第93話:対極
「土魔法第拾七式!」
摩訶不思議な現象により魔法を無効化された蒼はもう一度、速射砲を放つ。
「はい、お疲れさま」
しかし一事が万事。学の掌に触れると、神通力が跡形もなく消滅してしまう。
蒼は学の手元を見る。やはり、あの黄色い布が怪しい。
「何なんですか、それ?」
「さっき森で一悶着あったんですが、そこで拾いましてね。患部の固定に良いかと思って使ってるんですよ」
「……」
「なに、ただの布切れです。検査も通過しましたよ」
さらっと流しているが、学の口上を素直に受け取るほど蒼はアホではない。
――いやいや。どう考えたって退魔の道具でしょ。ってことは、アレがある限り私の魔法は……。
蒼の後方では、レイムルが地団太を踏んでいる。
「あ、あの男……私のスカーフをネコババするとは!」
「やはりあれは貴殿の物か」
「は、はい……恐らくクライドから剥ぎ取ったのでしょうね。はぁ……失態です」
ダヴールはやれやれ、と両掌を掲げる。
「これで魔法は封じられたな」
「というか、これはもう負けなんじゃ……」
「関係ない。手順が一つ増えるだけだ」
「え? 何の話ですか?」
ダヴールは、コロシアムの二人から目を逸らさずに答える。
「織原蒼の有利は動かない」
***
退魔の呪いがかかったスカーフの威力は、この場合特に絶大である。
何しろ、蒼は魔法主体で戦って来たわけで、体術においては竜騎士を倒した学に敵うわけがない。
その魔法を封じられたのだ。
これはもう、完封されたに等しい。
今の蒼は、ただの十八歳の素人だ。変な意味でなく。
「さて、もう慎重になる必要もない」
学は、ずかずかと間合いを詰めて来る。普通に歩いて詰めて来る。
拳足の間合いに入る一歩手前で、蒼に問いかけた。
「蒼さん、降参しませんか」
「しません」
「そうですか。ならここからは、一方的です。よっ」
――来る、後ろに!
学は蒼の脹脛を狙って下段蹴を繰り出した。
紙一重でバックステップを踏んで避ける蒼。
この避け方はいつまでも続けられるものでは無い。本来は自分の脛でカットしなければ常時防ぐ事はできない。
それを分かっている学は、逆足で続けざまにローを放つ。
だが、素人の蒼がそれを連続で避けていく。カットではなく回避。
学は訝しむ。蒼にこんな芸当ができるとは思っていなかった。
確かに一回戦、二回戦共に悉く攻撃を回避できていたが、学のスピードを前にしてもそれが可能だとは思えなかった。
――よほど目がいいのか、それとも……。
クライドの、死に際の言葉を思い出す。彼も、蒼を警戒していた。
『オリハラ・アオイ。彼女は強いぞ』
――あの言葉の意味が、今のこの回避術にあるとしたら。
学は続けて試してみる事にした。
今度は右拳を放つ。
「ふっ!」
これも回避された。しかも横方向の回避だ。
縦に下がるだけなら、素人だろうが誰にでもできる。だが横への回避は、攻撃のタイミングが測れていないとできない。『分かっている奴』の回避なのだ。
――という事は、やはり未来を予知できているのか……。
学は自力でその正解まで辿り着いた。
そしてそこまで分かった彼になら、どうすれば予知による防御を破れるかという事にも、答えが出せる。
「簡単な事。情報量で圧し潰せばいいんですよね?」
「……」
「でしょう、蒼さん?」
学は蒼の攻略法に既に気づいている。蒼は、時間がない事を悟った。
このまま学が手技の連撃にシフトしたら、蒼には防ぐ手立てがない。
――落ち着け私。手順が一つ増えるだけ……もう少しだ。
蒼は、学の正面に立たない様に、摺り足で横に移動する。
それに呼応して、学も蒼を追う。
観衆から見ると、もはや狩りの様相を呈して来た。
もちろん学が狩人、蒼が獲物だ。
「あ、アオイちゃんが狩られる……」
「ど、どうなるんだ?」
そして、学は蒼を壁際まで追い詰めた。
この時、蒼の目には学の向こう側に立つ、ダヴールとレイムルが映った。
――来た、対極。配置完了!
「さあ蒼さん。もう逃げ場はありませんよ」
「なんかエッチですね、この状況」
「また訳の分からんことを」
学は何か、違和感を覚えた。
絶体絶命のこの状況で、蒼が落ち着きすぎている。
そう考えている内に、蒼はピュウ、と口笛を吹いて両手を掲げた。
「降参でーす」
「……」
「もう打つ手なしです。ほら、好きにして下さい。脱がすなり犯すなり」
「あのね蒼さん。降参って、どこまで本気で」
学が蒼に近づこうとした、その瞬間。
彼の背筋が、異物の気配を感じ取った。
――背後!!?
振り向くとほぼ同時に、左手小指に激痛が走る。
鋭利な刃に、力強く挟まれている痛み。
「ぐおおおっ!!」
物凄い力を込めたニッパに挟まれているかの様であった。
その余りの力強さに、学の脳裏には小指の切断が思い浮かび、勢いよく発汗した。
「ぐ、ああああッ」
形振り構わず、学が右正拳で思い切り殴打した『それ』は、左小指から離れて飛んで行く。
何も無かったかのように地上に立ち上がった『それ』を見て、学は驚愕する。
「犬!?」
学に噛みついたのは、なんと蒼の愛犬・マーガリンであった。東側のコーナーでずっと座っていたはずの……。
更に、犬の加えている物を見て、学は二重に驚愕する。
自分の指に結んであった物が、今犬の口中に咥えられていて……遂には食べられた。
――退魔のスカーフが剥ぎ取られた!? それが狙い……いや、まだある!!
次の殺気が、また背後から放たれている事に気づかない学ではなかった。
「土魔法第七式、土涛!」
蒼の殺気に気づいた学が振り向いた……次の瞬間には、蒼の第七式が炸裂していた。
「うおおおおおッ!!」
一手遅れた学は、土弾を喰らいながらも火壁を展開する。
壁際まで追いやられて、何とか食い止めたものの……。
――スカーフは奪われ、土魔法を喰らい……何だ、この展開は!?
「ピュイッ」
蒼の吹いた口笛で、愛犬が彼女の元に駆け寄る。
背中を一撫でした蒼は、壁際の学を指さして高らかに謳う。
「さぁ、ここからが狩りの始まりだよ。行くよ、魔狩!」
その口上が、攻守交替の狼煙であった。




