ソフィア伝説
月明りの下、路地裏を駆け抜けるネリネは黒いシスター服とベールのおかげで完全に闇に紛れていた。にぎやかな中心地を避けできるだけ人目につかないよう村の北西へと急ぐ。
やがて見えてきた目的地は、いつだったかクラウスと共に調査に来た場所だった。あの時と変わらず、まっすぐ左右に伸びる道の脇にソフィアリリーの生け垣が村の境界を守るように茂っている。
唯一その時と違うのは花からこぼれていたピンクの胞子が見当たらない事だった。水をひたすら撒いて中和するようにと言ったネリネの読みは正しかったようだ。
しかし今夜、そのバランスを崩し、再び村を混乱に陥れようとしている者がいる。
(実行犯は先ほどの男一人だろうか。それとも複数? 誰かから指示を受けて動いている風だった。なんでもいい、黒幕につながる手がかりを見つけられたら……)
道を端から端まで見渡す。すると、ずいぶん遠くの方で何者かの影が動いた。
(いた!)
用心深く建物の陰に身を潜め、暗がりをたどるようにしてそちらに近付く。犯人は大柄な二人組のようでスコップを使い地面に穴を掘っていた。見つかれば力では敵わない。そう判断したネリネはできるだけ身を潜めたまま近寄った。月明りが明るいおかげで、もう少しで顔が見えそうだ。
掘る手を止めた二人は、白い錠剤を二、三粒取り出し穴に放り込んだ。慣れた様子で上から土をかぶせると十メートルほどの間隔をあけて同じ作業を繰り返す。
(多分、あれが花の性質を狂わせるんだ)
その場所をしっかりと記憶に書き留める。朝になったら掘り出して検証してみよう。だがこれだけでは犯人特定の証拠には繋がらない。
歯がゆい思いをしていたその時、片方の男のポケットから何かが落ちた。そちらに注意を向けつつ男二人の顔をしっかりと目に焼き付ける。やはり見覚えのない顔だ。少なくとも村の人物ではない。
「これで全部か?」
「ああ、まったく厄介な仕事を押し付けられたもんだぜ」
作業を終えた二人組が汗を拭いながらこちらに歩いてくる。息を呑んだネリネは慌てて木箱の裏に引っ込んだ。黒いベールを目深にかぶり、膝を抱えてできるだけ小さくなる。ドクンドクンと心臓が早鐘のように脈打ち始めた。
「まぁこれも下っ端の宿命か」
「早く戻ろうぜ、腹減った」
ザッザッと足音がすぐ近くを通る。息を止めてじっと通り過ぎるのを待つ間、ネリネはひたすら神に祈りを捧げていた。そうでもしなければ恐怖で声が漏れてしまいそうだったから。
必死の願いは通じたのか、彼らは手を伸ばせばとどく距離を通過しながらも気づかずに行ってくれた。
全身の力を抜いてほぅっと息を吐く。助かった、子供たちがよくしている『かくれんぼ』とはこんなに心臓に負担をかける遊びなのかと的外れな事をふと考える。いや、自分は幼少期に遊ぶ相手など居なかったから知らないのだけど。
やがて二人組の影が曲がり角に消えたのを確認し木箱の影から飛び出した。彼らが落とした物の傍に膝を着き、手に取って確かめる。
「これは……」
それは手のひらに収まるほどのエンブレムで、大きく翼を広げる金の竜をモチーフとしていた。これを付けることを許されている組織など一つしか無い。嫌な予感に背筋がぞわぞわとしてくるのを感じる。まさか、予想は当たってしまったというのか。なぜならこれは王家直属の――
「まんまと引っかかったな」
「!」
突然、背後から響いた声に弾かれたように振り返る。目まぐるしい思考に気を取られていたネリネは、いつの間にか複数の男に包囲されていた事に気づかなかった。その中には先ほどの二人組もいる。しまったと思う間もなく聞き覚えのある声が響いた。
「さきほどの懺悔は君をおびき出す為の罠だよ。しかし、こうもあっさり乗ってくれるとはね……元婚約者として君の事が心配になるよ、コルネリア」
取り囲む男たちを割って現れたその男にネリネは凍り付く。おそるおそるその名前を――宴会場に居るはずの彼の名を呼んだ。
「ジーク王子……」
ネリネにでっちあげの断罪を下し、体よく追い払った男がそこに居た。彼は肩にかかる金髪を払いのけながら悠々とこちらに歩いてくる。
「あの懺悔内容でここに即座に来たと言うことは、だいぶ嗅ぎつけているようだな」
「……なんのことでしょうか」
彼をにらみつけ、何とかごまかせないかと思考をめぐらせる。迷っていたその時、王子の後ろから小柄な女性が顔を覗かせた。驚きの声を上げる間もなく、彼女はけたたましく笑い出した。
「あははははっ、すっごーい、本当に来ちゃったんだ。ねぇねぇ、コルネリアちゃんってどうしてヒナの思い通りに動いてくれるの? バカなの?」
「っ!?」
その時、背後から近づいてきた男に捕まってしまう。後ろ手にねじり上げられたネリネは痛みに顔をしかめた。目の前にやってきたヒナコが、心底嬉しそうな顔つきで下から覗き込んでくる。
「ほんっとお人好しだよねぇ、あんだけ村人から盛大にディスられた後だってのにさ。善人ぶっちゃってバッカみたい。そんなんだから利用されてしまうんですよぉ? えへへ」
わざとらしいしぐさで笑うヒナコだが、その目元はニンマリといやらしく弧を描いていた。ネリネはガンガンと痛み始める頭で問いかける。
「本当に、あなたが?」
「何が?」
いくらこちらを貶めようとも、まさか聖女が――いや、心ある人間がそんな真似をするわけがないとネリネは信じていた。ガッチリと捕らえられているのも忘れ、噛みつくように一歩踏み込む。
「あなたがこの村に病の原因をばら撒いたのかと聞いているんです!」
「そうだけど、それが何?」
きょとんとした顔で返され、いっそ拍子抜けしてポカンと口を開けてしまう。うーん、と可愛らしく頬に人差し指をあてたヒナコは、小首を傾げてこう答えた。
「だって王子がこうすればいいって言ったんだもん。ヒナしらなーい」
「知らないで許されると思ってるんですかっ、人が死んでるんですよ!」
声を荒げるとヒナコは不愉快そうに鼻にシワを寄せた。
「うっざー。なんでアンタなんかにヒナが説教されなきゃいけないんですかぁ? どーせ死んだのなんて、一か月も経てばみんな忘れてるような雑魚でしょ? 問題ないじゃん! あは」
「よくもそんな事を……!」
死者にすがりつく家族の悲痛な声がよみがえる。ギリィッと奥歯を噛み締めたネリネは、ジーク王子をにらみつけながら叫んだ。
「ジーク様! ご自分が何をしているか分かっていますか! この国を継ぐ者として民を裏切るこのような行為が赦されるとでも!?」
王位継承者としての自覚はないのかと問い詰めても、ジークは薄く笑うだけだった。
「どうしてこんな意味のないことを……」
情けないやら悔しいやらでネリネの言葉尻が消えていく。そんな様子をニヤニヤと見つめていたジークはようやく答えを返してきた。
「意味がない? ふふ……。コルネリア、一つ面白い話を聞かせてやろう。ソフィア女史を知っているか?」
「初代聖女の……?」
前述した通り、それは神の道に生きる者ならば知らぬ者はいない名だった。苦しむ人々の前にあらわれ献身的な行いをした彼女は、その功績が称えられ当時の王の妻に迎え入れられた。
その直系の子孫であるジークはニヤリと笑うと、聞きたくなかった聖人伝説のネタばらしをした。
「俺はある時、城の書庫で彼女の日記を見つけた。それによるとソフィアは自らこっそりと毒を撒き、あらかじめ用意していた薬で癒す……そんな手段で聖女という地位を手に入れたらしい」
ネリネはあんぐりと口を開けて言葉を失った。聖典にも載っている彼女がまさかそんな汚い行いをしていたなんて……。ショックを受けるネリネを見て、王子は饒舌に続ける。
「死の間際には後悔していたようだけどな。だが俺から言わせて貰えば、彼女がやったことは愚かな国民の手綱を握る為に実に理想的な手段だ! だから俺は初代のやったことを現世で再現することにしたんだ。簡単だったよ、事細かに毒の性質と薬の調合法が書いてあったのだからな!」




