第95話:ハンターチャンス
「この世界の敵は、速すぎて狩れなァァァい!!」
異世界転移後の織原蒼は悪戦苦闘していた。
魔狩と名付けた、孤高の相棒と共に魔獣を狩り、その肉や毛皮を街に売って財を得る。
所謂、狩人である。
しかしウサギっぽい魔獣やネズミっぽい魔獣は動きが俊敏すぎて捕獲が難しいし、見てくれが可愛すぎて困る。
なので、もう少し上位の魔獣と戦う事になるのだが……。
「怖いよぉ」
「クゥン」
イノシシ型の魔獣を狙うも、その驚くべき突進力に腰が引けてしまう。
猪突猛進とはよく言ったもので、一度避けてしまえば反撃のゆとりが生まれる……のだが、恐怖心でなかなかすぐに持ち直せない。
予知能力で避ける事はできるのだが、攻撃となるとまた勝手が違う。
攻撃には、度胸がいる。
しかも当時の蒼はまだ魔法を覚えていないので、拾った棍棒での物理攻撃しかできない。
そんな人間が狩猟を生業にしよう等という発想自体がおかしいのだが……。
父親がドッグトレーナーであったため、蒼自身犬に触れる機会が非常に多かった。
という理由だけで、この道を選んでしまったのだ。
「魔狩と上手く息が合わない……人間と犬じゃスピード違いすぎるし、う~ん……」
だが、答えは割と早く出た。
「あっ、そうか! 私なら!」
『あるコツ』に気づいた蒼は、次の日大量の毛皮と肉を市場に持ち込んだ。
「エギャワスギュル!? エギャワアタル!! エギャワフミオォォ!!」
「だめだ、まだこの世界の言葉はわからんわ。たぶん私みたいな子供が何でこんな獲物を……ってとこかな?」
値切る事はできないので、言い値(言葉は分からないがたぶんそう)で買い取ってもらい、何とか当面の資金を得る。
その後は、稼いだ狩猟代から授業料を払って異世界の言葉を教えて貰ったり、開放されている図書館で文字の勉強をしたりした。子供向けの本を読むのは屈辱だったが、そうも言っていられない。
身を守る術として、土魔法の鍛錬も積んでいく。
そして、金と食糧が尽きたら魔獣狩りへ向かう。
「アオイちゃん、毎度言ってるけど、君みたいな女の子が大丈夫なのかい?」
「大変だけど大丈夫。マーガリンが一緒だから」
「ワフー」
そして彼女は、その夜も無傷で帰還した。
十代の生娘が刻む不敗神話は続く。いつしか彼女はこう呼ばれ始めた。
双頭乃狩人。犬と人間、二つで一つ。
***
学は、戦略家と見ていた蒼の、驚愕の戦術に苦戦していた。
彼にとって、魔獣狩りなどお手の物である。
多人数戦だって、クライドほどではないにしろ慣れている。
「チィッ!」
だが、蒼と魔狩のコンビネーションにはそんな経験など通用しない。
何しろ『同じタイミング』で攻めてくるのだ。
一対多において、多側は一側を各員の間合いに封じ込める事が重要である。
どこに動いても攻撃が当たる位置。そこから逃がさない様に間合いを測る。
この二人……一人と一匹は、その間合いの維持が鬼のように上手い。
学は何度も包囲網から脱出しようとしている。前後に挟まれているのだから、左右に逃げれば良いだけだ。
何度もやっている。だがその度に包囲網も同じ方向に移動してしまうため、一向に逃げられない。
――何故だ!?
長時間の防御一辺倒。無慈悲に脚の筋肉に溜まっていく乳酸を、ブラブラさせて必死に抜こうとする学。
そうこうしている間に、魔狩に肩を噛みつかれる。
「ぬぅぅ!」
肘鉄を顎に押し込み、事なきを得るが肉を抉られた。
そしてその対応中に、前方から蒼の土魔法が飛ぶ。
「弐式!」
「ぐぅぅぅ!!」
今度は脚の肉を削がれる。骨が折れていないのは不幸中の幸いだが、徐々に学の力が削られていく。
このコンビは、こうやって魔獣を狩って来たのだ。
「意味が解らん! どうやって、動物の動きに人間が合わせられる!?」
一向に綻びが見つからない包囲網に、学が恨み言を叫ぶ。
その叫びが耳に入らないほど、蒼は集中していた。
――次の未来は、左から回り込んで、前足の爪。学さんは条件反射で右に。なら私はその背後に回り、土魔法の四式を……。
側面に回り込んだ魔狩に対し、学は右に逃げる。その逃げ際の腹を爪が引っ掻き、学が苦悶の表情を見せる。
その背後から、蒼の四式が炸裂する。
「がぁっ……」
背中からの一撃に、一瞬学の息が止まる。
そして間髪入れずに迫る魔狩の突進を、クロスガードで何とか防ぐ。
終わらない、地獄の様な連続コンビネーション。なぜ、蒼はこんな芸当ができるのか。
これも、彼女の異能による産物である。
蒼は、近未来予知によって魔狩との呼吸を合わせているのだ。
敵の行動予知だけでなく、味方の行動を予知するのである。
味方の移動位置と使う技が解れば、自分はその対極に移動し、魔法を放つ。
動きを見てから動いたのでは人間のスピードでは獣に合わせられない。
だが蒼は、予知能力者の蒼だからこそ、不可能を可能にできるのだ。
――フットワークだけは死守! 脚が動かなくなったら、その時点で敗北だ!
こうなると学は下半身に傷を負わない様に防御する事しかできない。
逃げながら脱出の機を待つのだ。
だがその目論見も、蒼は看破していた。敢えて守りの薄い上半身に攻撃を集中させ、傷と出血を増やしていく。
一回戦もそうだったが、人間は血を失えば動きが止まる様に設計されている。その事を、蒼は良く知っているのだ。プロの、狩人だから。
と、次の瞬間。蒼の予知に、砂嵐が発生する。
「えっ!?」
「すりぁぁぁぁッ!!」
気合い一閃。学は下段突きを地面に放つ。
摺り足で寄せられて盛っていた砂が飛び散り、蒼と魔狩の視界を一瞬覆った。
「うわっ、ぺっぺっ!」
「ワウ、フゥー!」
視界が開けた時には、学は体力を振り絞って壁際に脱出していた。
漸く、漸く地獄の時間が終わったのだ。
蒼の連続攻撃時間は、実に五分にのぼる。『武器』と交代で攻撃していたからこそ持続できた時間だ。
「ハァ、ハァ……」
「ふぅ、まあ前半はこんなもんですかね」
蒼の言葉通り、前半は完全に彼女が制した。
というより、学の自発的な攻撃は一度も当たっていない。せいぜい噛みつかれた時の振り払い程度だ。
無傷の蒼。疲労困憊の学。
――参ったよ。蒼さん、本気で強い。今まで戦って来た中で、間違いなく最強の敵……!
狩人・織原蒼に綻び無し。学は彼女の奇跡的な強さに、試合中にも関わらず感服した。
ここから仕切り直したとしても、待っているのは一方的な虐殺ではないか。
観衆から見ても、そう思える。
そして蒼にも、その未来が見えている。
「行きますよ、学さ……」
「スゥッ、カァァァァ……」
突然、学は小さく息を吸うと、両手の甲を眼前で突合せ、徐々に拳を下げながら息を吐き出し始めた。
長く、長く、胸が苦しくなるまで、吐き出し続ける。
「カッ!」
そして、腕を脇腹で止めると同時に、最後に勢いよく吐き出し切る。
両腕と呼吸の連動。それがあまりに美しい所作だったためか、蒼も魔狩もその場を動けなかった。
「空手の呼吸法ってヤツですか。でも呼吸が整って、気合いが入っても……」
蒼は学の脚を指さす。
「乳酸、溜まってるんじゃないですか? 五分間動かし続けた脚の疲労は、すぐには取れないですよ」
「ああ、分かってますよ。だから」
学は勢いよく、下段払いの構えを取った。
そして、その場から動かない。
「ここで、待たせて貰います」
「……」
観戦しているダヴールの腕組みに力が入る。
「やはり、ああなりますよね」
「竜騎士殿……来ていたのか」
客席上段から、顔面ミイラ男が表れる。竜騎士ショウ・デュマペイルその人だ。
レイムルは訝し気に聞いた。
「ああなるって、彼もうボロボロだけど?」
「半神様は知ってるでしょうけどね。あの待ちに徹した構え……」
ショウは柵に身を乗り出して、学を見る。
「あれに徹した時の彼は、途轍もなく強い」




