第90話:常在戦場
「そらっ」
法龍院学は、寄りかかっていた樹木に炎魔法を放った。
魔法としての威力は無いが、木枝が瞬く間に炎を纏い、火種として別の木枝に拡散していく。
――何だ?
この行動にクライドも困惑する。
何かの作戦なのか。そうすると、何が目的なのか。
無論、自分の位置を相手から見えなくするためだろうとクライドは結論づけた。
そしてそれは当たっていた。炎でカモフラージュされ、学の現在地はクライドから見えない。
この隙に、クライドの左側面に移動する。クライドの負傷箇所(推定)である左脇腹を攻撃するためだ。
「小賢しい真似を……姿を現した時がお前の最期だ!」
「……」
学は息を潜めてクライドの油断を待つ。
ただ石を投げるだとか、ただ背後から襲い掛かるだとか、その程度の奇襲ではあの男は簡単に対応してくる。
対応された先に待つのは、零距離射撃だ。
学は、炎の隠れ蓑の中で待つ。
クライドの意識が完全に、自分以外に逸れるのを待つ。
学は瞬きも忘れて、クライドの全身を観察し続ける。
クライドは全身をレーダーにして、所在不明の学の接近を警戒し続ける。
典型的な、先に動いた方が負ける状況であった。
――どこから来る、体術屋。
――いつ気を抜く、暗殺屋。
張り詰めた弓の如き緊張感に包まれた森に、男二人が殺死合い。
そして静寂が始まって五分が過ぎ、どちらかが痺れを切らしそうになったその時。
闘技場の方向から、爆発音が鳴り響く。準決勝第二試合。半神の朱と魔女の蒼。二大魔法の衝突により生まれた紫の光が、コロシアムから漏れ出た。
「そっちか!!」
その音と光に、クライドは反応した。反応してしまった。
常に狙われ続ける暗殺者。一対多が当たり前。その彼の人生の常識が、外部の情報を無視させなかった。
彼の暗殺業を支えて来た常在戦場の精神が、ここで裏目に働いた。
そして、その外部要因を完全シャットダウンして、敵の油断のみを待っていた男は、クライドの反応を見逃さない……。
「シァァァァアッ!!」
炎の陰から現れ、会心の移動式中段廻し蹴りをクライドに見舞った。
二回戦でダヴールに破壊されたクライドの下肋骨に、体重の乗った蹴りがヒットする。
「ぐおえっ!!」
折れた肋骨の鋭利な切先が、いずれかの臓器に刺さっているのが分かる。
劈く様な痛みが、その事実を教えていた。
学は、クライドを軽く片手で押した。よろめきながら、脇腹を押さえる暗殺者。
そして出来た空間に向かって、学の体は反時計に回り始めた。。
独楽の様に勢いをつけた回転後ろ廻し蹴りが、更にクライドの肋骨を臓器へと押し込み、遂に袋を貫通させた。
手の届かない臓器の痛み。その地獄が、クライドに襲い掛かる。
「あがぁぁぁぁぁああッ! があああああ……ガハッ」
そのダメージに耐え切れず、クライドは口から大量の血を噴いた。
燃え落ちた木の葉が、ドス黒い血で塗りつぶされる。
「ホウ、リュウ……」
掠れる声で、クライドが学の名を呼んでいる。
そこに乗る感情は、怨めしさか、諦めか。
「終わりだ、クライド」
「チッ、ここまでか……ヒュー」
「すまない。手加減は出来なかった」
「気にするな……何千と殺して来た俺が、一回殺されただけの事……ヒュー、このまま生き続けるよりは、ヒュー、今死んだ方が、ヒュー、まだマシというモノだ」
呼吸も苦しくなってきている。学は、クライドをこのまま放って置くのは申し訳ないと思った。
楽にしてやる事を決めた。
「あんたは強かった。これが一回戦の前なら、結果は逆になっていたかもしれない」
「ヒュー」
「……」
「ヒュー」
「……じゃあな」
「最後に一つ、ヒュー、教えてやる」
「何?」
打ち込もうとした正拳を止める。クライドは血塗れの口から意外な言葉を吐いた。
「オリハラ・アオイ。ヒュー、彼女は強いぞ」
「何だと……」
「俺よりずっとな。ヒュー。神の座に一番近い人間と、ヒュー、俺は見ているよ。せいぜい、苦しむ事だな」
「……」
「さぁ、やってくれ」
「……ああ」
学は臓器を突き破ったクライドの肋骨に、更に正拳を打ち込んだ。
「ふっ……」
心臓をズタズタに傷つける一撃。これが致命傷となった。
グッタリと項垂れるクライドからは、もう何の言葉も出てこない。
学はせめて亡骸を晒さないように、スカーフを解いた後クライドの体に炎魔法を放った
学はクライドに向けて手を合わせると、闘技場へ向かうのだった。
――ああ、これで殺しの螺旋から退場できる……。
学の炎魔法に火葬されながら。
ある意味彼は、永遠の平和を手に入れたのかもしれない。
暗殺者、クライド・クライダル。場外戦に散る。




