元に打ち付けた。カーンという澄んだ音が裁判の閉廷を告げる。
「シスターコルネリアへの聞き取りは以上と致します。コルネリア、情報を精査し、あなたへの処遇は後日改めて通達いたします。遠いところをお疲れ様でした」
拘束するでもなく、事実上の無罪放免にネリネはパッと顔を上げる。
代わりに、立ち上がった教皇は傍らに控えていた職員二人に何かを耳打ちする。すると、職員はへなへなと座り込んだヒナコにピッタリと付いて両脇を持ち上げた。
「え……い、いや! ちょっと待って!! 違うのっ、本当にアイツは……っ、いやああああ!!」
ヒナコは絶叫したままズルズルと引きずられて行った。残された王子もしばらくして回収されていく。それらを見届けた教皇は彼らを追って奥へと消えていった。
「あっ……。クラウス、ここは任せていいですか?」
「え、ネリネ。わ、ちょっと、押さないで」
質問攻めにしようと傍聴者たちがこちらに押し寄せて来る。それらを何とか抑えていたクラウスをその場に残し、ネリネは教皇の元へ行こうとする。
ところが、数歩走り出したところで行く手を阻まれる。おどおどと小さくなっていたのは元養父のエーベルヴァイン卿だった。先ほどとは打って変わって空々しい笑みを浮かべている。
「こ、コルネリア」
「……」
キッとにらみ付けて牽制する。彼の背後には妻や子供たちも控えていた。形式上はコルネリアの家族だった人たちだ。一番小さな末っ子からも部外者として冷たく扱われた記憶しか無いが。
「今まで疑ったりしてすまなかった。本当は前の裁判の時も信じていたんだが、あの時は家族を守るため仕方なく……な?」
揉み手をしながらよってきた卿に、自分の眉間のシワが深く刻まれるのを自覚する。
「お前も人の子なら分かるだろう? ん?」




