エキドナ内乱最終決戦の旅(後篇)
ランドルフの重厚な両手大剣を弾き返すと、重量感ある鉄塊同士を擦り合わせた金属質な匂いが、瑛斗の鼻先の辺りを漂った。
背中に感じるは、気を失ったエレオノーラの体温と吐息。身を開いて空いた左腕を伸ばすと、エレオノーラはゆっくりと崩れ落ちた。その細い身体を、力強く抱きかかえる。
胸に抱くは、エレオノーラの命だ。その手から零れ落とすわけには絶対にいかない。
見下す様に睨め付けるランドルフに対し、瑛斗は挑戦者の瞳で睨め返す。視線を合わせ牽制するは、互いが互いを己が標的と認識しているからだ。
瑛斗はエレオノーラの身体を横抱きに抱えると、イリスへ向かい歩き出す。
「待たせたね、イリス」
「勇者様……!」
「後は俺に任せてくれ。絶対に、護る」
そう告げてエレオノーラを天蓋付きのベッドへ寝かしつけると、瑛斗は改めてランドルフの前へ立ちはだかった。
ランドルフには獣人族の村近くの山中で敗北を喫している。体格差もある。そんな歴戦の傭兵を前にしても、瑛斗は気遅れることなく堂々と真っ向勝負で立ち向かう。
こんな時瑛斗は、現実世界で経験した剣道の試合を思い出す。
小学生時代、勇者を目指して散々木刀を振ってきたにも関わらず、剣道の試合では一切通用しなかった。中学に上がってから通った強豪の剣道道場では、大会に出場することすら敵わない。それは小さな身長と短いリーチが不利に働いたためだ。
異世界を訪ねて――初めてアーデライードから化け物染みた片手半剣を渡された時、心の底から湧き上がる喜びを感じたものだ。
これでようやく不利だったリーチを克服できる。ならばこの剣が、己が手足となるように一心不乱に振り続け、自分の物とするしかない。
そう心に決めて徹底的に身体を鍛え抜くことで、体格はいつしか一回り大きくなった。そんな密度の濃い半年間を過した瑛斗は、遂にゴブリンを倒し、オークを倒し、対人戦を挑むまでに到達したのだ。
だが剣道の試合と決定的に違うのは、命のやり取りがあること。
この一戦で命を落とすか、もしくは命を奪うこともあるだろう。だがそれは異世界へ行くと決めた時から、鋼の意思と覚悟を決めている。
だからこそ瑛斗は、戦いへ向かう時はどんな難敵に対しても堂々と胸を張り、真正面から立ち向かう。戦う相手に敬意を表し、油断なく全力で挑む。
そんな気持ちを胸に、改めて片手半剣を握りしめる。
堂々たる態度で億尾も見せぬ瑛斗に対し、ランドルフは重い口を開いた。
「久し振りだな、小僧」
「ここで……アンタと再戦するとは思わなかった」
「どういう意味だ」
「残念だってことさ、ランドルフ」
「…………」
「堕獄――堕ちた騎士とは本当なのか?」
「……問答は無用だ」
瑛斗の問いに答えることはなく、ランドルフは気合の声と共にたちまち攻撃に入った。
横撃一閃。真一文字に振り込まれた斬撃は威力十分。
瑛斗は弧を描くように片手半剣を操ると、ランドルフの両手大剣をカチ上げた。それでもランドルフの連続攻撃は止むことはない。次々と繰り出される斬撃を、瑛斗は休むことなくいなして耐え続ける。
集中力を一瞬でも切らせてはいけない。切らせた途端に隙を突かれ、致命傷を負いかねない。それほどの激しい斬撃が、ランドルフの剣から繰り出されていた。
一方のランドルフも、先日の戦いと違う風景を瑛斗の中に見出していた。
焦りや惧れといった感情を、この小僧から見出すことはできない。むしろ獲物を狙う翡翠のような、静かに隙を窺う気配すら瑛斗から感じられる程である。
このままでは埒が明かぬ。手を変える必要性を肌で感じとったランドルフは、上段への打ち込みをフルパワーで叩き込むと、瑛斗との距離を一旦とることとした。
ここで瑛斗が踏み込むようであらば、もう一段斬り入れてやるつもりでいたが、瑛斗は先日と違い深追いしない。
歴戦の兵と、老獪な少年。慎重居士はお互い様のようだ。
「悪いが、一対一じゃまだ敵わない」
空いた間合いで最初に口を開いたのは、瑛斗であった。
その言葉にランドルフは、すぅっと目を細める。
「だから、策を弄させてもらう」
瑛斗がそう告げた瞬間、背後の窓ガラスが激しい音を立てて割れ、眩い閃光が迸る。
それは「魔法の矢」であった。
「ヌウゥッ!」
小さな呻り声と共に、ランドルフはその身を翻す。
窓の向こう、浮かぶ小さな身体は術者・ダークエルフのレイシャ。
古代語魔法「フライ」でその身を浮かせつつ、閃光鮮やかに放つは、同じく古代語魔法の攻撃魔法「エネルギー・ボルト」であった。
レイシャの「魔法の矢」は窓を突き破れども、その威力はまるで衰えず、易々とランドルフへと到達する程の威力を持つ。だがランドルフは大両手剣の腹を向けると、何の苦も無く「魔法の矢」を弾き返した。
「れじすと、した?」
標的は「魔法の矢」到達を待たずして、大剣を盾の様に利して防御したのだ。
瑛斗はランドルフに気付かれた理由を探るため、チラリと自らの背後を見る。そこにはアードナーらに倒された騎士の身体があった。恐らくこの騎士のよく磨かれた甲冑に反射した光で「魔法の矢」に気付かれてしまったのだろう。
だがこの好機を逃す瑛斗ではない。すぐさま攻撃へ転じると、ランドルフの左脇腹目掛けて横撃を打ち入れた。それでもランドルフは慌てない。縦方向へ弧を描く動きで大剣を操ると、瑛斗の攻撃を寸でのところで受け止めて弾き返す。
「手の内を明かすとは、随分と馬鹿正直なものだ」
「卑怯なことは苦手でね」
「その甘さ、命取りだぞ」
「それでも……俺は負けない」
穏やかに闘志を燃やす瑛斗へ、激しい連打が豪雨の如く降り注ぐ。
それでも瑛斗は一手一手を落ち着いて捌くと、心の中でレイシャの再詠唱時間を数え上げる。
今回レイシャは重複魔法を使用せず、単発の「エネルギー・ボルト」で攻撃を終えている。故に次の攻撃時間に転じるまでの時間は短い。
重要なのはタイミングだ。レイシャと互いの呼吸を合わせて同時多発攻撃を狙う。
それがこの怪物を倒す唯一の手段であることは、前回の戦闘で経験済みである。同じ失敗は、二度と繰り返したくはない。
一方のランドルフとて、その程度の策は想定の範囲内である。二対一の戦闘は不利としても、それは一度や二度のことではない。切り抜けるだけの経験と技量は持っている。
この場にイリスらがいる以上、屋敷の中で先日のような業火を伴う「ファイア・ボール」を選択する可能性は低い。なれば瑛斗の剣士としての腕を信じ、付与魔法系の魔法を選択する可能性が高かろう。
付与魔法系は被対象者に、常人ではさほどに感じぬ硬直時間がある。卓越した技量を持つランドルフは、経験上その隙を狙うことができる。
前回の戦闘で、瑛斗が犯したただ一つのミスとは言えぬミスが、それだ。
「すりーぷ・くらうど」
だが、ランドルフの予想は外れていた。
ダークエルフの幼女が放つは、眠りを誘う魔法の雲「スリープ・クラウド」であった。耐久に失敗すれば、たちまち眠りに落ちてしまうだろう。
ランドルフの周囲を、たちまち湧き上がった白い雲が周囲を覆う。しかし幾多の戦いを潜り抜けてきた歴戦の傭兵には、魔法使いに対する防衛策が幾つかある。
そのうちの一つが、これだ。
「ヌオォッ!!」
気合の咆哮と共に、巨大な両手大剣が唸りを上げる。
ランドルフの剣の一振りは、一閃の剣圧で風を生む。その威力たるや周囲の落ち葉を派手に巻き散らす程の風圧である。
だがこの魔法の雲は、ランドルフの剣圧に一瞬たりとも棚引くことはなかった。
違う……この眠りの雲は、偽物。
戦闘中、範囲魔法の効果範囲内に自ら進んで踏み込む者はいない。そういった魔法の効力は通常、敵味方構わずその範囲にある対象全てに効力を発揮する為だ。
だが――この少年は、迷うことなく効果範囲内に踏み込んでいた。その姿勢は地を這うが如し。背の低い瑛斗が、背の高いランドルフの死角を狙ったのだ。
レイシャの唱えた魔法は、古代語魔法「クリエイト・イメージ」である。この魔法は、術者の指定した一定範囲内に視覚的な幻覚を作り出す。その形象は、自在。より深く知る物であれば、より詳細に作り出すことが可能だ。
レイシャはこれまで幾度となく眠りの雲を作り上げてきた。よって創り出す形象は詳細にして、微に入り細を穿つ。
それは、一瞬の判断の中で生きるランドルフを欺く程に。
「…………!」
しかし寡黙のランドルフとて、一筋縄ではいかぬ歴戦の強者である。
死角から飛び込んだ少年の動きをいち早く察すると、両手大剣を巧みに翻し、上段から瑛斗の頭上へ向け剣を振り被った。
しかし一方の瑛斗も、意味なく闇雲に突っ込んだわけではない。
狙うは、ランドルフの左脇腹。
ランドルフは獣人族の村襲撃に於ける山中の戦いで、ソフィアの矢を受け左肩を負傷している。そこに残る痛みは、いかに歴戦の傭兵と言えど反応が遅れるはず――そう読んだのだ。もちろん、権謀術数で名高いアーデライードの助言である。
「ッ……させん!」
「押し通す!!」
ランドルフは名高き剣客であった。瑛斗が執拗に狙いを定めていたことは気付いている。自らの上段切りが間に合わぬと判じると、瞬時に切り替えして防御へと転じた。
だが――間に合わぬ。瑛斗とアーデライードの読みが当たったのだ。
そして、勝負は一瞬で着いた。
力ないランドルフの防御を一撃で粉砕し左脇腹へと直撃させると、続けざまの二撃目を左抜き胴で撃ち放つ。休むことない三撃目はランドルフの正眼上段切りで防がれたものの、無理なく柔らかな弧を描いた四撃目は、左上段からランドルフの右肩より袈裟切りにした。
瑛斗の重い斬撃は、ランドルフの重厚な板金全身鎧をも突き抜ける。
「……ガフッ!」
二撃目の抜き胴へのダメージに因るものか。ランドルフが肺の空気を吐き出した。
両手大剣を左手一本でどうにか手放さぬものの、四撃目に受けた右肩のダメージが残らば最早、剣を振るうことは叶うまい。
決着は着いた。この勝負、瑛斗の勝ちである。
ランドルフはガックリと両膝を落とすと、絨毯の上にどうと崩れ落ちた。意識は残れども、蹲ったままである。最早動くことは適うまい。
呻き声一つ上げないのは、歴戦の傭兵としての矜持だろうか。その身は防具に護られているものの、深刻なダメージを負っていることは明白だった。
瑛斗は天井をひとつ見上げると、緊張で肺に溜まっていた空気の塊をようやく吐き出して、イリスたちの方へと振り向いた。
「……勝ったよ」
「ゆっ、勇者様っ!」
イリスが思わず黄色い歓声を上げた。とても珍しいことだった。
その声でエレオノーラが、目を覚ましてしまったようだ。負傷と疲労で言う事を聞かぬ身体に鞭打って、傷ついた身体を無理にでも起こそうとする。
「ああ、ごめんなさいエレオノーラ。起こしてしまったわ」
「い、いえ、姫……これしき、くくっ……」
「ほら、まだ横になっていなくては駄目よ」
エレオノーラは強情に意地を張り、これまた珍しく主君の制止を聞かなかった。イリスに支えられるようにして、どうにかその半身を起こした、その時だ。
階下より地鳴りにも似た歓声が響き渡った。あまりにも経験したことのない衝撃に、主従ふたりの少女は思わず顔を見合わせる。
「うおおおッ、勝った! 勝ったぞ!!」
「ドラッセルがエゴンを討ち取ったァッ!!」
「上級騎士を倒したぞォォッ!!」
一階大広間ロビーに於ける死闘に、一つの決着を見たようである。
死力を尽くして敵の軍勢を食い止め続けたドラッセルが、エキドナ別邸が護衛騎士団司令官であるエゴン・クレーマンを一騎打ちの末、遂に倒したのだ。
支柱である指揮官を失った敵部隊は、瓦解するが戦場の常だ。這う這うの体となった敵兵士らを、最後の気力を振り絞った『銀の皿騎士団』ドラッセル隊と『月の雫騎士団』が、邸外へと押し出してゆく。
クレーマン子爵が子飼いの騎士団は、元々が物見遊山の兵たちで士気と忠義は低い。それぞれが小部隊に分かれ、手前勝手に撤退を始めたようであった。
「ちっ、やりやがったな、エイトてめぇ……!」
そんな悪態を突く声に瑛斗が振り向けば、そこに居たのはエアハルトに支えられつつ扉をくぐったアードナーであった。
アードナーに肩を貸すエアハルトも決して無傷では無い筈だが、それでも涼やかな表情をしているのはむしろ、損ではないかと瑛斗は思う。
「アードナー、その姿……勝ったのか?」
「ああ、勝ったさ。当たり前じゃないか!」
「その割には、辛そうじゃないか」
騎士の技能である「全力戦闘」は、攻撃力と命中率を限界まで引き上げる代わりに、使用後暫くの間は戦闘不能に陥ってしまう。どうやらその反動が、アードナーの身に起こっているようである。
扉の向こう側を覗いてみれば、三階ロビーの床に這いつくばって苦痛の呻き声を上げる傭兵たちの姿があった。その数、六名。アードナーらは数的不利を撥ね退けて、見事約束通りに敵を打ち倒してみせたのだ。
こうして全ての局面に於いて敵を無力化し、完全に制圧した。勇気ある寡兵を用いて大軍を打ち破り、見事に鎮圧したのである。
エキドナ別邸にて突如巻き起こった内乱は、幕を閉じようとしていた。
ふよふよと宛ても無く宙を漂っていたレイシャが、タイミングを見計らって割れた窓から寝室の中へと入る。身体の小さな彼女は、割れた窓でも何の苦も無く潜り抜けた。
するとそのタイミングで、屋根の上からアーデライードの呑気な声が響く。
「ねぇ、どう? 終わったんでしょ? 窓開いてる?」
「あいてる」
「あっそ……って、あっ! 何よレイシャ! 窓開いてないじゃない!」
「あいてる」
「これは『割れてる』っていうのよ! ねぇ『開けなさい』よ!」
そう言って、アーデライードは窓の外で軒桁にぶら下がったまま。何故ちゃんと自分の目で確かめてからにしなかったのか。雑な行動にも程がある。
中へ入れないでいる惨めなハイエルフの為に、苦笑いした瑛斗が窓を開けてやる。
そんな一同に、一瞬の隙が生まれた。
ぽっかりと開かれたままであった隠し扉――その闇の中から、黒い影が飛び出した。
「どなたです?」
その物音に真っ先に気付いたのは、目の見えぬイリスである。
彼女は突如現れた不審な足音の方向へ、自然と身体を正面へ向けた。
その黒い影の正体こそは、傭兵団の猛獣使いロヴネル。彼は引き抜いた腰の短刀を鈍色に光らせながら、猛スピードでイリスへ迫る。
「あっ!」
曲者の姿を目撃し、声を上げるはアーデライード。だが彼女は軒桁にぶら下がる窓の外。瑛斗はその傍近くが窓際に居り、レイシャもまた瑛斗の傍に居た。
アードナーは戦闘不能で身動きが取れず、それを支えるエアハルトも同様である。
また、イリスの最も近くにいたエレオノーラは全身の打撲傷により、とても身動きの取れる状態ではない。
即ち、完全なる空隙。この刹那以上の隙を見つけることは誰も能わず。迫るロヴネルの凶刃を、阻む者は皆無であった。
そうして誰もが息を呑み見つめる只中で――無防備なイリスの左胸に、鋭い短刀の切っ先が、声を上げる間もなく深々と突き立った。




