茶番ヒナコ劇場
くすんくすんと泣きながら止まらない涙を拭う。可憐な美少女の涙に、再び疑惑の目がネリネとクラウスへ向けられ始めた。
「そんなに責め立てなくたって……ちょっと間違えただけなのに……ヒナ、お酒に弱いんだもん……コルネリアさんは居たんです、村の人にも聞いてみて下さい、絶対いたはずです」
どうせその村人も買収済みなのだろう。ここまで来ても嘘の演技で切り抜けようとするヒナコにネリネは苛立ちを募らせた。泣き落としは自分が絶対にとれない手法だと分かっていたから余計に。
だが意識して怒りを鼻からフーッと逃がす。違う、ずるいなどと思わなくてもいい。自分はこれでいい。そう言い聞かせて挙手をする。
「教皇、わたしからも主張をさせて下さい」
「どうぞ」
「いやです! コルネリアさんはきっと言い訳するに決まってるわ!」
「ヒナコ、静粛に」
泣いていたヒナコから群衆の注意がこちらに向けられるのを感じた。一瞬怯みそうになったがいつの間にか横に来ていたクラウスに肩を叩かれ目が合う。
「……」
多少間違えてもフォローしてやるとその目は語っていた。一人ではない、仲間がいることにどれだけ勇気づけられたことだろう。縮こまりそうになってしまうのをなんとか堪え背筋をシャンと伸ばす。深く息を吸い込んだネリネは、ずっと言えなかった真実を口にした。
「神の名の下に誓います。わたしが『王子に毒を飲ませた』疑い、そして前回糾弾された『ジルを自殺に追い込んだ』疑い。ヒナコさんが主張するこの二つは全くのでたらめです。むしろ、わたしを陥れるために画策をしているのは彼女の方です!!」
「なっ……」
大げさに驚いて見せたヒナコが顔を上げる。すぐにこぶしを握った彼女は間髪入れずに叫んだ。
「冗談はやめてっ、どうしてヒナがそんなことしなくちゃいけないの!」
「理由は簡単。ヒナコさんが正当な理由も無しにわたしから聖女の地位を奪い取ろうとしたから……ハッキリいいましょう、彼女に我が国が定める聖女の資格がないからです!」
聖堂内がざわりと沸き立った。ビクッと身体を強ばらせたヒナコの瞳に、一瞬猛々しい憎しみの炎が宿る。
「それはどういうことですか? 教会が認めた聖女が偽物だと?」
教皇の瞳がすぅっと細められ冷たい色を落とされる。口をキュッと引き絞ったネリネは反撃の狼煙を上げた。服の下に仕込んでいた小冊子を取り出す。
「疑惑をかけられ呼び出された身ではありますが、身の潔白を証明するため逆にこちらから告発させて貰います。まずこれは、今回ホーセン村で起きた流行り病についてわたしが纏めたレポートです。皆さんのお手元にも一冊ずつお配りしますのでご覧ください」
合図を出すと、前もって職員に頼んでおいた資料が聴衆に配られる。それらが行き渡るまでの間、手短に今回の事件のあらましを説明する。
「結論から申し上げますと、今回のホーセン村での集団病は人為的に引き起こされた事件の可能性が非常に高いのです。今から三週間ほど前、症状を訴える患者たちが一斉に現れ、手に負えないと判断したわたしとクラウス神父は規程に沿って本部へ助けを求めました」
その辺りは皆も周知しているはずだ。原因不明の疫病はこちらでも新聞の見出しに載ったと聞く。
「応援が来るのを待つ間、わたしは独自に原因の調査を始め、村の境界線に植えてあるソフィアリリーの花が原因だと突き止めました」
どこの村にも植えてある国花の名に、聖堂内から驚きの声が上がる。ネリネは冊子の表紙をめくりながら説明を続けた。
「ソフィアリリーは人の手を必要としない強い花ですが、それは周囲の環境に適応する力がとても強いからです。自身が植わっている土の性質に変化があると、それを感じ取った花は環境に適応するために自らの構造を変える。その際に排出される胞子が今回のケースは人体に影響を及ぼしたのです」
ネリネは懐から一本のガラス管を取り出した。中には顆粒状になった白い粉が入っている。
「この国の環境であれば、普通にしていれば毒花になることはまずありません。いくつか土のサンプルを集めて検証しましたが、性質が変化したのはこの薬剤を撒いた土だけでした」
「それは?」
教皇からの質問に、解説をしていたネリネは一度言葉を止める。もったいをつけて周囲を見渡してから通りの良い声で言い放った。
「祝賀会の夜、王子の近衛兵たちがこっそり生け垣の根本に埋めていたものです」
「なっ……!」
ガタッと立ち上がったヒナコは怒りの表情をあらわにした。眉をつり上げ声を張り上げる。
「ジーク王子に対する侮辱ですっ、証拠はあるんですか!?」
「現場にこれが落ちていました」
スッと取り出したのは、あの晩ネリネの注意を引くため落とされたエンブレムだった。遠くからでもわかる派手な紋章に観衆が息を呑む。偽物には見えなかった。なぜなら王族直属の騎士たちが背負う紋章を偽造すれば重い厳罰に処せられる、そんなリスクを背負う仕立屋が居るとは思えない。かと言って自分で作るには複雑すぎる意匠なのだ。
「おそらくは再び同じ病を起こして、わたしに罪をなすり付けるつもりだったのでしょう。調べたところ、この薬剤入りの小瓶がいつの間にか教会のあちこちに仕込まれていました。彼らが『原因不明のトラブルに巻き込まれていなければ』、翌朝、その証拠を発見してわたしを捕まえるつもりだったのかと」
どちらを信じるべきなのか、貴族たちは困ったように顔を見合わせ、記者たちは「面白くなってきたぞ」と顔を輝かせている。それに気づいたヒナコは、手すりから乗り出して叫んだ。
「心優しい王子が大切な国民をそんな危険な目に遭わせるはずがありませんっ。分かった、どうにかエンブレムを盗んだあなたが、王子に罪をなすりつけようとしてるんでしょう!」
「動機なら簡単ですよ。こっそり病人を用意しておいて華々しくやってきた貴女があらかじめ用意しておいた薬で治療する。聖女様の派手なパフォーマンスになってるじゃないですか」
核心を突いた言葉にヒナコはショックを受けた様によろめいた。胸元を抑えて頭を振った彼女は反論する。
「身に覚えがありません! 印象操作はやめて!」
「どの口がそれを……自作自演で被害者を装うのがお上手ですね。いったいそれで何人騙してきたんですか?」
「騙してなんかないっ、ヒナは自作自演なんてできないもんっ」
「あの夜、偶然見かけてしまったわたしに『割り切って一緒にバカな国民を騙しちゃおうよ』などと共犯を持ち掛けてきたじゃないですか。『すごくいやらしい笑みを浮かべて』。もちろん断固拒否しましたけど」
「ねぇ、ホントに誰の話をしてるの!?」
「もちろんあなたの話です。いい加減本性を表してはいかがです?」
熾烈な女の言い争いはデッドヒートしていく。悪魔のクラウスはその様を実に楽しそうにニヤニヤと見ていたが、女子二人に気を取られている観客たちは気づきもしなかった。
「静粛に! いい加減にしませんか二人とも」
錫杖をカーンと打ち鳴らした教皇が珍しく声を荒げる。ハッと我に返ったヒナコは恥じたように一歩退き髪の乱れを直した。そこに教皇からの質問が入る。
「ヒナコ、本当に心当たりがないのですか? 共に居たのでしょう、王子たちの動きに不審な点は?」
信じていた教皇からのまさかの一言に、ヒナコは頬を抑えて絶叫した。
「教皇様までヒナを疑うんですか!? 知らない! 少なくとも、私は関与してませんっ」
見る間にその目が潤んでいき、彼女はその場に崩れ落ちた。
「私はただっ、苦しんでいる人がそこに居たら助けるだけです! 彼女が言うような打算なんてこれっぽっちも考えたことありませんっ」
涙に濡れた顔を上げたヒナコは、民衆に訴えるように語り掛けた。
「皆さん信じて下さい、どうか騙されないで――」
そこでハッとした様子の彼女は、すっくと立ちあがるとわざわざ陽の当たる箇所に進み出てくる。目を閉ざし指を祈りの形に組むと、気のせいか彼女の周りで急に光が輝き始めたような演出が入った。
「わかりました、これはきっと神様が私にお与えになった試練なのですね。ヒナ負けません! 皆さんが心から信じてくれるその日まで戦い続けます!」
「ヒナコ……様!」
凛とした佇まいに、心を動かされた愚か――失礼、純粋な一部の貴族が立ち上がる。その中にエーベルヴァイン卿の姿も有りネリネは顔をしかめた。
「そうだ、やっぱり聖女はヒナコ殿を置いて他には居ないっ」
「がんばれヒナコ様!」
「そんな陰険女に負けるな!」
「皆さん……!! ありがとう! この身は今までも、そしてこの先も絶対に潔白です。絶対にあなたたちを裏切らないことを誓います!」
「ウオオオオオ!!」
またしても『茶番ヒナコ劇場』が始まるところだった。盛り上がる一瞬の隙をついて、ネリネの冷めきった声が響く。
「でもあなた、命の恩人を見捨てたそうじゃないですか」




