第69話:魔手
「立ちなさいリリィ」
「お母さん、もう止めてよぉ……」
「口答え無用!」
杖で背中を思い切り叩かれる、後の大魔女リリィ・リモンド、9歳の秋。
リリィは物心ついた時から、魔法の修行を課せられていた。
魔女の一族。その末裔として、母親に稽古をつけさせられた。
「魔女は、人に弱みを見せてはならないのよ。さぁ、立ちなさい!」
来る日も来る日も、危険な実験と研鑽の日々。
同年代の子供と同じく、遊びたい盛りであったリリィは、夜にひっそりと涙を流していた。
「最強を証明する事。それが魔女の一族の使命よ」
そう言って母親は魔族の一個師団と壮絶な死闘を繰り広げ、死んでいった。
残されたリリィは15歳になっていた。
母の死によって、ようやく自分の自由な人生を歩み出せると思った。
しかし。
「うわ、魔女の娘だ……」
「近づくな、黒焦げにされるぞ」
「召喚の生贄にされるわ、くわばらくわばら」
君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなし。三十六計逃げるに如かず。
敵も、味方も消し去って来た母親の面影が残る少女の存在は、人々にとってタブーとなっていた。
彼女自身は何もしていないのに。
「私は……」
何もしていないのに。
「私だって……」
何かをやってみたいのに。
「わ、たし、ひっく、だっで……」
止まらない涙を止める方法は、人々の忌み嫌う魔女に成り切る事だけだった……。
***
勇者を退けた魔王をして、魔女に圧される展開が続いていた。
相変わらず星屑だけで勝負しているリリィには、まだ余裕が感じられる。
かに見えたが。
――決定打が作れない。このままでは溜め込んだ神通力も、時間切れで消えちゃうわね……。
神通力を使ってしまおうか迷うリリィ。
使うために溜め込んだのだが、使ってしまえばこの序盤で手の内を晒すことになる。
それは不利になる。相手はあの魔王なのだ。この勝負は、先に底を見せた方が負ける。
本当の実力は、できれば最後まで隠しておきたかった。
だが、このままで済ませてくれるほど魔王はお人好しでは無い。
「嫌でも、貴様の神通力を引き出したい」
「できるかしら? 無理やり組み伏せられるほど、私は安くないわよ?」
「貴様の様な女こそ、力で屈服させるのが至上の娯楽となろう」
「ほ~、この私を。力で。屈服とな?」
その一言を皮切りに、リリィが前に出た。
星屑を杖術に乗せて、渾身の一撃が唸る。
「せぇぇぇ!」
下段、上段、中段。目にも留まらぬ速さで魔王に打ち込んで見せた。
魔王は避ける素振りもなく、涼しい顔でそれを受け止めた。
「やせ我慢、いつまで続くかしら!?」
背後から背骨へ。そして後頭部へ。星屑で強化された杖による打撃は、徐々に急所を切り開いていく。
「さぁ、回転数上げていくわよアスカちゃん!」
「ふっ、調子に乗り過ぎだな魔女よ」
「何を!」
「チェックメイトだ」
リリィの立っている位置の、左右の側面から真っ黒な手が、いつの間にかゆっくりと伸びている。
リリィはその気配を察知できず、まだアスカリオへの攻撃を続けている。
そして、射程距離に入るとその魔手は一気にリリィへと襲い掛かった。
「えっ……!? きゃっ!?」
魔王の神通力だけあって剛力であった。
物凄い力で、両方の脇腹を圧迫される。然しものリリィも女性の悲鳴をあげた。
「くっ、ちょっ、放してよ!」
「言っただろう。力で屈服させると」
「ぐぅぅぅ!!」
リリィが苦しむ様を見て、魔女を嫌う観客層は心情的に魔王に寄り始めた。
「すげぇ、魔女が子供扱いかよ」
「この際だ、もっと痛めつけてやれ!」
「いっその事脱がしちまえよ!」
この世界で言う魔女とは、日本で使われるような魔女のイメージとは違う。
悪魔や、それこそ魔王に近い、忌み嫌われるイメージなのだ。
勇者一行に魔女が加わるというニュースを聞いて、投書に反対文が殺到したほどであった。
「うっ、あっ、あああッ!!」
必死にもがいて拘束から逃れようとするリリィの姿が、客を興奮させていく。
「殺っちまえ!」
「魔女リリィ、報いを受けろ!」
容赦ない罵倒がリリィの耳に突き刺さる。
学はそれを聞いて舌打ちをする。イライラするとすぐ舌を鳴らす、彼の悪い癖だ。
「下衆共が……」
「私の時もこんな感じだったかしら?」
「あなたの時はもっと上品でしたよ。ところが今度はどうですか魔女ってだけで。それだけでこんなに品のない罵声になってしまうなんて」
「確かに、イメージ先攻しすぎてるわね……ホウリュウイン君は、リリィが心配?」
「いや、彼女だって敵になるかもしれない相手ですから、可哀想とは思いませんが……可哀想ですよ」
言葉遣いがおかしくなっている学。とにかく怒っている事はレイムルに伝わった。
――それ、直接言ってあげて欲しいな。
レイムルは思う。魔女は褒められたり、好かれる事になれていないから。
凄く恥ずかしがりながら、内心で凄く喜んでいるのが分かる。
レイムルは、そんないつまでも初々しいリリィが好きだった。勇者ルネサンスもそうであっただろう。直に話した事がある人物は、本当の彼女を知っている。
だが、観客の頭の中にはそんな彼女はいないのだ。凄惨な戦いの申し子。悪魔の子。それが世間のリリィへのイメージなのだ。心無い罵倒は浴びせられ続ける。
「殺せ!」「殺せ!!」「殺せ!!!」
――そうね。やっぱり、私はこれぐらいが丁度いいんだ。人から好かれるなんて……。
「さぁ、抵抗しなければこのまま肋骨ごと心臓を潰すぞ」
「無念だわ、アスカリオ」
「降参か?」
「まさか、こんなところで終わりとは、ね」
突然の事であった。リリィを拘束していた魔手が。音を立てて消滅した。
名残の闇片が羽の様に舞って、そして消えていく。
「殺……あ、あれ!?」
罵倒も消え失せる。
そしてリリィの掌から漏れ出ているのは、青々とした、あまりに美しい……。
「……我慢は、終わりよ」
「そうだ、それが見たかったのだ魔女リリィ!」
神通力であった。




