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夜を衝いて走る車の中には、外の闇よりも重苦しい沈黙が満ちていた。ハンドルを握る『ランティエ』、助手席で前方を見つめているお由宇、後ろで暗い表情で体を強張らせて座っている高野に上尾、そして俺も一言も口に出せないままだった。
(周一郎)
窓の外を見ようと目を凝らしても、そこには黒々とした夜景が、しがみつこうとしては置き去られる魔物のように、妙にねっとりと流れているだけだ。
(一体どこにいるんだ)
ぼんやりと考える頭に、俺の部屋でぽつりと一人、立ち竦んでいる姿が思い浮かんだ。そっと忍び込んだ部屋、机の上にポートレートと読みかけの本を置いて、ベッドで眠り込んでいる俺を振り返る、そしてそのまま、身動きできずに立ち竦み……やがて、ゆっくりと身を翻して部屋を出ていってしまう周一郎。
重なるようにガルシア・ロルカの詩の一節が浮かぶ。
拍車を鳴らして歩む黒い子馬が死んだ騎手を運んでいる。身動きせぬ体、響く音、刃が幾重にも花のように重ねられる。
(冗談じゃない)
ぶるぶると首を振った。どーもいかん。何を考えても悪い方ばかりになっちまう。
「お由宇」
「え?」
気を取り直して、声をかけた。
「なあに?」
意外に明るい声でお由宇が答える。
「いや…そのさ、これって素人考えかも知れんが…」
もごもご呟いた。
「ずっと引っかかってたんだが」
「なにが?」
「いや、そのさ、アンダルシア人とバスク人って、そんなに仲が悪いのか?」
「…そうね」
窓ガラスに映ったお由宇が面白そうに頷く。
「イスラム勢力が染み込んだアンダルシアは、最もスペインらしいかも知れないわね。他のヨーロッパ諸国とスペインの違いは、どれほどイスラムの影響を受けたかの違いとも言えるかしら。特徴的なのは時間に対する考え方……アンダルシア人にとって大切なのは現在だけ、未来も過去も関係がない、いかに今を楽しく生きるかが生活の基本」
片手で、さらさらと滑るセミロングを肩に流した。
「そう言う人間の集まりが経済的に発展しにくいのはわかるでしょ? アンダルシア地方8県の平均所得は下位を低迷している。根強く残っている土地所有制度から逃れようとするなら、バスク、カタルーニャ地方への出稼ぎか移住……けれど、そうして移っていった先での彼らの評価は『ビーノばかり食らって仕事をしない怠け者』。まあ、アンダルシア人に言わせれば、バスク人達は『仕事ばかりしていて人生を知らない馬鹿者ども』と言うことになるけど」
くす、とお由宇は微かに笑った。
「きっと日本人も、その『馬鹿者ども』に入るんでしょう。そのアンダルシア地方と対照的なのがバスク、カタルーニャ。天候や雨量もそうね。アンダルシアが『目が痛くなるほどの青空』なら、バスクは『曇って暖かい雨の日』。陽気で怠け者のアンダルシア人、陰気で勤勉なバスク人なんて言われてるらしいわ。生活水準はトップクラス、所得でも上位3位を占めるバスク……けれど分離主義の力が強くて、ETAの本拠地でもある。警官数も多いけど、アンダルシア出身が多いのを揶揄して、『警官という職業は体格さえよければ誰でもなれる』とバスク人は言う…」
上尾の話を思い出した。アンダルシア出身の警官である父親、周囲の侮蔑に耐えきれず、アルベーロは飛び出した。
「だからなんだ」
「え?」
「だから、そこで引っ掛かってる」
ちらりと高野が横目で見た。上尾も興味を惹かれたようにこちらを振り向く。凝視されるのがくすぐったくて、もぞもぞしながら何とかことばを押し出した。
「アルベーロはアンダルシア人だよな? ってことは、バスクでもあまり『受け』が良くなかったわけだろ?」
くっくっく、と『ランティエ』が笑った。
ふん、悪かったな、『一般的』な物言いで。
「…ええ、そうね」
振り返らないお由宇の声は、なぜか淡い笑みを含んでいるように聞こえた。
(いいさいいさ、笑いたきゃ笑え。どーせ、俺はプロじゃない)
心の中でぼやきながら先を続ける。
「で、それが嫌で、父親のとこを飛び出したんだろ?」
「ああ。イレーネはそう言ってた」
と、こいつもピンとこない様子で上尾が同意する。ほらみろ、俺だけがアホじゃない。
「で、ETAってのは地方主義の塊で……つまりは、バスクがいっちばん、って奴らだよな?」
『ランティエ』は何がおかしいのか、低く含み笑いを漏らした。
あ、とふいに上尾が小さく声を上げた。
「そうか…」
どうやら俺の言いたいことがわかったらしい。ふんっ、察しのいいヤツなんか嫌いだ。思わず相手を睨みつける。
「?」
「…だ、か、ら」
俺の視線を浴びてもきょとんとする上尾にぐったりしかけたが、気を取り直した。
「RETAってのは、その中でも過激なんだろ? で、そのバスクが最高って連中が、まだRETAに入ってもいない人間……アンダルシア人のためにわざわざ犯人を追うのか? いや、そもそもさ、アルベーロがRETAに入れるってことが不思議…」
「くっ……はっはははは…」
「?!」
唐突に『ランティエ』が大笑いを始めてぎょっとした。反対に、高野が苦り切った顔で黙り込む。ただ一人、お由宇が肩越しに視線を投げ、歌うように言った。
「それで?」
「それでって……後はそうたいしたことじゃないんだ」
笑い続ける『ランティエ』を横目に付け加える。
「たださ」
「ただ?」
「『ランティエ』の方はわかったけどさ、どうしてお由宇が関わってるのかなと思ってさ」




