法廷、開幕
「誓います」
何のためらいもなくネリネは即答した。当たり前だ、自分は全てを白日の下に晒すためここに来たのだから。
「では改めて。今回あなたを呼び寄せたのは、二週間前ジーク王子がホーセン村を訪れた時についてです」
抑揚のない声で喋る教皇は、錫杖を王子の方へと軽く向ける。そんな些細な動きにもジークはひぃっと悲鳴を上げ小動物のように怯えた。すかさずヒナコは跪き、その手をギュっと握りしめる。
「ああ、ジーク! 大丈夫です、あなたのヒナコはここに居ます! 落ち着いて」
「見ての通り心身ともにかなり衰弱しています。この件についてあなたが何か知っているのではないかとヒナコから陳情されました」
すぅっと細められた教皇の青い目がネリネを射抜く。
「説明、願えますか」
記者団のペンが一斉に動き出す音がする。それを背中に聞きながらネリネはゴクリと唾をのんだ。何から話そうかと思案する隙に、ヒナコから先制攻撃が始まった。
「私、見たんですっ」
悲痛な顔つきで胸元を握りしめるヒナコはまさに悲劇のヒロインだった。愛する人を廃人にされた聖女のいたわしい姿にペンの音がより一層鳴り響く。
「ホーセン村で開いて貰った祝賀会の夜、こっそりやってきたコルネリアさんが王子のジョッキに何かの液体をこっそり入れてたんですっ。その夜から急にジークは物陰の音や姿に怯えるように……」
――たぶんだけど、私が悪魔な事は、彼女は裁判の場じゃ言いづらいんじゃないかな。
ここに来るまでのクラウスの言葉がよみがえる。彼の予想通り、ヒナコは悪魔にしてやられたということを伏せたいようだ。
なぜなら、真の聖女とはその存在自体が悪魔を退けると信じられているから。自分の聖女としての格を下げるエピソードは、王子という協力相手を失った今、極力避けたいのだろう。
だから、コルネリアが毒を用いて王子たちの精神を破壊したことにしたい。完全なるでっち上げだが、彼女にはそのデマを真実にすり替える自信があるのだ。
ここでヒナコは言いにくそうにためらう素振りを見せた。視線を横に逃がし、声をギリギリ聞こえる程度に潜める。
「コルネリアさんはその……ご自身が作った薬が効かないことにかなり苛立っている様子でした……。ジークはそれを村人の皆さんの前で咎めてしまったんです。でもでもっ、咎めるって言っても、王子は人として当然のことを言ったまでで。こんなことをするなんて……」
「つまり怨みからの犯行だと?」
お得意のストーリー操作が始まった。教皇との話を黙って聞いているとヒナコはますますドラマチックに作り話を広げていく。
「はい。それに、彼女の養父だったエーベルヴァイン卿から聞いたのですが」
ここでヒナコはチラッと傍聴席を見やった。視線の先にいた卿は誇らしげに背筋を伸ばしてウンウンと頷く。
「コルネリアさんの実のお母様は森の中で怪しげな薬の調合をしていたとか……おそらくその時の知識を用いて毒を用意したのではないでしょうか」
「ふぅむ」
その時、王子が急に呻きだした。すかさずバッと跪いたヒナコは哀れっぽく聴衆に語り掛ける。
「皆さん見て下さい、王子のこの憐れな姿を! 私が代わってあげられたらどんなにいいか! あぁ、ジーク!」
ありもしない捏造の泥をこってりと塗りたくられたネリネは、今や稀代の悪女に仕立て上げられていた。背後では目つきの悪い女のスケッチが描かれている頃だろう。
だがネリネは怯まなかった。あの時の泣き寝入りするしかなかった自分とは違う。決して俯くことなく聖堂の上段をまっすぐに睨みつける。
その毅然とした態度を不審に思ったのだろう、泣き真似をしていたヒナコの表情が少し曇った。それには気づかず教皇はあの時と同じ問いかけをしてきた。
「さてコルネリア、申し立てることはありますか?」
「……少しお尋ねしたいのですが」
ネリネは落ち着いた動きでスッと手のひらをヒナコの方に動かす。そして首を傾げ言い放った。
「教皇様はわたしに説明を求めたはずですが、そちらの方は一人で何を勝手にベラベラと喋っているのでしょう?」
ヒナコを含めたほぼ全員がポカンと虚を突かれる。すかさず反撃の泥を構えたネリネは憎き相手に向かって全速力で投げつけてやった。
「指名されても居ないのに喚き散らすのは、聖女以前に人としてマナーが成っていないかと。いつからここは演劇場になったのですか?」
心の底からわからない、という顔で正論を叩きつけてやれば、観客席のどこかでブフッと吹き出す音が上がった。それを皮切りに笑ってはいけない空気が聖堂を満たし始める。鉄仮面を得意とするネリネは神妙な顔つきを崩さなかった。それがますます忍び笑いに拍車をかけていく。
確かにヒナコの演技力は高い。だがややオーバー過ぎるきらいがあるのだ。引き込まれている間はいいが、一度目が覚めてしまうと途端に『お芝居』として鼻に付くものになってしまう。
悲劇のヒロインから一転、いや、悲劇を気取っていたからこそ余計に滑稽となってしまったヒナコは顔を真っ赤にしてわなわなと震え始めた。
「なっ……、そんっ……いや、はぁっ!?」
そんな中でも一人、表情を崩さなかった教皇はふぅむと唸る。二人の女性を見比べていたかと思うと淡々と話を進めた。
「それもそうですね。ヒナコ、次に意見を出すときには必ず挙手をして私に発言権を求めるように」
しばらく瞠目していたヒナコだったが、ハッと我に返るといつものキャラを取り戻した。
「ご、ごめんなさいぃ。あれこれ言われる前にハッキリさせておきたくって。それと言うのもですね、コルネリアさんは――」
「教皇、私からもよろしいですか?」
また何か言い続けようとしたところですかさず口を挟んだ人物がいた。全員の視線が集まる中、椅子にかけたままのその男は軽く腕を組んだまま右手を挙手していた。目をすがめた教皇は男の名前を呼ぶ。
「クラウス神父、どうぞ」
「ありがとうございます。先ほどのヒナコさんのお話に少し疑問を抱いたのですが」
すっくと彼が立ち上がった瞬間、ネリネはざわりと空気が変化したのを感じ取った。
「シスターコルネリアが王子のグラスに毒を入れたと証言していましたね。ワインに毒を入れたのを目撃したのなら、あなたはなぜその時に止めなかったのですか?」
見た目こそ人のままだが、クラウスが悪魔としての本性を少しだけ解放している。具体的に言うと抗いがたい魅力で注目を集めているのだ。
教皇の前でそんな大胆な真似をするなんて。ハラハラしながら見守っていると、ヒナコは歯切れ悪く答えを返してきた。
「それはその……」
しばらく思案するそぶりを見せた彼女は、ゆっくりと慎重に言葉を選び出す。
「……ごめんなさい、あの日はヒナもお酒を断れなくて…………ちょっとだけ記憶違いしてたかもしれません。そう……彼女が持ってきたのは毒入りのワインボトルだった……ような。毒を直接入れたのを見たわけでは無かったので、確信が持てなくて……」
嘘だ。そもそもネリネはあの晩、祝賀会の会場に足を踏み入れてすらいない。顔をしかめていると、ヒナコは心情に訴えるよう声を張り上げた。
「でもあれは毒です。ぜったいに毒が入ってました! だってあからさまに怪しかったし、すごくいやらしい笑みを浮かべていたんです彼女!」
眉毛をハの字に曲げて訴えるヒナコに聴衆の意識が少し流れる。だが、にっこりと笑ったクラウスが全てをかっさらっていった。
「なるほど。ところであなた最初に、王子が持っていたのは『ジョッキ』と言いませんでした? ジョッキでワインを飲みますか? 毒を入れられたのはビアですか? それともワインですか?」
「!!!」
ヒナコが言葉を失うのと同時に、一斉に記者たちがメモをめくり返す音が響く。ざわざわとする中、かまをかけたクラウスはさらに追い込んでいく。
「いくらアルコールが入ってたとは言え、証言が二転三転していると感じるのは私だけでしょうか? 本当にその現場を見たんですか? 思い込みの可能性は?」
「そ、そんなこと……」
「そもそも、あの宴会場にコルネリアは居ませんでした。彼女は教会に残り、病床の後片付けを一人黙々と行っていたのですよ。作り話の設定が甘いんじゃないですか?」
大きな目をこぼれそうなほど開いていたヒナコだったが、『作り話』という単語に顔をクシャっと歪ませ大粒の涙をボロボロと溢れさせた。
「だって、だって、ほんとに見たんだもん……ひどい……なんでそんなひどいこと言うんですかぁ」




