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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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9◇与えられた猶予

 翌日になっても、エミーリエは見知らぬ屋敷に身を置いたままだった。

 柔らかなベッドのある客間で目を覚ます。


 あんなことがあった後でもぐっすりと眠っていたのは、疲れていたからだろうか。

 それと、ここにはエミーリエを苦しめるものがないような気がした。それが勝手な願望だとしても。


 侍女のルジェナがエミーリエが着ていたラドミラのお仕着せを持って現れた。

 綺麗に洗ってくれてある。エミーリエの服と呼べるものは他にないので仕方がないとしても、あの服を見るたびにラドミラを思い出してつらい。


「これ、洗ってありますから」


 何も知らないルジェナはにこやかにお仕着せを差し出してくれた。エミーリエもなんとか笑ってそれを受け取る。


「ありがとう」

「あの、朝食を終えたらエミーリエさんを連れてきてほしいと言われまして」


 さん、と気安く呼ばれたのは初めてだが、嫌な気はしなかった。むしろ違う自分になれたような気分だった。


「パヴェル様でしょうか?」


 ルジェナは元気よくうなずく。


「はい、そうです!」

「パヴェル様はどういったお方なのでしょう?」


 おずおず訊ねてみると、ルジェナは困っているふうだった。


「ごめんなさい、余計なことは言うなと釘を刺されてしまって。そこはご本人から説明して頂けるかと」

「わかりました」


 できれば再び顔を合わせる前に予備知識を仕入れたかったが、先回りされてしまった。

 今のエミーリエはここがどこだかも知らない。カーライル王国のどこかだろうと見当をつけるのが精々だ。詳細な地図を持つわけでもなく、細かいことはわからない。


 このままパヴェルと話せばボロを出すだけだろう。

 とはいえ、回避する術はない。首に縄をつけて引き立てられていく驢馬(ロバ)のように、逃れる術はない。


 エミーリエは覚悟を決めてお仕着せに着替えた。

 そして、ルジェナが用意してくれたパンと柑橘のジュースで朝食を済ませる。ルジェナの案内で向かった先は、最上階の突き当りの部屋だった。

 こういう日当たりのよい場所は屋敷の当主の私室だろう。


 ルジェナは恭しく扉を叩く。


「失礼致します。エミーリエさんをお連れしました」


 中からあの硬い声が返る。


「入れ」


 ルジェナは扉を開けてくれたが、一緒にいてくれるわけではなかった。それが心細い。


 仕方なく、エミーリエは一人で中へ入った。

 質の良い調度品ばかりではあるが、年若いパヴェルの部屋としては渋いような気もした。実用性を重視し、無駄な飾りを嫌う性格なのかもしれない。


 大きな書斎机の前に窓を背にして座っている。そのパヴェルの両脇にシャールカと青年がもう一人控えていた。


 改めて見ると、二人は同じゼニスブルーの制服を着ている。剣を帯び、襟章をつけているが、それが何を意味するのかはエミーリエにはわからなかった。パヴェルの家の私兵というだけではないようにも思う。


「気分はどうだ?」


 パヴェルは書斎机の上に手を置いたまま、抑揚なく問いかけてくる。

 緊張はしているけれど、恐ろしいということはなかった。


「はい、おかげ様で。お助け頂いてありがとうございました」


 エミーリエが頭を下げると、まとめていない髪が顔を覆い隠すように垂れた。その頭に向け、パヴェルは続ける。


「お前は俺のことを知らないようだな」


 この言葉にエミーリエは、えっ、と声を上げてしまった。知らないと言っているのも同然だ。

 正直すぎる反応に、パヴェルは納得したようにうなずく。


「よくわかった。お前はこの領地の人間ではないな。さらに言うと、うちの国民でもないだろう。お前はどこから来た?」


 やはりこの質問が来る。

 エミーリエは戸惑っている場合ではないと思い直した。


「仰る通り、わたしはここへ連れられただけで、ここがどこだかも知りません。どうかお教えください。ここはどこで、あなたはどういったお方なのでしょうか?」


 パヴェルには人を圧倒するような雰囲気がある。怯えて口が利けなくなる相手も多いのではないだろうか。

 それでもエミーリエが質問を返せたのは、話せばわかる人だと思うからだ。

 なるべく首を揺らさず、前を見据えて待った。すると、パヴェルは軽く髪を掻き上げる。


「ここはカーライル王国の東で、俺が統治するベルディフ領というところだ」

「領主様でしたか……」


 すると、控えていた柔和な面立ちの青年が困ったように口を開く。


「ベルディフ領は国領地なのです。こちらはカーライル王国第二王子、パヴェル・レサーク・カーライル殿下にあらせられます。僕は副官のマクシム・エイヴァリーと申します。どうぞお見知りおきください」


 王子、と。

 まさかいきなりそんな重要人物に遭遇するとは思ってもみなかった。

 地方の領主ならばまだしも、いきなり王族にタロン公国のことを話してもいいものだろうか。直接伝えたのでは取り返しがつかない。


 エミーリエは固まってしまった。

 そんなエミーリエをシャールカが気遣わしげに見ている。


「それで、お前はどこから来た?」


 パヴェルが重ねて問いかけた。

 助けてもらった恩もあるから、嘘はつきたくない。エミーリエの手に冷や汗が滲んだ。


 正直なところを話していいのか、それを判断するにはまだ状況が不確かなままなのだ。カーライル王国から見て、タロン公国はどういうふうな立ち位置なのか、それを知りたい。


 エミーリエが目に見えて困惑していたせいか、パヴェルは嘆息した。


「それを話すには、俺たちのことがまだ信用できないと、そういうことか?」

「そ、それは――っ」


 違うとは言えなかった。その通りだ。


 あんなところ、どうなってもいいとは思えない。

 もしエミーリエがきっかけを作り、攻め入られることになっては公国の民も苦しむのだ。

 公女として生まれた以上、何の役目も果たせなかったエミーリエでも国を売るようなことはできない。


 パヴェルはエミーリエを責めているわけではなかったようだ。淡い瞳の奥には意外なほどの労りが見えた。


「昨日顔を合わせたばかりだからな。それも当然ではある」


 マクシムとシャールカは意外そうにパヴェルを見た。それでもパヴェルは言う。


「ただひとつだけ答えろ。お前は犯罪に巻き込まれていたように見えたが、相手はどうした? 放っておいて害はないのか?」


 それくらいならば答えられると、エミーリエは口を開いた。


「攫われそうになったのですが、二人組の男性は荒れた川に落ちました。助かったかどうか……」


 多分、助からなかっただろう。可哀想だと思ってあげるゆとりは、残念ながらエミーリエにはなかった。

 これにはパヴェルも納得したようだ。


「わかった。それなら、お前はしばらくこの屋敷で過ごせ」

「えっ?」

「待っている家族はいないのだろう? それならしばらくここにいて、俺たちが信用できると思ったら自分のことを話せ。それでいいな?」


 それだけの猶予をくれるという。

 行き場のないエミーリエだから、この提案は涙が出るほど嬉しかった。ただし、甘えすぎてはいけない相手ではあるけれど。


「お気遣い痛み入ります。ご厄介になるのなら何か私にできることをさせて頂きますので、どうぞお申しつけください。ええと、裁縫が得意です」


 すると、パヴェルはマクシムと顔を見合わせ、そして少し笑った。


「わかった。何か考えておく」


 やはり、優しい人だ。

 不運に見舞われたエミーリエだったけれど、彼らに拾われたのは不幸中の幸いだったのだろう。


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