第78話:刺客
「どういう事か説明して貰いましょうか」
「だーかーら! ホー君が寝ぼけて私に抱き着いて来たの! 以上!」
「嘘仰い。だいたいが何で一緒に寝てるんですか。自分の部屋に戻って寝ればいいですよね!?」
「それは、その、クライドの襲撃に備えてさぁ!」
「クライド負けたんだからもういませんよ。本当に嘘吐くの下手ですね」
「あう……」
事後。学に怒られて、リリィが縮こまっている。
美しい青髪を手で弄りながら、目線を地面に向けてじっと耐えている。
もっと上手く事を運ぶはずだったのに、ついつい冒険心が出てしまった魔女の失策であった。
「もういい加減にして下さいよ。昨日も同じ事しましたよね? 何がしたいんですか?」
「何って……」
「僕を負けさせようとしてるんですか?」
「違っ、そんなんじゃなくて」
「じゃあ何!?」
「あう……」
語気を強める学。分かり易く怒っているその様子が、リリィを追い詰める。
勇気を振り絞って、恐る恐る口を開く魔女。
「私は……」
「はい」
「お母さんに、なりたいの」
「……はい?」
素っ頓狂な声をあげる学。
「言ってる意味が解りませんが」
「何ていうか、夢……」
「夢?」
「私、魔女だから、人からいっぱい、嫌われてるから、それで、だから、それで」
意味が分からないだろう、伝わらないだろう。
それを十分承知のうえで必死に説明しようとするリリィの瞳が、徐々に潤んで来た。
「あなたとだったら、お母さんになれるかなって……」
「……」
「ホー君なら、私の事、もしかしたら……ねぇ。言ってる意味、分かるでしょ?」
「……」
「ねえってば!」
その様子を見て、学は理解した。
これは、『自分が悪い』のだという事を。
学はリリィの試合を見て、強いと思った。
強いと思ったから、彼女を利用しようとした。自分の魔力補強のヒントを貰い、更にダヴールにぶつける駒となって貰う。上手くいけば、自分の優勝の可能性が上る。
強い人間だから、利用してもいいと思った。
しかし彼女は、魔女として、戦闘員として強いだけだ。一人の人間としてはともかく、一人の女性としては、こんなにも弱い。その一点のみにおいては、恐らく蒼の方が遥かに強いだろう。
利用してはいけなかった。守られなければならない存在。
リリィの容姿をじっと観察する学。
魔王戦後に、ショートカットに整えた透き通る様な青髪。意図的に前髪で隠された瞳。簡単に捌折れてしまいそうな、細いウエスト。普段は真っ黒なローブで隠している彼女の魅力が、今は全て晒されている。
魔女でさえなければ、引く手数多であろう。
学だって、綺麗だと思う。
だが、違う。そういう事ではないのだ。
「リリィさん、謝っておきます。ハッキリ言いますけど、私はあなたを利用していただけです」
「分かってるわよ。もうこの時点で目的は達成されてるんでしょ?」
「はい」
「私も最初は、あなたにショウの戦力を削って貰おうと思った。私の駒として、利用しようとした。でも今は違うよ」
「……」
「あなたはどうなの? もう私と……会う意味も無いの?」
「……」
「……」
学は無言で着替えや武器の入ったバッグを背負い、部屋を去ろうとする。
その背中を、リリィが抱き留めた。
「待って! 行かないで!」
「……ウォームアップをしておきたいんです。負けるわけには、いかないから」
「ホー君、お願いだから……」
学はリリィの口元に人差し指を当て、唇を制した。
「それ以上、言いたい事があるのなら」
「……」
「今日の午後。決勝の舞台で聞きましょう」
絡みつく腕を振り解き、学は扉を開け、去って行く。
残されたリリィは、シーツを握りしめ、枕に顔を押し付けて、泣いた。
***
学は宿舎に設営された風呂に入り、昨日の汚れを落とすと、移動を開始した。会場までの道程を歩くうちに、徐々に平常心を取り戻していた。
リリィには、悪い事をした。だがそれを引き摺ったままでは、目前に迫った試合には勝てない。
――忘れなければ。
一歩進むほどに、少しずつ邪念が払われていく。この調子でいけば、会場に着く頃には完全に切り替えられる。この切り替えの早さが、学の武術家としての強さの一つでもあった。
そして次の一歩を右足で踏み出した、その時。
「ッ!?」
「外したか……」
右足小指の1mm先に、苦無が突き刺さった。ギリギリで察知して歩幅を狭めなければ、指は使い物にならなくなっていただろう。
学はそのまま木の上の敵に向けて、苦無で掘り上がった土を蹴り上げる。その目潰しを避けて、刺客が地上に降りて来た。
――油断した。このタイミングで来るとは、盲点だった……!
リリィと一緒に来るのが正解だったのだ。まさか、この男がここで奇襲を仕掛けるとは、夢にも思わなかった。何故なら既に敗退しているからだ。
「クライド・クライダル!」
「久しいな、ホウリュウイン」
「何をしに来た」
「……」
「何をしに来た!?」
分かり切っているが、この理不尽な事態に叫ばずにはいられない学。
クライドはニタリと笑うと、学にも分かる様に答える。
「四年前の仕事を、片付けに来ただけだよ。唯一、俺が仕留められなかった標的を」
「スゥゥ……」
学の呼吸法が始まる。学にとってもクライドにとっても、それが開始の合図であった。
「行くぞ!」
「コォォ!」
二つの影がぶつかり合い、奥の森へ消えて行く。
こうして、運命の三日目。その火蓋が、一足早く切って落とされたのである。




