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ローラ・レオニが、パブロ・レオニと共に凶弾に倒れた後、さすがの周一郎も塞ぎ込むことが多くなっていた。このままでは後々の仕事に差し障ると考えた大悟は、高野を付き添わせ、気分転換にと風光明媚なアランフェスへ送り出した。
「坊っちゃま?! 周一郎ぼっちゃま!」
だが、周一郎は塞いだ表情のまま、付き纏う高野を振り払うように、この『島の庭園』で姿を消した。夏の盛り、鮮やかな緑の園には観光客が溢れ、小柄な少年の姿はどこにも見当たらない。
「坊っちゃま! …¡Perdóname!」
人に突き当たり、緑を掻き分け、探し続けた高野は、ようやくタホ河を臨む岸に立っている少年に気がついた。
「周一郎様!」
苛立たしさが先に立って、声を荒げながら駆け寄る高野に、少年はぽつりと一言、振り向きもせずに返答した。
「No se preocupe」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺は慌てて高野の話を遮った。
「のーせ、何?」
「No se preocupe. ご心配なく、と言う意味です」
「スペイン語なのか?」
「はい」
「はいって……その頃、周一郎は9歳だろ?!」
「坊っちゃまは、その頃既に英語独語をマスターされていました。スペイン語はまだ片言でしたが」
「…片言、ね…」
反論する気力が萎えた。今後あいつが広東語やユーゴスラビア語をマスターしてると言っても、驚かないことにしよう。
「何か?」
「いえ、どーぞ、先をお続け下さい」
それでは、と高野は平然と話を再開した。
(人が必死に探していたのに、心配するなとは)
高野もさすがにムッとして周一郎の側に立つと、少年はついと河の方を指差した。
「高野」
「はい」
「もし、ぼくがここに落ちたら、大悟はどうすると思う?」
「もちろん、お助けになりますよ」
「今は、ね」
少年は高野を振り返って皮肉っぽく笑った。真意を図りかねていると、
「ぼくは、今の計画のパートナーだからね」
「…」
そこで高野は、ようやく、この10歳にも満たぬ少年が何を言っているのか理解した。大悟は、今の計画に周一郎が必要だから助けるのであって、周一郎個人の価値で助けるのではない、言い換えれば、もし計画に周一郎が必要でなければ、いつでも見殺しにできる、そう言うことなのだと。
「そんな、まさか」
「まさかと言うの? ぼくはできるよ。おかしいね、高野」
幼い顔にかけたサングラスの後ろの瞳が、ひたりと高野を見据える。
「ぼくがローラにならないと断言できるってわけ?」
(ああ)
高野は思い起こした。大悟が、ローラ・レオニに彼女の好きなガルシア・ロルカの本を贈り、片言の日本語を教えていたことを。パブロ・レオニと意に染まぬ結婚をしたローラにとって、大悟は例えようもなく魅力的な存在であり、義理とは言え、その息子の周一郎は大切な人の子どもだった。
だが、大悟の好意も、結局はパブロを落とす為の餌であり、RETAに襲撃される計画でローラが死ぬとわかっても、大悟は何一つ手出しをしなかった。
「………」
「答えられないだろう。お前は『いい人間』だね、ぼくらと違ってさ」
言い放った周一郎はなおも川面を見つめ続けた、その目に深く重い影を宿して。




