惑う恋 ~春だからⅡ~
自分でも、だんだんと気持ちが冷めていくのがわかった。一度冷めてしまえば、恋心が燃え上がることは難しい。彼とのことはどうでもよくなっていく。彼からも連絡が来なくなっていたことに気づいたのは、随分と経ってから。
このまま、自然消滅かな。それでもいいかなと思っていた。
自分で納得してしまうと、わたしはこれまでよりも仕事に打ち込むようになった。
そして、ほとんど忘れかけていた頃になって、彼の姿を見つけたのよ。
ほんの偶然の最近の出来事。
仕事の打ち合わせの帰り道。
通りの反対側の歩道。
でも、一人ではなかった。女性と二人。仲良さそうに彼女に寄り添う彼の姿。
新しい恋人を見つけたのね。
その時、わたしの中に芽生えた感情は、嫉妬ではなく安堵感。
自分でもびっくりするほど、素直によかったと思えた。わたしに縛られずに、前を歩いてくれていたことが嬉しかった。
そう思えた時点で彼のことは、完全に過去のことになっていた。
これで一つ、肩の荷が下りた感じ。
わたしはすっきりとしたのだけど、彼はそうではなかったのかもしれない。
《会いたい》というメールを見た時に、わたしには過去の恋でも、彼は違ったのかもしれない。
この前見た人が新しい恋人なら、このままではいけないわよね。
そうでなくても、きちんと恋を終わらせよう、とも思ったからだった。
カラリンと店のドアが開いて、
「久しぶり」
そういって、わたしの目の前に現れた彼はとても穏やかな顔をしていた。
けんかばかりしていた頃の剣のある表情は、どこにもなかった。
「久しぶりね。ごめんなさい。なかなか連絡を取らなくて」
わたしは彼に謝った。
「いや。俺だって、遙の立場をわかってやれなくて、ごめん」
彼からわたしの名前を呼ばれて、不意に懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
当たり前に聞いていたわたしを呼ぶ彼の声。彼との日々がよみがえる。思い出したのは、楽しかった頃のこと。お互いが大切で、お互いしか見てなくて、二人でいれば幸せだった頃のこと。
「何か話があったんでしょ?」
わたしは懐かしさでいっぱいになりながら、彼に話を促した。
「もっと早く、言った方がよかったんだろうけど、実は好きな子がいて、今はその子と付き合っている。だから、俺たちのことは終わりにしたい」
そう。あの時の彼女なのね。よかった。
「わかったわ」
わたしはそれだけを返した。
自然消滅でもいいと思っていたけれど、やっぱりけじめは必要だったのね。お互いのためにも。
「ありがとう。正直に言ってくれて」
わたしは改めて彼の顔を見た。お互いの目があって、そこにはかつての恋情はなくて、ただ静かな眼差しだけが二人を包んでいた。
今、やっと、終わったのね。わたしたちの恋が。
「佑真、あなたは今幸せ?」
わたしの問いに、今まで見たことのないほどの幸せそうな表情で、彼はゆっくりと頷く。
わたしといた時よりもいい顔をしているみたい。
とてもいい恋をしているのね。
「遙は?」
「もちろん。わたしも幸せよ」
恋人はいないけれど、仕事は楽しくて充実しているし、今はそれで充分。
「それなら、良かった」
彼は安心したような顔をして微笑んでくれた。
これで本当にさよならね。
わたしは清々しい気持ちで店を出た。
それから、大きく伸びをして、深呼吸。
肌寒いけれど、澄んだ新鮮な空気を吸い込んで、古い空気を吐き出した。
新しい気分で、あたりの景色を見回すと、梅の花が目に入る。
早春を彩る紅梅。
冬が終わって、もうすぐ春がやってくるのね。
冬と一緒に、過去の恋を脱ぎ捨てたら、心も体も随分と身軽になったみたい。
髪をかき上げる。手で髪の感触を感じて、長くなったなと実感して。忙しさにかまけて、髪もそのままだった。
思い切って髪を切ろうかな。
彼が長い髪が好きだといったから、ずっと伸ばしていたけれど、本当は短い髪の方が好きなのよ。
わたしは、携帯を取り出す。
「すみません、急用ができたので、遅くなります。仕事は帰ってからしますので」
課長に自分の用件だけを言って、電話を切った。ついでに電源も切っておく。
帰ったら、怒られるかもしれないけど、でも、これくらいはいいわよね?
毎日頑張っているのだから。
わたしは、近くに美容室を見つけて、店の中へと入った。




