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「話してもらおうか」
コルドバでも指折りの4ツ星のホテルの最上階の一室で、俺は上尾を睨めつけた。もっとも、俺1人ではたいした凄みはなかっただろうが、手持ち無沙汰な様子で凝った造りのナイフを放り投げている『ランティエ』、俺の左右に陣取るお由宇と高野に凝視されては、さぞかし居心地が悪いだろう。
生憎、俺達4人の誰一人として、上尾の為に周囲の環境を整備してやろうとはしなかった。
「話せと言われても、どこから話せばいいのか……」
上尾は眩そうな目をして俺たちを見回し、この場の主導権のありかを探していたが、最終的にお由宇に目を向けた。
「そうね、とりあえず汀暢子との関わりなんか、どう?」
お由宇はあっさりと応じた。
「それとも、どうしてあそこに居たのか、でもいいし、どうして周一郎君の居場所を教える気になったのか、でもいいわ」
「それが『とりあえず』なのか」
突っ込む俺に、
「まあ『幾分か』は確信に近いかも知れないけど」
「さよーで」
俺は諸手を挙げて、お由宇に尋問を任せることにした。
「そう、だな…」
上尾はぼんやりと、急に気だるさに襲われたみたいに呟き、両手で顔を擦った。そのまま途中で手を止め、俯く。やがて絞り出すように、
「あの子にはドゥエンデが憑いているんだ」
「あの子?」
「…汀暢子。イレーネの異父妹だよ」
(あれ?)
鈍い俺でもそれなりに、暢子の名前とイレーネの名前に含まれた響きの差に気づいた。俺が気付くほどだから、お由宇がわからないはずもなく、もの柔らかく問いかける。
「『イレーネ』だったのね、あなたの恋人は?」
「ああ」
深い声で上尾は吐いた。
(待てよ?)
思わず首を傾げる。
それならアランフェスでの痴話喧嘩は何だったんだ?
「僕と暢子はイレーネを通じて知り合ったんだ。暢子は僕を盲目的に愛してくれた。僕を追って、日本にまで来た。けれど僕は、どうしても彼女を妹以上に思えなかった」
「そして『あなた』が盲目的に愛したのがイレーネだったというわけね?」
「…小さなタブラオで知り合ったんだ。日本にひどく憧れていて、熱心に日本語を習った。覚えも良かった。僕も夢中で教えているうちに……イレーネを愛してることに気づいた。………日本へ帰る直前に告白したけど……母親が辛い恋をしたのも、その恋が無惨に裏切られたのも見ているから、二度と恋はしない、と言った。自分は母親似なのだと笑った顔で淋しそうで、帰国してからも頭を離れなかった……。そこへ暢子が僕を追って来たんだ。僕は……これ幸いとイレーネのことを尋ねた」
「恋は時に残酷なものです」
『ランティエ』が回想しているように優しい口調で受けた。
「恋人以外の心は秤にかけることさえしない」
「…そうだね」
上尾は同意した。
「僕の頭にはイレーネのことしかなかった。暢子は激しく拒んで……そして僕を忘れる為に、日本へ来たもう一つの目的に没頭していった」
「それが」
お由宇が物憂げに口を挟む。
「父親を破滅に追いやった朝倉周一郎に復讐すること」
「…何とか止めようと思って」
頷いた上尾は、ことばを継いだ。
「暢子の後を追って渡欧したけれど、もう、遅かった。朝倉さんは行方不明になっている……それでも暢子の足取りを追いかけて、辿り着いてみれば」
「アルベーロの死だった」
上尾は溜息をついた。
「アルベーロは僕より先にイレーネを愛していた。同じ故郷、このアンダルシアの生まれで、父親がバスクで警官をするのに母ともども付き添ってアンダルシアを出たが……バスク人のアンダルシア人に対する侮蔑は根強かった。父の跡を継ぐのも嫌、かと言って、バスクでアンダルシア人がまともな職につけるわけもなく、バスクを飛び出し転々とするうちにトップ屋になったんだと、イレーネが教えてくれた。…それを暢子が知って……僕の為にいつかアルベーロを葬ってあげる、と言ってよこした。アランフェスで諌めたけれど無駄だった。……アルベーロと一緒に堕ちていくのを見ろ、そう言って、姿を消してしまった」
上尾はしばらく黙り込んだ。やがて身もがくように体を揺すり、
「アルベーロを殺したのは暢子だろう……だが、あの子は知らないんだ、アルベーロのもう1つの顔を」
「もう一つの顔?」
「彼はアンダルシア人なのに、RETAに属していたんだ。朝倉さんの死亡と朝倉財閥のルート崩壊を手土産に、RETAの正式メンバーとして認められるはずだった」
「それで」
高野が干からびた声で応じた。
「RETAが動いていたんですね」
「だから!」
上尾は焦ったそうに唸った。
「だから、早く暢子を見つけないと……あの娘はRETAに報復されてしまう」
「それで、俺達に周一郎の居場所と思われる場所を教えたのか? RETAの報復から彼女を保護させ、そして、これ以上、人殺しをさせないために」
「ああ…だって、見捨てるなんて出来ないだろう? 彼女はイレーネの妹なんだ!」
血を吐くような上尾の叫びに考えた。
イレーネの妹。
それは、暢子に取って、この上なく残酷なことばではなかったのか。
暢子がどれほど上尾を愛そうと、彼女は彼にとってはいつまでも『イレーネの妹』でしかない。いつまでたっても、彼女は『暢子』として上尾の眼に映ることはなく、おそらくは永久に、イレーネの影でしかない。
アランフェスで上尾を見据えた暢子の表情が浮かび上がる。
黒い瞳が奥に宿していたのは、手出しをするなと叫んだ口調に含まれていたのは、自分を愛してくれない上尾への憎しみや怒りではなく、ただただ、自分を『イレーネの妹』としてではなく、『暢子』として見て欲しいという、激しい憧れだったんじゃないか。
けれども、上尾はそれに気づかなかった。そして暢子は、アルベーロを抱き込んで、暗闇の中へとひたすら堕ちていこうとする……。
静まり返った部屋の中に、突然電話が響き渡った。『ランティエ』が受話器を取り、数分話して電話を切る。振り返った目が野獣じみた猛々しい色に染まっている。
「今日の夕方頃、ノブコさんと思われる女性がコルドバを出たそうです。一人、連れはなし、行き先はセビーリャ……それから、RETAが本格的に動き出したそうですよ。既に追っ手と思われる二人連れの男が彼女を追っています」
黒々とした影が、一瞬、部屋の中を高笑いを響かせながら駆け抜けたようだった。そして、それが導く先には、闇だけを湛える夜があった。




