第92話:封魔
ようやく闘技場に現れた学に対し、観衆が容赦ないブーイングを浴びせ掛ける。
「おせーんだよー」
「俺らがどんだけ待ったと思ってんだ、金返せチクショー」
学は勿論、馬耳東風である。
真っ直ぐに、闘技場中央。蒼の待つ場所へと歩いて行く。
「来ちゃいましたねぇ。そりゃ来ますよねぇ。残念」
「随分、久しぶりな気がしますね蒼さん」
学は蒼と目を合わせない。
トントン、とシューズの爪先で地面をタップしている。
懐から徐に、およそ彼には似合わない、洒落たハンカチの様な物を取り出す。
そして淡々と痛々しい左小指を縛って固定し始めた。
武装はそれだけだった。いつもの鉄籠手は、今回は使わない選択をしたらしい。
蒼はそれを見つめながら、恐る恐るレスポンスする。
「まぁ、その……昨日は気まずかったですからね。やっぱり怒ってます?」
「怒っちゃいませんよ。僕があなたの性格の悪さを見抜けなかっただけですし」
目を合わせずに小指を縛り続ける学。蒼の顔が引き攣る。
「うう……それは怒っているのでは?」
「怒っちゃいませんてば。単純にあなたの目の前で魔法を使った僕が悪い」
蒼はふぅ、と一息つく。
準備を終えた学はそこで、ようやく蒼と目を合わせた。
「まさか、この世界で日本人と戦う事になるなんて思いませんでしたよ」
「私も、まさかの展開です」
「本当は手を取り合って生きていくべきなのかもしれませんが……まだ、例の予知は変わってないんですか?」
蒼は首を小さく振る。
「ええ。変わってません。あなたは、私の足元で倒れます。血塗れです」
「ああ、そうですか。ちなみに、その未来は変えられるんですか?」
蒼は思った。この質問への回答で、もしかしたら学の心をへし折る事ができるかもしれない。
目を瞑って、数秒考える。
悩んだ末に、彼女は……。
「さぁ? 私にもよくわかりません」
「ああ、そうですか」
学への情けを少しだけ、残す事にした。
その代わり、彼にはどうしても言っておきたい事がある。
「学さん」
「何ですか」
「私、日本に帰りたい」
学は一歩踏み出す。
長身である彼の双眸が、蒼の猫目を見下ろす。
「それ、どうしてもですか」
「どうしてもです」
「僕を殺してでもですか」
今度は蒼が一歩踏み出した。
「あなたを、殺してでも」
「……」
学は何げなく、蒼から目線を逸らした。
そしてその先に、ダヴールの姿を見る。
「くっ」
「何か?」
「ふっ、ははははは! あはははははは!!」
「んん?」
何がツボに嵌ったのやら。急に笑い出す学。
意味の分からない蒼と観衆。
レイムルは首を傾げ、ダヴールは溜息を吐き、戦闘神トーレスは一緒に笑っている。
「ふぅー……蒼さん」
「……」
「あなたの都合なんて、知った事じゃありませんよ」
そう言うと、学は自分のコーナーへ戻っていく。
蒼は学の一連の奇行を、自分なりに解釈した。
――手加減は、いらないってわけね。
蒼は自分のコーナーに戻ると、頭の中で論理を組み立てる。
「よし、この順番で行けるよ」
最後に、待機させている愛犬の背中を撫でる。
いつもの様にフワフワとした、羽毛布団の様な手触りが、蒼の頭をスッキリさせる。
これが彼女の、必勝のルーティーン。
「準決勝第二……いや第『一』試合! 占い師・オリハラアオイ対体術家・ホウリュウインマナブ! レディィ、ゴーーッ!」
日本へ、還りたい女。
日本を、壊された男。
この巡り合せは、文字通り神の悪戯であった。
***
「ダヴール様!」
「魔剣士殿か。クライドは、駄目だったらしいな」
「ええ……残念ながら」
レイムルは東側のコーナーへ移動して、半神ダヴールと合流した。
物理的にも精神的にも、蒼サイドに来たかったのだ。
「ですが、左拳はかなり痛めてましたよ。あれじゃほぼ使えないはず」
「それはどうかな?」
「え?」
二人の会話の間に、学はジリジリと蒼との間合いを詰める。摺り足でコロシアムの土上を進む。
体術で言えば、学と蒼では大人と子供どころの差では無い。
なので当然、学としては接近線を望む所である。
とくれば、蒼は当然その逆を行く。
――ステップ1。確実に距離を保つ。土魔法、第拾七式……!
「泥綴!」
蒼のファーストアタックは、速射系の土魔法であった。
トーマス戦で見せたショットガンタイプの拾弐式とは違い、一撃で体を撃ち抜く威力のある単発式。
学が接近した分、避けられない距離で放たれた。
―-まずは、これで接近を拒む!
だが。
その土色の弾丸は、学が翳した左掌に吸い込まれる様に……消えた。
「えっ!? 私の土魔法が!?」
「あれは……まさか!」
ダヴールの横で、レイムルが頭を抱えている。
学は『オシャレな黄色の布を纏った』負傷しているはずの左手を翳したまま、不敵に笑う。
「蒼さん。今、何かやりました?」




