神に懺悔をどうぞ
「お見苦しいところを申し訳ありません……」
数分後、祭壇の段差には並んで腰かける二人の姿があった。泣くだけ泣いたネリネは元の冷静さを取り戻し、恥じたように俯いている。羞恥心はその頬を染め、膝の上に置いた拳を震わせていた。
「あはは、スッキリしただろう?」
その隣、こちらもすっかりいつもの調子とヒト形態に戻ったクラウスが朗らかに笑いながらそう返す。本当にさきほどまでの悪魔と同一人物なのかと疑いたくなるような変わり様だった。
両手の指先を合わせた神父は、いつも村人に教えを説くのと同じようにアドバイスをくれた。
「泣くっていうのも立派なストレス発散方法の一つだからね。君も内に溜め込むばかりじゃなくて、もっとはけ口を持ち合わせた方がいい」
「それはどうもご丁寧にありがとうございます。わたしはもう大丈夫なのでさっさと祝賀会に戻ってはいかがですか」
「本っ当に君は意地っ張りな女性だよ……もう少し私に頼るってことをしてもいいんじゃないか?」
腫れぼったい目元のネリネは、ぶすっとしたままそっぽを向く。それを苦笑しながら見ていたクラウスは、立ち上がると数歩進んだ。
「まぁ確かに、そろそろ戻らないと」
「っ……」
ネリネは思わず引き止めたくなる衝動に駆られ、いや、それはおかしいとギリギリのところで踏みとどまる。おかしな話だ、入ってきた時は早く出て行って欲しいと願っていたはずなのに。
それに先ほどから彼が視界に入ると心臓が妙な挙動をする。むずがゆいような、それでいて不快ではない不思議な感覚だ。おかしい、自分に不整脈の気はなかったはずだが。
シスターが戸惑っているとは知らず、少し先で立ち止まった神父は、顎に手をやり考え込むしぐさを見せた。
「しかし、改めておかしいとは思わないか? 毒の中和剤――ヒナコ殿が言うには『聖水』だったか――タイミングといい、あまりにも彼女にとって都合よく出来過ぎて居る」
それまでとは少し調子の違う声にネリネは顔を上げる。陽がとうに暮れたのに彼の姿が見えるのは月明りのおかげだと気づいた。今日は満月を少しばかり過ぎた月齢だったはずだ。
「ですが実際、患者には効いているわけですし……」
「そこだよ。君と違って直接症状を見たわけでもないのに、聞いた情報だけでそんなピンポイントに薬を作れるものなのか?」
ピッと指され数度まばたきをする。言われてみれば……ネリネは気が遠くなるほどの失敗を重ね、試行錯誤した末ようやく正解にたどり着いたというのに。
だが、魔法のような回復劇を見せつけられたシスターは、聖職者として当然の意見を述べた。
「彼女は儀式を経て正式な聖女になりました。本当に神に通じるチカラでも授かったのでは?」
「祈って祈って祈って……それでカミサマに聖水の作り方を教えて貰ったと言うあれかい?」
ここで少し崩れた表情を見せたクラウスは、皮肉っぽく笑ってこう続けた。
「言ってはなんだが、神なんてのはただの概念さ。一人ひとりの心の中にいる物だと私は考えている。祈りを捧げれば簡単にポンと解をくれるような都合のいい神なんてどこにも居ないんだよ」
仮にも神父とは思えない発言に目が点になる。神父は説法をする時の声そのままに言葉を次いだ。
「『神の教え』とは市民を上手く操作するための教会側の都合。ヒナコ殿の『聖水』には何かカラクリがありそうだね」
神父に諭されているのか、それとも悪魔に惑わされているのか分からなくなる。難しい顔をしたネリネは首を傾げながらつぶやいた。
「自力で作れるとは思えない。その上、神の啓示に頼れないのだとしたら、ヒナコさんは一体どうやってあの薬を作ったんでしょう? それこそ悪魔と契約したとか……」
「さぁ。そのセンも考えられなくはないけど……もっと単純で明解な方法がある。前提から逆だと考えてみたらどうだい?」
逆? と、視線だけで問いかけると、クラウスはとんでもない爆弾発言を投下した。
「最初に薬を用意して、それから患者を“作った”」
「ぶっ!?」
まさかの自作自演説に妙な声が出る。慌てたネリネは周囲を見回して誰か盗み聞きをしていないか確かめた。
「なっ、何てことを言うんですか! 誰かに聞かれたら侮辱どころの騒ぎじゃすみませんよっ」
「だが可能性として一番高いのはそれだろう。彼女は最初から正解を持っていて、問題を作り上げた。そして民衆が適度に困ったところで華麗に解決する。もし私が聖女候補ならその手段を取るね。バレさえしなければ手っ取り早く人気が得られる――ただし倫理と犠牲者は問わないものとする」
ここで眉間にシワを寄せたクラウスは、不愉快そうにまなざしを細めた。その茶色の瞳が一瞬だけ本来の赤色に光る。
「正直、あの手の女には虫唾が走る。化けの皮を剥いでやりたいね。あれが聖女だって? 冗談じゃない」
「……」
一瞬ネリネは本当の事を言おうかどうか迷った。自分だけが気づいているヒナコの真実を。
「さて、私はそろそろ宴会場に戻るよ、その辺りも踏まえて探りを入れて来よう」
「あ……」
だが、ためらっているうちに彼は再び歩き出してしまった。肩越しに振り返りニコッと笑い掛けられる。
「心配しなくても『神父クラウス』としてしかやらないよ。まぁ、あんまりにも酷いようなら宿屋一帯が吹き飛んじゃうかもしれないけどね」
「……」
「あれ、ここは君の鋭いツッコミが入るはずだったんだけど」
お得意の悪魔的ジョークをスルーされクラウスは苦笑を浮かべる。それに反応することもなく、立ち上がったネリネは胸元を握りしめぽつりと問いかけた。
「……どうして」
その先を続けることができず、まっすぐに見つめるその瞳は戸惑いの色を浮かべている。正面玄関の扉に手をかけた神父は一言だけ残していった。
「言っただろう、私は君の味方なんだよ」
パタンと軽い音が響き、今度こそネリネは一人になった。クラウスが来るまでと比べれば気持ちは俄然ラクになっていたが、入れ替わりに残されていった疑問は複雑怪奇な物だった。
「……どうして、わたしなんかの為にそこまでしてくれるんですか?」
ようやく口にできた問いかけに応える者は居ない。ポケットから黄色い封筒を取り出したネリネはじっとそれを見つめた。
その時、コトンという小さな音が彼女の耳に届いた。彼が戻ってきたのかと顔を上げると、玄関脇にある懺悔室に誰かが入ったことを示す木のサインが下がっている。
(誰?)
今は受付時間外だ。と、言うか今夜は村人全員がお祭りムードなはずで、わざわざここを利用しに来る物好きが居るとも思えない。
なのに確かにそこに誰かが来ている。聞かなかったことにして部屋に引っ込もうかとも考えたが、何となくネリネは慎重に歩み寄った。小さめのドアをくぐり懺悔室の中に入る。
「……『神に懺悔をどうぞ』」
面会用の小窓を開けていつもの決まり文句を口にする。しばらくして金網の向こうから聞こえてきたのは知らない男の声だった。
「恐ろしいことをしてしまいました……人の道から外れた行ないを……そのせいで何人もの人が苦しみ、ついには帰らぬ者も……」
聞き覚えのない声だったが眉根を寄せて耳を傾ける。穏やかな内容ではなさそうだ。
「どうしてあんなことを引き受けてしまったんだ……いや分かっている、多額の報酬に魔が差したんだ。俺はどうしても金が必要だった……」
少し屈んで向こう側をそっと覗き込むが、細かい金網の向こうはプライバシーの為にシルエットしか見えない造りになっている。ネリネは口がカラカラに乾き始めるのを感じていた。
「今夜、同じことをしなければならない。やらなければ俺が殺されてしまう。神よ、罰は甘んじて受け入れます。だけど死後、貴方は赦して下さいますか?」
「『神の御心のままに生きなさい。悔い改めたことであなたの死後の罪は赦されました』」
できるだけ平静な声を装って定型文を返す。バクバクと心臓が逸る中、懺悔者が小さくお礼を言って出て行った。
パタンと扉が閉まった瞬間ネリネは飛び出した。正面玄関を抜け辺りを見回すがそこには誰一人として居ない。昼間、民衆に踏み荒らされたアプローチの花たちが月明りの下でしんなりとしているだけだ。
(今夜、同じことを?)
怪しい、怪しすぎる。村に行って誰かに知らせるべきか――。いや、行ったところでまともに取り合って貰える気がしない。笑われて宴会に水を差すなと追い出されるのがオチだろう。今から走ってクラウスに追いつけないだろうか、いや、その間にこの手がかりを逃してしまったら……。
(……確かめよう)
キュッと口元を引き締めたネリネは、自室に引き返し普段はあまり被ることのない祭事用の黒いベールを手にする。それを頭からすっぽりと被ると裏の勝手口から教会を抜けた。そして風のように走り始めたのである。




