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『青の恋歌(マドリガル)』~猫たちの時間11〜  作者: segakiyui
7.村

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5

「滝さん…」

 背中で弱々しく、周一郎が俺を呼んだ。

「危ない…から…」

「危ない? うん、俺も実はそー思ってるところだ」

 あ、ダメだ。頭の中が完全に崩壊している。ったく、肝心な時にポップコーン化を始めやがって。俺の両親はきっと、かなりひねた『とうもろこし』だったに違いない。

 だが、その周一郎のことばに、イレーネは違う反応を見せた。呆気に取られ、続いて次第に目の光を強めて行く。

「周一郎……『誰』なの、この男」

「え? 俺? 俺、滝志郎です」

「肉親…? いいえ、聞いたことがない……それに、肉親だって、あなたがそこまで甘えるとは思えない」

 俺のことばには取り合わず、イレーネは呟いた。

「誰なの? あなたにとって、この人はどういう人なの?」

「あはは…単なる友人です」

 おい! 俺の守護霊! 何とかしてくれ、この体ときたら、自殺する気だぞ!

「答えなさいっ、周一郎!」

「うわっ…」

「滝…さんっ!」

 次の瞬間、いくつもの事が同時に起こった。叫んで拳銃を向けたイレーネ、指にかかる力が俺の胸元を狙う。声を上げた周一郎が、銃口から逃げようとして半身ひねった俺の体に斜め後ろから飛びついてきて、銃口からかばうようにイレーネに背を向け、体を投げ出して無事な左腕で俺の首にしがみつく。勢いで流れかけた周一郎の体を支えはしたものの、爆笑している俺の膝が衝撃に耐えられるはずもなく、壁に押し付けられて座り込み…。

 ごんっ。

「てっ」

 嫌というほど頭を打った。瞬時空白になった意識にも、次には弾丸が飛んで来るとわかっていて、思わず目を閉じる。静まり返る瞬間、凍りつく時間……。

「……?」

 が、いつまで待っても、熱いキスはやって来ない。そろそろと目を開けた俺は、イレーネがだらりと右手を下げて、固まったように俺たちを見つめているのに気づいた。その瞳に浮かんだ大粒の涙にも。

「周一郎…」

 掠れた声が絶望に満ちていた。

「そこまで私を拒むのね…?」

「…」

 周一郎は何も答えない。熱っぽい体を俺に預けて、身動きしようともしない。

「10年間、あなたのことだけを考えていたわ…」

 ついに、光るものがイレーネの頬を伝った。それは、割れ砕けたステンドグラスの隙間から差し込む真昼の日差しに眩く煌めいて、埃の積もった床に零れ落ち続けた。

「いつも、あなたのことばかり想っていたわ」

 針の落ちる音さえしない静けさの中で、異様な告白は続いた。

「私はあなただけを愛していたわ」

 すうっと右手が上がった。彼女のこめかみ辺りの髪を、銃口が優しく搔き分ける。

「誰よりも愛していて、誰よりも憎かった!」

「!!」

 ドンッ!!

 思わず目を閉じ顔を背けた俺の耳に、どさりと言う鈍い音が響いた。まるでそれを待っていたかのように、するりと周一郎の腕が解ける。

「周一郎?!」

「坊っちゃま!」

「志郎!」

 ぎょっとした俺の目に、蒼白な顔に伝わった血の筋が映った。いつの間にきたのか、お由宇達が戸口から飛び込んで来る。

「おい!」

「揺さぶらないで! 気を失ってるのよ」

 お由宇が俺を制した。手早くハンカチを取り出し額に巻く。高野がネクタイを外し足に縛り付けた。右肩は、カッターシャツの腕を裂いて手当てした。

「あ…上尾は?」

「大丈夫ですよ、擦り傷です。もっとも、『心』の方は知りませんが」

 『ランティエ』の声に、俺は振り向いた。

 汚れた床の上、倒れたイレーネの側に上尾が膝をついている。左腕に巻いたハンカチを右手で解き、片手で不器用に広げ、無言のままイレーネの顔にかけた。ステンドグラスの破れ目から光が一筋差し込み、上尾とイレーネの遺体を照らす。

 美しいと言うには、あまりにも痛々しい光景だった。

「死者の覆いを取るわけにはいきませんね」

 『ランティエ』がネクタイを緩めながら上尾の側に寄る。上尾の頬に伝わっていくものに、誰もが気づかぬふりをした。

「にゃん」

「お、ルト」

 ふいに猫の声が聞こえ、俺達は近づいて来る小猫を見つめた。

「お手柄だったな」

「にゃい」

 当たり前だと言いたげにルトが鳴き、周一郎の側へ寄る。心配そうな金色の目をして、にゃあう、と体を主人に擦り付けた。

「大丈夫だよ。すぐに病院に連れていくってさ」

「はい、もちろんです」

 高野が頷き、上尾の腕にネクタイを巻き終えた『ランティエ』と共に、周一郎を運びにかかる。お由宇は上尾を促して車へと急ぎ、後を追って古ぼけた教会を出た俺は、ふと背後を振り返った。

『誰よりも愛していて、誰よりも憎かった!』

 イレーネの叫びが谺のように聞こえて来る。それは、怖いけれども懐かしい悪夢の切れ端に似て、俺の胸に妙な切なさを残した。もっとも、あの時死んでしまってりゃ、こんな悠長なことも言っていられなかったのだが。

「ま…生きてられて良かったよ」

「にゃん。にゃあ…」

 ま、ね。けれど、それはいいとして。

 そう言う感じでルトは立ち止まって、俺を見上げた。

「何だ? 何か言いたいことがあるのか?」

「にゃい。にゃー…」

「毎回言うようだが…」

 俺はしゃがんで抗議した。

「俺は猫語は受講ってない」

「にゃあ…」

「ま、お前に人間語をしゃべろとは言わんが……何? 何だ? 胸になんか、ついてるのか?」

 ルトの視線に胸元を見た俺は、ふと気付いた。あの教会へ駆け込むまでは、ルトはここに居たよな。で、いつ、こいつ降ろしたっけ?

「あれ?」

「にゃ…」

 そう言えば、教会に駆け込む寸前、何か『落とした』気がする。ついでに何か、『細い紐』みたいな物を踏んだ気がする。あれって、ひょっとして…。

「に、や、あ……」

 ルトは牙を剥き出し、ひょいと尻尾を立てて見せた。ゆっくりとそれをくねらせる。

「あ…あは、あれ…ひょっとして……お前の尻尾か?」

 思わず引きつった。

「にーやーあーあーあーあ…」

「悪い! そうとは知らなくってさ、その、別に悪気はなくって……どああああっ!!」

 ルトが不気味な鳴き方をした次の瞬間、俺の指は見事に報復にあっていた。

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